今日は建国記念日。昔の紀元節である。私が幼かった頃、昭和14年だったか15年だったかに、紀元二千六百年という大きな祝典があった。同名の歌があった。「金鵄輝く日本の 栄えある光身に受けて~紀元は二千六百年 ああ一億の胸は鳴る」である。当時の日本の人口は一億には足りなかったらしいが、そう唄ってもいいような元気があったのだと思う。勢いがあったのだと思う。
戦前の祝祭日には家々の門前に日章旗が立った。日章旗は、現在は日の丸と呼ばれる。天皇陛下の正月の一般参賀の時などに、あるいは国際スポーツの応援の時などにその小旗が振られる。日章旗は国旗である。白地に赤く日の丸染めて、ああ美しや日本の旗は~である。
祝祭日の門前に国旗を立てる習慣は敗戦とともに消えた。門前の旗を作るとき、幼い私にも大事な役目があった。旗竿の先端の穴に黄金色の球を差し込む作業であって、それが嬉しくて仕方なかった。近所の家の旗と見比べて、自分の家のがいちばん大きく見えるような気がした。
祝日には門前に日章旗を掲げましょう、というキャンペーンをどこかのデパートで打ってみないか。もちろん、デパートでなくても、スポーツ用品会社でも、新聞社でもいい。これが当たって国旗が売れたら、大儲けになる。私が住むマンションにだって正面玄関はあるから、その両サイドに立てればいい。全国一斉に、は無理かもしれないから、1町1村から始めてもいい。A県のB町では祝日になるとすべての家の門に日章旗が立つ、とテレビで報道されれば、それは次第に広がっていくのではないか。と私は思ったりする。
戦前の祝祭日には家々の門前に日章旗が立った。日章旗は、現在は日の丸と呼ばれる。天皇陛下の正月の一般参賀の時などに、あるいは国際スポーツの応援の時などにその小旗が振られる。日章旗は国旗である。白地に赤く日の丸染めて、ああ美しや日本の旗は~である。
祝祭日の門前に国旗を立てる習慣は敗戦とともに消えた。門前の旗を作るとき、幼い私にも大事な役目があった。旗竿の先端の穴に黄金色の球を差し込む作業であって、それが嬉しくて仕方なかった。近所の家の旗と見比べて、自分の家のがいちばん大きく見えるような気がした。
祝日には門前に日章旗を掲げましょう、というキャンペーンをどこかのデパートで打ってみないか。もちろん、デパートでなくても、スポーツ用品会社でも、新聞社でもいい。これが当たって国旗が売れたら、大儲けになる。私が住むマンションにだって正面玄関はあるから、その両サイドに立てればいい。全国一斉に、は無理かもしれないから、1町1村から始めてもいい。A県のB町では祝日になるとすべての家の門に日章旗が立つ、とテレビで報道されれば、それは次第に広がっていくのではないか。と私は思ったりする。