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死に際

2016-06-11 22:40:25 | 日記
本木雅弘さん主演の『おくりびと』というおもしろい映画があった。本木さんの役は納棺士で、つまりは遺体を棺に納める仕事であって、そのときの手法というか、作法にむずかしさがある。しかし、これは遺体を扱うわけで、死に際ではない。
私は3人の死の前後を見た。最初は小学校6年生のときで、亡くなったのはまだ生後⒑ケ月の従弟(叔母の子供)だった。赤子が肺炎に襲われた。小さな唇からゴボゴボと音を立てて、コーヒー色の血がこぼれ落ちた。昭和22年、まだ抗生物質のない頃で、かけつけた医師も何かの注射を打ったのだが、なんの役にも立たなかった。私は最後まで見ていられなくて、庭へ出た。叔母の鳴き声が庭まで聞こえた。

黄黒色の細くなった身体がもがいていた。稲田登戸病院の病室のベッドの上で叔父(父の弟)が別の人間になっていた。数日前の肺結核の手術の際に用いられた輸血の中に、いわゆる黄色い血が混入していて、それが叔父の肝臓を破壊したのである。叔父の身体がみるみる細くなっていく。しかしもがいている力は強い。私は17歳で、力はある方だったが、それでもベッドから落ちるのを防ぐのに3人の看護婦さんとともに全力を要した。叔父が静かになったときが、死だった。親族で立ち合ったのは私一人だった。涙が出なかったのがなぜなのかは、いまでもわからない。祖父や叔父の妻などがかけつけたときは黄黒色の痛いは、普段の半分ほどに小さくなっていた。

父方の祖父は昭和36年、私が25歳のときに衰弱死した。病院に入ることなく、最後は叔母が近所のおばさんの手を借りて看病介護した。死の1週間前からものを食べなくなり、唇を水でぬらすだけであったそうだ。眠るようなという言い方があるが、祖父の死がそれだった。臨終のときに、祖父の目から涙が1滴頬に落ちた。

私は、すべての延命法は不要だと家族に告げてある。祖父のように、眠るがごとく~が理想であるが、どうなるか。人は自分が、いま、死ぬということをよくわからずに旅に出るのかどうか。その辺のことが想像しにくい。

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