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アレルギー

2018-04-28 11:28:04 | 日記
家へ遊びに来ていた孫息子が急に具合が悪くなった。倒れ込むというほどではなかったが、様子が変だった。猫アレルギーだと、母親である次女が言い、孫息子を表へ連れ出した。どこが痛いというのではないが、目が赤くなり、泣くのとは別の種類の涙が頬に流れていた。たしか12,3歳の頃だったと思う。そのとき、私が思い出したのが、そばアレルギーの子供が学校給食でそばを食べてしまって死亡したというニュースだった。アレルギーというものの厄介さと恐怖だった。ドクター達の話によると、アレルギーに対抗する、これといった薬はないらしい。

私は25歳のときに自分がピリンアレルギー体質であることを知った。風邪をひいてS・Gという薬を買ってのんだら、身体中の粘膜が腫れた。特にひどかったのが口の中で、1週間ほどはヌルいうどんにヌルい牛乳だけの食事で通した。それ以来、ずっと何かのことで病院へ行くたびに、ピリンアレルギーであることを申告し、そのことがカルテに赤ペンで書きこまれていた。しかし、いつの間にか私のピリン拒絶症は治っていた。それがわかったのは、74歳のときの胸部大動脈瘤破裂の大手術のアトダッタ。ピリンが使用されたのが手術中だったのか、手術後だったのかはわからないが、ドクターから「✖✖ピリンン剤を使用しましたよ」と教えられて、驚いた。ドクターは、なんでもないような表情だったから、よくあることなのだろう。

家人の姪が昨年の夏あたりから小麦粉アレルギーになった。主婦だから大変だ。パン、うどん、てんぷら、フライ…と数え挙げれば際限がない。そばにも小麦粉は入っているし、カレーのルウもそうだろう。また、菓子類だって同じことだ。そういうわけで我が家にパン焼き器がやって来た。よく私がこのブログに書く自家製ぶどうパンは、家人の姪のアレルギーから始まったことになる。

孫息子の猫のことから、アレルギーなるものが遺伝ではないことがわかる。彼の母親も姉も、我が家へ来るたびに猫を抱き上げ、かわいがっている。また、私のピリンの件から、アレルギーは治るということがわかる。繰り返すが、薬の力ではない。アレルギーもまた、神の手に委ねられているものなのだろうか。

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