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テレビを観る

2017-03-26 10:36:11 | 日記
籠池喚問の視聴率は約16%で、同じ時刻に行われたWBC野球決勝のそれは約4%だったそうだが、野球の方はすでに日本チームが敗退しているので、興味は籠池の方に向くのは当然か。週刊誌を、まずスキャンダルから読もうとするのと同じだ。

奇妙な着衣の3人の男性が何かを喚くが、何を言いたいのか全くわからないauのコマーシャル。昔のトニー谷さんにちょっと似た中年男がヒョウ柄の服で踊るが、何を表現しているのか、どこの企業のコマーシャルなのかがわからない。81歳になると、テレビコマーシャルが遠くなる。録画で観るときはコマーシャル部分を飛ばせるのがありがたい。

小池百合子都知事はテレビ映りが好い。映され方が巧いというか、研究しているのではないかと思ってしまう。反対に社民党の福島瑞穂さんは下手だと思う。あの着衣の色はベビーピンクというのだと家人に教わったが、目立つ以前に、似合っていない。

昨日、結びの一番で白馬富士に敗れ胸と肩を打って土俵下から立ち上がれなくなった稀勢の里が、今日出場して来ている。いま午後5時で、まもなく鶴竜との勝負が観られるが、勝ってもらいたいねぇ。

昨日、早実が明徳に勝った。明徳の投手が平凡なピッチャーゴロを失策して、早実は死からよみがえった。逆を言えば、明徳は勝ったと思った瞬間に、ボールがグローブから転げ落ちた。早実にツキがあった。こういうチームは勝ち進むことが多いものだ。

歴史に無知なためか、NHK大河ドラマ『直虎』がよくわからない。それに、どこか中学校の学芸会のようなセリフの棒読みが目立つ。小林薫さんや前田吟さんあたりが雰囲気を作っているが、あとはどうも浮いている感じがしてしまう。もっとどっしりと構えてやれよ、と言いたくなる。

今日の競馬、日経賞はスポニチ小田記者の本命ミライヘノツバサがギリギリ2着に残ってくれて馬連が的中した。このギリギリのゴールを観るのがテレビの価値で、ラジオではおもしろくもないし、競馬場では瞬間的にはわからないと思う。配当は63.7倍。

インフルエンザ ③

2017-03-26 10:29:18 | 日記
インフルエンザの高熱でダウンしてからちょうど1週間経った。そのときのことはほとんど憶えていない。記憶にございません、の世界である。病院へ行った。点滴を受けた。帰宅したときに呼吸困難になる数分間があった。最高発熱は38度7分だった。翌日には37度台に下がった。ポツリポツリとその辺は思い出せる。

3日間、酒を呑まなった。呑みたくなかった。そういうときはアイスクリームが食べたくなるものだが、それもなかった。「何か食べないと」と、家人にも娘にも言われたが、何かは食べたが、あれが美味かったとか、あれは不味かったということが舌に残っていない。

咳は今も残っている。おとといまでは痰がひどかった。痰の薬も服んだ。病人なんだなぁと、自分で思う。齢だなぁと思う。どうしてインフルエンザになったのかがわからない。その菌はどこから来たのか。昔、箱入り娘というコトバがあったが、私は箱入り老人である。感染する機会はほとんどない。家人も娘も風邪気味だが、インフルエンザではない。不可解だ。

ボンヤリとした頭でテレビを観る。森友学園の籠池理事長の国会証言を観る。「事実は小説よりも奇なり」なんて言葉が出て来るが誰も笑わない。国会の雰囲気に週刊誌的なものが漂う。100万円の寄付がその一例だ。この寄付は安倍サイドにとって、どんなメリットがあるのだろうかが、よくわからない。だから、ずいぶん気前がいいなぁというのが私の感想である。

おととい、昨日と入浴することができた。浴槽から立ち上がることができた。酒の味が戻って来た。今日はリハビリの日だったが、休ませてもらった。繰り返しになるが、この1週間は変な時間だった。病人なんだと思ったり、齢なんだと思ったり。

黒いスーツ

2017-03-26 10:16:56 | 日記
大学卒業予定者が企業の面接に行く。男性も女性も黒いスーツで行くようだ。学校の卒業式も入社式も同じ姿であることが多いらしい。ただ、ウチの孫娘は和服に袴という恰好の卒業式だったようだ。これも女性一同揃って袴姿だったと思う。孫の出た明治学院大学は、それが昔からの伝統なのかどうか。とにかく、就職活動・卒業・入社式には黒いスーツが制服であるようだ。それをリクルートスーツと呼んでいる。

新入社員を募集する企業は黒スーツを着た若者をどう見るか。「またこの男も、この女も同じ服か」とは思わないのだろうか。「服装(身なり)も1つの個性」とは思わないのだろうか。「面接には自由な服装で来てください」と、なぜ言わないのだろうか。もちろん、統一されたような着衣でも、人それぞれの個性は出るという考え方は成り立つだろうし、もしかすると、却ってその方が個がよく見えるという面接担当者もいるはずだ。しかし、多くの場合は、着衣自由の面接の方が、どこか明朗な感じがする。若々しい感じがする。わざと突飛なスタイルでアピールしようとする人間もいるだろうが、それはそれでいいではないか。採用するかしないかは、それぞれの企業によって、その物差しがあるのだから。

昨年の春。藤沢の病院前で、家人が駐車場からクルマを出して来る間、道行く人を眺めていたら、黒スーツの女性の一団が通った。「新入社員の研修か何かの帰りだと思う」と、娘が言った。数は20人ほどだっただろうか。何か気持ちの悪い光景だった。黒スーツは、会社の制服ではなく、研修期間中のお決まりなのだろう。すべて大卒だとして、22歳の若い娘である。春である。どんな研修か知らないが、もっと明るく装いたいはずである。自分らしさを見せたいはずである。とにかく、黒衣の集団は気持ちが悪かった。

女子社員に限って言うと、昔はほとんどの会社で制服の上衣が与えられた。私のいた製造会社でも、銀行員も郵便局員もそうだった。上衣の下は自由だった。ブルーのワイシャツでも、ピンクのセーターでもよかった。「今度新しく入って来たマリちゃん、オシャレのセンスがいいじゃん」があった。もちろん、ブラックスーツの娘さんも研修が終われば、白いセーター姿になるのだろう。セーターの襟が制服の胸から見えるようになるだろう。しかし、あの黒の季節は長すぎないか。面接に始まって、それが何社もあって、やっと入社が決まって、それでもまだ黒、黒、黒は長すぎる。

判子

2017-03-26 10:08:11 | 日記
判子と印鑑は同じ意味の日本語であるかどうか。異なるところがあれば、それを記せ、という問題が或る企業の入社試験に出された。たしか出版社だったかと思う。正答率が5割程度だったので雑誌の記事になった。ハンコは人名、社名、職名などを彫った道具のことであり、それに朱肉をつけて紙などに押す。その押した印を印鑑と言う、ということを知らない大学新卒生が100人中50人いることになる。無知な若者が多いのか、それとも日本語というものがヤヤコシいのか。

日本経済新聞に、時々、「私の課長時代」なる記事が載る。それをまねて振り返ってみると、私は昭和40年代に中企業の購買課長だった。いすず自動車の一次下請の部品メーカーだった。購買だから、下請工場が相手である。下請から品物が送られて来る。まず品質管理課で検査がある。OKなら品質管理担当のA係長かB課長が伝票に判子を押す。品物は部品倉庫に入るから倉庫係が判子を押す。伝票は次に製造部に渡り、管理課進捗係長が印を押す。注文通りの数が入荷したかどうかの確認である。次が私の番だが、たいていは黙って押印する。品質管理・倉庫・製造管理の3人の印鑑があるのだ。昔の言葉で言う、盲判であるが、3つの印鑑を信用する。信用することが1つの仕事なのだ。それが当然だった。普通のことだった。

「知事の仕事って山ほどあるんですよ。1枚1枚の書類にハンコを押すヒマなんてありませんよ」とは、橋下徹氏の言であるが、その通りだと思う。ハンコを押す係の事務員がいるのだろうと思う。それでも裁可である。石原元東京都知事が百条委員会で裁可した自分に責任があると言っていた。中企業の課長程度の話ではない。判子の重みが違う。

玄関に宅配が来る。「ハンコ、要りますか?」と家人が訊き、「サインでも結構ですよ」と配達のお兄ちゃんが応える。声につられて、猫がソファから立ち上がって様子を見に行く。モンローウォークで見に行く。