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5センチの歌詞

2017-03-11 21:13:14 | 日記
「ヤケのヤンパチ、石投げた・・・」朝の7時過ぎである。その時間はいつも電動ベルトを使って下半身の手入れをしている。ふと、ヤケのヤンパチがメロディとともに頭に浮かんで来る。何のカンケイもなく浮かんで来る。私はヤケにはなっていない。持ち株が下がっても馬券が外れてもヤケにはならない。この歌詞は2,30年前に憶えたものだ。たしか、浪人生ブルースという歌の1節だった。言葉は好い。最近の「日本死ね」よりずっと高級である。上等である。ただし、この歌のその部分だけしか私の頭の倉庫にはない。それがふと浮かんで来るのだ。

朝の手入れの時間は50分ほどかかる。電動ベルトは快いのでボンヤリする。ボンヤリしながら、それでも何かを考えている。今日は木曜日か、家人はフラダンスへ行く日だ。明日はリハビリ先生が来る。宿題のトレーニングは軽めにしておこうか…と、その辺で、歌詞がどこかから飛んで来る。

「広瀬川 流れる岸辺~」「古き花園には 思い出の数々よ~」「真白き富士の嶺 みどりの江ノ島~」が浮かんで来る。短い1節だけである。長さは5センチほどの感じだ。その5センチが何回か頭の中をまわる。声に出さずに唄っているという方が正しいか。繰り返すが、何のカンケイもない。昨夜見た夢とか、今朝の天候とか、気分といったものとのツナガリもない。謂わば、不思議な現象の1つなのだ。

好きな歌というのがある。カラオケでの愛唱歌といった何曲かがある。琵琶湖周航の歌、みかんの花咲く丘、夜霧よ今夜も有難う、がある。 しかしそれらが、朝の5センチの歌詞に出て来ることはない。これまた不思議と言えば不思議だ。私はこの5センチの歌詞が好きだ。それが出て来る時間が好きだ。ヤキエのヤンパチ石投げた、も好きだ。

変わる言葉

2017-03-11 14:04:59 | 日記
ノイローゼという言葉を聞かなくなった。代わりに、鬱という言葉が出て来た。名司会者だった小川宏さんが鬱になって、重症のときは何度か電車の踏切のそばへ行ったという話もあった。ところでノイローゼと鬱は全く同じ病なのだろうか。同じ意味なのだろうか。どうも私のような老人にはわからない。

アベックがカップルになった。これはわかりやすい。全く同じ状態のものが、ただ呼び方が変わっただけだと理解できる。むかし、女子社員のことをBGと略していたことがあったが、これはビジネスガールと言うと売春婦を意味することがわかってOLに変えられた。オフィスレディーなんて誰が考え出したのだろうか。

キャバクラというのがわからない。私たちが呑ん平時代にあった頃、キヤバレーとクラブは別物だった。前者より後者の方が高級感があった。値段も高かった。それをあわせたキャバクラって、どんなところなのだろうか。

60歳を過ぎて、髪に白いものが目立つようになる。70歳でオール白髪になる。これを頭が白くなると言った。真っ白になった、と言った。いまソレを言うと、何も考えられなくなった状態の意味になる。歌手が舞台に立って唄い始め、途中で歌詞を忘れてしまって次が出て来ない。すると、頭が真っ白になるというわけだ。では、反対にオール白髪のことは何と言うのだろうか。

ボケが認知症に変わった。昔で言う耄碌である。まだらボケなんっていうのもあるが、まだら認知症とは言わない。私自身は半ボケぐらいだと思う。医師やリハビリ先生に訊くと、まだまだ認知症ではないと言ってくださるが、あれこれ考えてみると半ボケだ。81歳、半ボケぐらいがちょうどいい。ラクである。

猫パンチ

2017-03-11 13:51:54 | 日記
私は7時半ごろには晩酌を終え、ベッドに入ってしまう。家人は居間のソファでテレビを観るか本を読むかする。9時か9時半頃に娘が帰って来る。玄関のカギを開ける音がする。もう一人の家族であるViViが食堂の椅子で目を覚ます。少しウトウトしていてもパッと目覚め、椅子の上に立ち上がって玄関の方へ視線を送る。娘の「ただいまー」の声が聞こえるや否や、さっと椅子から飛び降りて廊下を走る。娘を出迎えるべく急ぐ。娘はもちろん大喜びでほおずりしながら抱き上げる。これは家人から聞くことだが、たいていの夜はそういう絵になっているようだ。

家人が椅子に座ってViViを抱く。何十年も前になるが2人の娘を育てているので、猫の抱き方も上手いようだ。ViViがゆっくりと家人の手の中に寝転び、うれしさの表現か尻尾を揺らす。「気持ちいいいわねぇ」、家人がViVino毛の感触を楽しむ。猫ちゃんの方も気持ちよさそうな表情だ。

電動健康器での下半身の手入れを終え、私の朝が始まる。ベッドから立ち上がるためにドアに手をかける。その静かな音を聞きつけて、猫が走って来る。ドアをつかんでいる私の左手の5本指にパンチを仕掛けて来る。猫パンチである。私も対抗する。ViViの手(足というべきか)の先の方をとらえようと試みる。だが敵の方が早い。パンチのスピードが上がる。爪が少し伸びているので少し痛い。それが2,3分続く。猫の方が先にやめる。すっとやめて、家人と娘がいる食堂へ向かう。モンローウォークで去って行く。このことは1週間ほど前から朝の習慣になった。JRAにネコパンチというなの馬がいる。名前もおもしろいし人気もある。逃げ先行型である。我が家の猫ちゃんも動作が早いから、私では追いつかない。繰り出される猫パンチに追いつけない。

煙草

2017-03-11 13:45:19 | 日記
古い映画やテレビドラマを観ていると、煙草の相違に気づく。今のJTがまだ日本専売公社だった頃、煙草は動くアクセサリーというCMを打っていたが、昔の映画やドラマではアクセサリーどころか、役者たちの演技に大きな役割を果たしていた。苛立ち、怒り、安堵、休息といったものを煙草の吸い方、消し方、火のつけ方で表現していた。

煙草の煙がいちばんすごかったのが、雀荘だった。雀荘という場所は、たいていは換気が悪かったし、麻雀に煙草はつきものだったから、室内は紫色に染まっていた。それが当たり前だった。植木等さんの歌に、「これじゃ体にいいわけないよ」という詞があるが、将にその図だった。

会社の事務室に12人の男女がいる。7人の男たちは全員がスモーカーであるが、女子社員は吸わない。現在で言う受動喫煙であるが、あれは受難ともいうべきものだっただろう。しかし後になって昔の同僚の女性が、「あれは迷惑だったわ」と言うのを聞いたことはない、。今の会社の中では考えられないことが、3,40年前までは普通だった。時代の差と簡単に済ませる言葉があるが、大変な差異である。

喫煙は百害あって一利なし、と医師たちは口をそろえる。煙草を吸うなんてバカだと言われたりもする。意志が弱いと、女房に言われ続けている亭主も少なくないと思う。渡井sの考えは少し違う。たとえば65歳、70歳を過ぎても煙草を吸い続けている男性は意志の弱さで喫煙をやめられないのではないと思う。彼らは本当に煙草が好きなのだ。ホンモノの愛煙家なのである。私は意志の弱い人間だが、20年前にスモークを断った。ホンモノのスモーカーでなかったからである。大好きな恋人ではなかった。私にとっての煙草は恋人ではなく、遊び相手、浮気相手レベルだったのだと思う。

2017-03-11 13:37:55 | 日記
戦時中は各家の門前に、防火用水と称するコンクリート製の水槽が置いてあった。畳1枚分に満たない広さ、高さは1メートルあるかないか程度のものであって、常に水が満ちていた。不潔だった。ボーフラが水面と底とを往復していて、蚊を生産しているようなものだった。ごく稀に消防訓練があり、モンペ姿のオバさん達がバケツリレーを試みていたが、実際の役には立たなかった。B29から投下される焼夷弾による火災には水槽の水では間に合わなかった。多少というか、わずかに役立ったのはツルハシだった。ツルハシで家と家の間にある板塀を破壊し、延焼を止めるのがせいぜいだった。もちろん消防車は無かった。

東京大空襲のときも、ヒロシマ、ナガサキの原爆のときも川で亡くなった方が多かった。猛烈な火勢と熱さから川に逃れた。それでもダメだった。私が住んでいた兵庫県の芦屋ではそこまでの猛火はなかった。川よりは山の方へ逃げた。これは後になってわかることだが、米軍は戦争が終わって日本を占領したとき、自分たちが利用するために芦屋の山の手にある豪邸は焼かなかったのである。

ウィスキーの水割りを呑むには氷が要る。できれば、より旨い氷がほしい。氷屋さんの氷に近い味のものがほしい。私もアレコレと試してみた。水道水を熱湯にする。ガンガンに沸かす、それを覚まして冷凍庫に入れる。この方法は家人が誰かから教わってきたものだったが、水道水と大差なかった。市販の水でもやってみた。××の天然水、〇〇の渓谷水といったレッテルにつられてトライしてみたが、ダメだった。スーパーで売っているブッカキ型の品だと旨いが、これは水割り専用とはならず、家人と娘のコーヒーやジュースに使われてしまうので、モッタイナイ気持ちが先だってしまう。どこかの企業が、水割り用アイスを作る水を発明してくれないかと願っている。

この世のどこにも水はある。何万年も前から水はある。戦時の水もあったし、平和な日の水もある。防火用の水もある。猛火の中の川の水もあった。そして、今、私は、水割り用の氷のための水を探している。