「ヤケのヤンパチ、石投げた・・・」朝の7時過ぎである。その時間はいつも電動ベルトを使って下半身の手入れをしている。ふと、ヤケのヤンパチがメロディとともに頭に浮かんで来る。何のカンケイもなく浮かんで来る。私はヤケにはなっていない。持ち株が下がっても馬券が外れてもヤケにはならない。この歌詞は2,30年前に憶えたものだ。たしか、浪人生ブルースという歌の1節だった。言葉は好い。最近の「日本死ね」よりずっと高級である。上等である。ただし、この歌のその部分だけしか私の頭の倉庫にはない。それがふと浮かんで来るのだ。
朝の手入れの時間は50分ほどかかる。電動ベルトは快いのでボンヤリする。ボンヤリしながら、それでも何かを考えている。今日は木曜日か、家人はフラダンスへ行く日だ。明日はリハビリ先生が来る。宿題のトレーニングは軽めにしておこうか…と、その辺で、歌詞がどこかから飛んで来る。
「広瀬川 流れる岸辺~」「古き花園には 思い出の数々よ~」「真白き富士の嶺 みどりの江ノ島~」が浮かんで来る。短い1節だけである。長さは5センチほどの感じだ。その5センチが何回か頭の中をまわる。声に出さずに唄っているという方が正しいか。繰り返すが、何のカンケイもない。昨夜見た夢とか、今朝の天候とか、気分といったものとのツナガリもない。謂わば、不思議な現象の1つなのだ。
好きな歌というのがある。カラオケでの愛唱歌といった何曲かがある。琵琶湖周航の歌、みかんの花咲く丘、夜霧よ今夜も有難う、がある。 しかしそれらが、朝の5センチの歌詞に出て来ることはない。これまた不思議と言えば不思議だ。私はこの5センチの歌詞が好きだ。それが出て来る時間が好きだ。ヤキエのヤンパチ石投げた、も好きだ。
朝の手入れの時間は50分ほどかかる。電動ベルトは快いのでボンヤリする。ボンヤリしながら、それでも何かを考えている。今日は木曜日か、家人はフラダンスへ行く日だ。明日はリハビリ先生が来る。宿題のトレーニングは軽めにしておこうか…と、その辺で、歌詞がどこかから飛んで来る。
「広瀬川 流れる岸辺~」「古き花園には 思い出の数々よ~」「真白き富士の嶺 みどりの江ノ島~」が浮かんで来る。短い1節だけである。長さは5センチほどの感じだ。その5センチが何回か頭の中をまわる。声に出さずに唄っているという方が正しいか。繰り返すが、何のカンケイもない。昨夜見た夢とか、今朝の天候とか、気分といったものとのツナガリもない。謂わば、不思議な現象の1つなのだ。
好きな歌というのがある。カラオケでの愛唱歌といった何曲かがある。琵琶湖周航の歌、みかんの花咲く丘、夜霧よ今夜も有難う、がある。 しかしそれらが、朝の5センチの歌詞に出て来ることはない。これまた不思議と言えば不思議だ。私はこの5センチの歌詞が好きだ。それが出て来る時間が好きだ。ヤキエのヤンパチ石投げた、も好きだ。