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コーラス

2017-03-14 12:40:25 | 日記
コッコッコッコッコケッコー、家人がキッチンにたちながら唄う。家人が酉年の生まれなのではなく、これは終戦直後に流行した『ミネソタの玉子売り』という歌の初めの部分である。ああ、そんな歌があったなぁと思われる方は、後期高齢者であるだろう。

家人は同好会的なコーラスグループに入っていて、週に2度の集まりがあって、月初めには老老慰問で老人ホームに行って唄っている。ホームの入居者も当然に古い歌しか知らないから、昭和20年代のものが多くなるわけで、『ミネソタ~』もその1つだ。あとは昔の童謡、文部省唱歌あたりだが、東北大震災の復興応援歌『花は咲く』も含まれる。老人ホームには広い部屋があり、ピアノも置いているようで、合唱の日を楽しみにしている方々もいるようだ。

茨城にいた6年間は、町のはずれにある小さな丘の下に住んでいた。丘の上には女子高校(現在は共学)があった。近在の村からホッペタの赤い、いかにも健康な田舎娘たちが自転車で通学していた。時々、近所の子供仲間と丘へ登ってみることがあった。それが放課後の午後4時頃だったりすると、どこかの窓からコーラスの声が聞かれた。歌には茨城訛りは出なかった。きれいな音だった。私は中学3年生だった。町で出会う自転車の田舎娘たちではなく、ホッペタの白い、顔の整った少女が想像された。そういう想像をしたくなるような清潔感のある歌声だった。

「大声を出すと気持ちがいい」と家人が言う。その気持ちは充分にわかる。私の大声合唱は学生時代の神宮球場と軍隊酒場だった。みんなで唄うと、「これ、いい歌詞だなぁ」と感じることが多くなる。「銀翼つらねて 南の前線 揺るがぬ護りの 海鷲たちが…」だけで酔って来る。酒がまわるのがわかる。『ミネソタの玉子売り』を合唱したことはなかった。「玉子に黄身と白身がなけりゃ お代は要らない コッコッコッコッコケッコー」という締め括りの好い歌詞があるのだが。