中山道ひとり歩る記(旧中山道を歩く)

旧中山道に沿って忠実に歩いたつもりです。

・芭蕉の道を歩く
・旧日光街道を歩く

藤原氏三代の居館址:伽羅之御所跡と柳之御所史跡公園(芭蕉の道を歩く 62)

2019年10月07日 11時21分18秒 | 芭蕉の道を歩く
(平泉2)(伽羅之御所跡と柳之御所史跡公園)

自虐的に題名をつけたに違いない(奥の細道)ならぬ(芭蕉がたどる義経の道、奥の舗装道)は、
JRの「駅からハイキング」の題名である。

平泉駅に着くと、列車で遅れた人が十数人いて、
駅前には、のぼり旗と一関学院高校のガイド数人が待っていた。

参加手続きを終えて見渡すと、
「弁」の字の白旗を持った「弁慶」に扮した生徒と、
「秀」ののぼり旗を持った「秀衡(ひでひら)」に扮装した生徒がいるではないか。
聞く所によれば、遅れたボク達にはこの「弁慶」と「秀衡」が待っており、
9:15分に集まった人たちには、「義経」と「芭蕉」が同行したという。

(弁慶と)

(秀衡と)


駅を背に最初の路地を右に曲がり、しばらくすると踏切に出る。
踏切を渡ってすぐの場所が「伽羅之御所跡(きゃらのごしょあと)」である。

「奥の細道」で芭蕉は、

「秀衡が跡は田野(でんや)に成りて、金鶏山のみ形を残す」

と記しています。

ここには歴史的建物は残っておらず、
今では民家の生け垣と案内説明板が建っているだけである。

(案内説明板)


一関学院の女子生徒が、緊張のあまりか、たどたどしく説明をする姿が可愛い。

「伽羅の御所は「無量光院」の東門にあたり、秀衡が常の居場所でした。
みなさんは香木の伽羅をご存知でしょうか?
良い香りがする木でこの屋敷は造られていたそうです。
火事にあって今は跡かたもありませんが、
燃えた時は、あたり一面に良い香りがしたということです。」と解説の女子生徒。

藤原氏、「三代の栄耀一睡のうちにして・・・」と芭蕉が書いたように、
ここから北東にかけて、その「三代の栄耀」である藤原氏一門の屋敷があった。
今では「柳之御所史跡公園」として広大な屋敷跡があり、
その屋敷跡には、「吾妻鏡」に記された往時の政庁(平泉館)があった場所と思われている。
当時を思わせる泉水があり、礎石が点々と残され背景には、
京都五山の大文字山よろしく、「大」の字が見える東北の大文字山ー束稲山(たばしねやま)が緑深く黒々とそびえている。

(柳之御所史跡公園)

(柳之御所史跡公園2)

(柳之御所史跡公園3)

(柳之御所史跡公園の礎石が見える)

(柳之御所史跡公園の泉水)

(柳之御所史跡公園背景の束稲山)

(左手に大の字が見える大文字山の束稲山)


見学を終えて、一関学院の生徒が雑談で、
「史跡あとばかりで、建物が無くてピンと来ないでしょう。
説明のし甲斐がありません」と嘆く。

そこでボクは
「皆さんの案内説明があって、聞く観光客は往時に思いをめぐらせ、
頭の中に想像の世界を広げているのです。
気にすることはありません。」と応えた。
「この公園は広いですね。五千坪くらいあるのかしら」と尋ねると、
「五千坪と言うことはないでしょう、もっとありますよ」と返事。

建物はなくとも気にすることはない、広大な敷地があるのだから。

「次は世界遺産の(無量光院跡)へ参ります。」と言う。



平泉(芭蕉の道を歩く 61)

2019年10月05日 17時15分21秒 | 芭蕉の道を歩く
(一関学院高等学校 郷土史文化研究会の案内で歩く)

(平泉 1)
平泉へ行ってきました。
芭蕉が歩いた奥の細道は、東京深川―埼玉ー栃木ー福島ー宮城ー岩手と続きます。
福島まで進んで、その後、夏の暑さにかまけていました。
やっと涼しくなり、
宮城岩手方面に手ごろなツアーがないかと、探していたところ、
ありました。JR東日本の「駅からハイキング」に、

(一関学院高等学校 郷土史文化研究会企画)の芭蕉がたどる奥の舗装道)
奥の細道ならぬ奥の(ほそうみち)を高校生の案内で歩く企画。

ボクには打ってつけの企画だ。
くずるカミさんを連れて行くことにした。

そそっかしいボクのこと、何も見ずに申し込んでしまった。
申し込んでから気が付いたが、集合時間は平泉駅 朝8:45~9:15分。
東京の板橋から乗り物はどうする?

早速、時刻表を調べたら東北新幹線は、平泉駅には行かないことが分かった。
一ノ関駅で乗り換え、平泉に到着する。

(平泉駅)


午前9:15分までに平泉駅集合となると、

(東京駅発6:04発やまびこ号→一ノ関駅8:36着、
一ノ関駅発9:00→平泉駅9:09着)

集合時間に間に合うギリギリセーフの時間だ。
東京駅に六時前に到着するには、地下鉄の一番電車5:08発しかない。
そのように計画した。

考えると西村京太郎の推理小説のような計画であった。

所が当日、朝4時起きのはずが、30分遅れてしまい東京駅には間に合わず、
急きょ大宮駅で計画と同じやまびこに乗るよう変更した。
東京から大宮に列車は6:30分に到着するからだ。

埼京線下り5:24分発の電車で大宮に到着、
余裕でやまびこを待った。

所がなんと、列車は、工事車両の故障で30分遅れになるという。
当然、一ノ関駅に30分遅れで到着するし、
一時間に一本しかない一ノ関駅から平泉駅に行く電車に乗り換えることが出来ない。
(一ノ関駅)

(平泉駅方面行の臨時電車)


仕方がない、高校生のガイドはなくても、地図さえあれば一人で歩くことはできる。
一ノ関駅に到着したら、改札口の駅員さんが、
「平泉方面行きの臨時列車を9:42分に出すことにしていますから、
その便をご利用ください。」という。

平泉駅には行くことが出来るが、
JRの「駅からハイキング」には予約がしてあるから、
事情を話して「時間に間に合わない」連絡をしようと、
駅員さんに平泉駅の電話番号を聞いて電話すると、

平泉では、

「新幹線の遅れは承知していますので、
係りの人を待たせておきます」との返事。

思わぬハプニングに一関学院高校郷土史文化研究会の面々に迷惑をかけることになったが、
ありがたい対応であった。

(駅からハイキングの面々)


はらはらどきどきの平泉観光のスタートです。