(平泉2)(伽羅之御所跡と柳之御所史跡公園)
自虐的に題名をつけたに違いない(奥の細道)ならぬ(芭蕉がたどる義経の道、奥の舗装道)は、
JRの「駅からハイキング」の題名である。
平泉駅に着くと、列車で遅れた人が十数人いて、
駅前には、のぼり旗と一関学院高校のガイド数人が待っていた。
参加手続きを終えて見渡すと、
「弁」の字の白旗を持った「弁慶」に扮した生徒と、
「秀」ののぼり旗を持った「秀衡(ひでひら)」に扮装した生徒がいるではないか。
聞く所によれば、遅れたボク達にはこの「弁慶」と「秀衡」が待っており、
9:15分に集まった人たちには、「義経」と「芭蕉」が同行したという。
(弁慶と)
(秀衡と)
駅を背に最初の路地を右に曲がり、しばらくすると踏切に出る。
踏切を渡ってすぐの場所が「伽羅之御所跡(きゃらのごしょあと)」である。
「奥の細道」で芭蕉は、
「秀衡が跡は田野(でんや)に成りて、金鶏山のみ形を残す」
と記しています。
ここには歴史的建物は残っておらず、
今では民家の生け垣と案内説明板が建っているだけである。
(案内説明板)
一関学院の女子生徒が、緊張のあまりか、たどたどしく説明をする姿が可愛い。
「伽羅の御所は「無量光院」の東門にあたり、秀衡が常の居場所でした。
みなさんは香木の伽羅をご存知でしょうか?
良い香りがする木でこの屋敷は造られていたそうです。
火事にあって今は跡かたもありませんが、
燃えた時は、あたり一面に良い香りがしたということです。」と解説の女子生徒。
藤原氏、「三代の栄耀一睡のうちにして・・・」と芭蕉が書いたように、
ここから北東にかけて、その「三代の栄耀」である藤原氏一門の屋敷があった。
今では「柳之御所史跡公園」として広大な屋敷跡があり、
その屋敷跡には、「吾妻鏡」に記された往時の政庁(平泉館)があった場所と思われている。
当時を思わせる泉水があり、礎石が点々と残され背景には、
京都五山の大文字山よろしく、「大」の字が見える東北の大文字山ー束稲山(たばしねやま)が緑深く黒々とそびえている。
(柳之御所史跡公園)
(柳之御所史跡公園2)
(柳之御所史跡公園3)
(柳之御所史跡公園の礎石が見える)
(柳之御所史跡公園の泉水)
(柳之御所史跡公園背景の束稲山)
(左手に大の字が見える大文字山の束稲山)
見学を終えて、一関学院の生徒が雑談で、
「史跡あとばかりで、建物が無くてピンと来ないでしょう。
説明のし甲斐がありません」と嘆く。
そこでボクは
「皆さんの案内説明があって、聞く観光客は往時に思いをめぐらせ、
頭の中に想像の世界を広げているのです。
気にすることはありません。」と応えた。
「この公園は広いですね。五千坪くらいあるのかしら」と尋ねると、
「五千坪と言うことはないでしょう、もっとありますよ」と返事。
建物はなくとも気にすることはない、広大な敷地があるのだから。
「次は世界遺産の(無量光院跡)へ参ります。」と言う。
自虐的に題名をつけたに違いない(奥の細道)ならぬ(芭蕉がたどる義経の道、奥の舗装道)は、
JRの「駅からハイキング」の題名である。
平泉駅に着くと、列車で遅れた人が十数人いて、
駅前には、のぼり旗と一関学院高校のガイド数人が待っていた。
参加手続きを終えて見渡すと、
「弁」の字の白旗を持った「弁慶」に扮した生徒と、
「秀」ののぼり旗を持った「秀衡(ひでひら)」に扮装した生徒がいるではないか。
聞く所によれば、遅れたボク達にはこの「弁慶」と「秀衡」が待っており、
9:15分に集まった人たちには、「義経」と「芭蕉」が同行したという。
(弁慶と)
(秀衡と)
駅を背に最初の路地を右に曲がり、しばらくすると踏切に出る。
踏切を渡ってすぐの場所が「伽羅之御所跡(きゃらのごしょあと)」である。
「奥の細道」で芭蕉は、
「秀衡が跡は田野(でんや)に成りて、金鶏山のみ形を残す」
と記しています。
ここには歴史的建物は残っておらず、
今では民家の生け垣と案内説明板が建っているだけである。
(案内説明板)
一関学院の女子生徒が、緊張のあまりか、たどたどしく説明をする姿が可愛い。
「伽羅の御所は「無量光院」の東門にあたり、秀衡が常の居場所でした。
みなさんは香木の伽羅をご存知でしょうか?
良い香りがする木でこの屋敷は造られていたそうです。
火事にあって今は跡かたもありませんが、
燃えた時は、あたり一面に良い香りがしたということです。」と解説の女子生徒。
藤原氏、「三代の栄耀一睡のうちにして・・・」と芭蕉が書いたように、
ここから北東にかけて、その「三代の栄耀」である藤原氏一門の屋敷があった。
今では「柳之御所史跡公園」として広大な屋敷跡があり、
その屋敷跡には、「吾妻鏡」に記された往時の政庁(平泉館)があった場所と思われている。
当時を思わせる泉水があり、礎石が点々と残され背景には、
京都五山の大文字山よろしく、「大」の字が見える東北の大文字山ー束稲山(たばしねやま)が緑深く黒々とそびえている。
(柳之御所史跡公園)
(柳之御所史跡公園2)
(柳之御所史跡公園3)
(柳之御所史跡公園の礎石が見える)
(柳之御所史跡公園の泉水)
(柳之御所史跡公園背景の束稲山)
(左手に大の字が見える大文字山の束稲山)
見学を終えて、一関学院の生徒が雑談で、
「史跡あとばかりで、建物が無くてピンと来ないでしょう。
説明のし甲斐がありません」と嘆く。
そこでボクは
「皆さんの案内説明があって、聞く観光客は往時に思いをめぐらせ、
頭の中に想像の世界を広げているのです。
気にすることはありません。」と応えた。
「この公園は広いですね。五千坪くらいあるのかしら」と尋ねると、
「五千坪と言うことはないでしょう、もっとありますよ」と返事。
建物はなくとも気にすることはない、広大な敷地があるのだから。
「次は世界遺産の(無量光院跡)へ参ります。」と言う。