中山道ひとり歩る記(旧中山道を歩く)

旧中山道に沿って忠実に歩いたつもりです。

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芋虫の夕食(南部アフリカ紀行 3)

2008年01月21日 08時55分50秒 | 南部アフリカ紀行

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(夕食に出た芋虫/ボクのヴィデオから)

(サンセットクルーズ)
16時からのザンベジ川のサンセットクルーズは、飲み放題、食べ放題と言うが、
その後ホテルで民族舞踊を見ながらの夕食が待っているので、ほんのおつまみ程度にお腹に入れる。

乗船前に黒人の民族衣装に身を包んだ数人が、
(民族衣装とは上半身裸で、腰蓑をつけた例のターザンのジャングルに出てくる土人用の衣装
―-女性は、もちろんのことトップレスではなくビキニスタイルの上に腰蓑を着用)
笛や太鼓で踊りを披露して大歓迎してくれる。

しかし、あいにくの曇り空でサンセットは望むべくもない状態であった。
もし空が晴れ渡っていたら、ジャングルの向こうに沈む真っ赤な太陽が美しいはずであるが・・・
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(草むらで魚をくわえたワニ)
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(川面に姿を見せるカバ)

ジンバブエの船は国境を越えて、対岸のザンビア側に近寄る。
ザンベジ川の岸辺にはワニが寝そべっており、川底から時折カバが顔を出す。
野生のワニやカバを見るのは、日出る国のヤポネ(現地人は日本人に向かってそのように呼んだ)は、
始めての体験であるから嬌声があがる。
黒人の船長は苦笑している。彼らは毎日見ているのだ。
その船長が英語で歓迎の辞を述べ、英語で舟のロケーションなどを説明するのを異様に感じた。
アフリカの黒人は、ズールー語を話すものと思っていたからだ。

アフリカ人とは、ボクの頭の中では、ターザン映画に出てくる黒人のイメージしかない。
まさに、ターザン映画に出てくる黒人船長の説明によれば、
ザンビアとジンバブエはこのザンベジ川が国境になっている。
舟はジンバブエの国籍で、今は川の中心よりザンビア寄りを航行しているが、
ザンビアの入国管理局に許可をとることもありません、などとユーモアたっぷりに話しているが、
ヤポネの日本人にこの冗談が分からず笑うものは誰もいない。
日本でもそうだが、県境は川の中心であるように、アフリカの国境もザンベジ川の流心であった。

クルーズの客は、日本人だけでなくヨーロッパからの白人も混じっていたが、
昼寝をしているのか、寝そべって動きもしない鰐を見てもわれわれと同じように大騒ぎである。

この様子は、東海道新幹線で富士山を見つけた異邦人のようなものである。
サファリドライヴやボートサファリでも同じように案内する彼らは毎日見ているから、
動物を見つけると歓声を上げる観光客が馬鹿に見えるであろう。
でも、金儲けのため、あきらめ顔なのに違いない。

ザンビア川のサンセットクルーズを終わりホテルの夕食の席に着いた。
民族舞踊ショーを見ながらの夕食である。

ヨーロッパの国々で、ショウのある夕食の時は、
東洋人はいつも後ろのほうの見にくいところに座らされる。
ホテルの部屋もそうであるが、東洋人の部屋は裏通りに面した部屋で、見晴らしが悪いことが多い。

しかし、アフリカでは東洋人の肌の色が仲間意識を持たせるのか、
ホテルの部屋も特等室で見晴らしの良いところが選ばれ、
ショウ付きの夕食でも一番良い席が与えられた。
その昔奴隷として虐げられてきた遺恨が、未だ心の奥底に残っていて、
白人を避ける気持ちが働くのであろうか?

もっとも、アパルトヘイト(人種隔離政策)から開放されたのもついこの間の出来事であるから、
気持ちを察することは出来る。

話が脱線してしまったが、夕食はヴァイキング方式であったが、
中に「いも虫」が食事の一つとして提供されている。
むかし、現地人の唯一の蛋白源として摂取された(今では珍味?)といわれる。
野菜と一緒に炒めてある感じで、芋虫がそのまま野菜と一緒に沢山いた。
聞くところによれば、食べた人には「いも虫をよくぞ食べました」とその勇気を称えて、
証明書をくれるそうである。
見た目には芋虫そのものであるから、食べるにはかなり勇気が必要だ。
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(皿の右端が芋虫)

子供の頃食糧難で、蛙、蛇、でんでんむし、蜂の子など食べた経験から、
芋虫を食べるなんて千載一遇のチャンスとばかり、二匹ほど口に入れた。
味はどうだといわれると、返事に窮する。
なんともいえぬ味である。それに噛めば噛むほど味が出る。
他に比較のしようのない味であった。

翌日、夕食は別のレストランであったが、やはり芋虫は用意してあり、
こちらは半熟の芋虫で、噛めば中からプチュッと中身が出てきそうで、
さすがに口に入れる勇気はなかった。

こうしてアフリカにだんだん慣れていくことになる。
一ヶ月もいれば、芋虫もおいしいおいしいと舌鼓を打って食べることが出来るに違いない。