(奥の細道【20】松島2)
瑞巌寺方面に歩くと、三陸三十三観音 第二番札所 瑞雲峰天麟院がある。
ここは伊達政宗公長女 伊達五郎八姫(いろはひめ)霊廟の地である。
政宗と愛姫(めごひめ)の長女で徳川家康の六男松平忠輝の正室。
後に離別となり、仙台に戻り落飾後、天麟院と名乗った。
五郎八姫(いろはひめ)とは、母正室愛姫が生まれた女の子に男名をつけると、
次は男子が生まれると言ういわれから五郎八姫と名付けたと言う。
(天麟院)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/34/d29e6c527d55914b92edb002ce2bfa72.jpg)
この五郎八は女性に付けた名として、有名である。
銘酒の名前にもなっている。しかしこちらは名前は「五郎八」でも、
呼び方は「ごろはち」、お酒は期間限定の濁り酒で新潟の銘酒。
話が飛んでしまったが、天麟院の隣に円通院がある。
伊達政宗の孫 光宗の菩提寺。文武に優れ将来を嘱望されていたが、
19歳の若さでこの世を去った。
庭は小堀遠州の作と伝えられ、紅葉が美しい。
(円通院と紅葉)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/5e/779bd0601e5c38b62186f11ca93f81dd.jpg)
その先に、修行僧の岩窟があり、石碑がいくつも並んでいることは、
前回述べた。
そして瑞巌寺の受付がある。
(修行僧の岩窟と石碑)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/1d/53d0fcb585844eac90685a79b396c639.jpg)
(修行僧の岩窟と石碑2)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/77/4d84ea10f38cddb4df85777fa6d2f025.jpg)
受付で拝観料を納め、奥を覗くと本堂が見えない。
よくよく見ると本堂は幕で覆われ、ただいま修復中と言う。
(修復中の本堂)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/c0/d81a88f6d7c5d789440906e9639cefd4.jpg)
(幕に画かれた本堂)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/a9/409e5dce124c5f2eff1ba3362343c632.jpg)
(受付)の反対側に修行僧の洞窟があり、格子戸で覆われている。
法身窟(ほっしんくつ)という。
(法身窟)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/40/584ae0158920abba5e69c5c1a3f943c8.jpg)
説明板によれば、
「鎌倉時代、北条時頼が、
後に臨済宗円福寺(現瑞巌寺)の開山となる法身性西
(俗に真壁平四郎)と出会った場所と伝えられている。
正安二年(1300)京都嵯峨天龍寺開山の夢想国師がここを訪れた時、
無人の窟内から天台止観を講ずる声が聞こえたと言う。
窟内には時頼の法名碑・当山中興雲居国師行状碑・
三陸海嘯供養碑が所狭しとおさめられている。」とある。
法身窟の格子戸前の左側には、観音菩薩立像が線刻された石碑がある。
(線刻の観音菩薩像)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/d6/7e2330f5ca91e3025e5b68dafd640f6d.jpg)
受付の前を抜けて、養生シートでで覆われた修復中の本堂へ向かい、
手前で右折すると、右手に宝物館があり、左手に国宝の庫裡がある。
本堂が工事中で庫裡には入場できるようで、
ガードマンの案内で靴を脱いでスリッパに代え入場すると、
目の前にガラス箱に入った観音様が「いらっしゃい」と挨拶している。
順路通りに進むと、
次は仮本堂になっている大書院である。
大書院には、
伊達家三代綱宗から十三代斉邦、および各正室の位牌が所狭しと置かれている。
一方には、三代開山の木造および藩祖の位牌を置く。
説明に、
「左は仙台藩祖伊達政宗の位牌。「瑞巌寺殿前黄門貞山利公大居士神儀」は、
瑞巌寺を建立した功績によって名づけられた。
62万石の祖ににふさわしい大きさ・華麗さで、
迦陵頻伽(かりょうびんか)(*)を脇に彫り出す。
黄門は中納言の中国名。神儀は大名への位号で神と同義、
揮毫は雲居禅師。」とある。
右側は、政宗の嫡男、二代忠宗の位牌である。
(*)迦陵頻伽(かりょうびんか)は想像上の鳥。極楽に住むと言う人頭鳥身。(Wikipediaより)
(国宝の庫裡)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/a1/37894e4447261d21b7714d6fd253ae36.jpg)
(庫裡内の観音像)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/7e/42cce912f6a98d3acdf9e62a77eee20f.jpg)
(伊達家歴代と各正室の位牌)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/01/fac0d5c7b7a047bf4da3d527dfadb918.jpg)
(開山上人像)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/49/fa162cae0fcf20aa0de30922a32a961a.jpg)
(伊達政宗の位牌、右側は二代忠宗の位牌)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/32/1ae0285335cfb9b0dbf4dcfe551ba855.jpg)
位牌の横に普段は本堂の文王の間の欄間にある額が飾られている。
額には虎哉和尚の撰文による「松島方丈記」が記されている。
額に記されてボクに読める部分は、
「夫松島者日本第一佳境也。四囲皆山也。山間皆海也。水光瀲灔(れんえん)、
疑是大湖三萬六千頃。山色清浄者、望則波心七十二峯。青海中数百の島嶼、
山畔許多之家、奇石怪松茂林脩竹、其風景也可愛可楽。
寔天下霊地也。(後略)」とある。
(欄間の額)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/a9/084c1484f051caf933a0bbfeb752ed29.jpg)
現代文にすると、
「およそ松島は日本第一の景色の佳い所である。四方みな山に囲まれ、
山の間はみな海である。海の水は光に映え、海の中に数百の島あり。
山は清らかで、波間に72峰を数える。
山のほとりには若干の人家軒をつらね、その風景愛すべし、楽しむべし。
唐土西湖三万六千頂か、いつ見ても初めて向かうように思える。
まことに天下一の霊地である。」でしょうか。(拙文お許しを)
床の間には、「半身達磨図」の掛け軸があり、
「純一無雑」と書かれ、これは純粋そのもの百%で、
余計なものは一つも混在しないと言う意味で、
禅宗の修行は純一無雑であることを示しているそうである。
その隣に「関」の字の衝立がある。
関は閉ざし、侵入を防ぐ事。
その閉ざされた場所をいかに通るかが、禅の問題で、
家屋の入口を「玄関」いうのは、この問題に発しているという。
(「半身達磨図」掛け軸)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/36/6ff8a939e34b2d9eefe37f3a5f70a73c.jpg)
(「関」の字の衝立)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/68/12eead863e6fabab88fe750f77d96b05.jpg)
この時期、特別公開されている伊達政宗の正室 陽徳院田村氏愛姫(1568~1653)の
墓堂 寶華殿を拝観する。
庫裡を出て東へ向かうと物々しく監視小屋があり、
そこには修行中か若いお坊さんが、番人として監視している。
その前を通り、修行道場の横を抜けて裏山に行く。
かなりの階段を上るとその上に目指す「寶華殿」はある。
荘厳な墓堂ではある。
(修行道場入口)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/a3/b6e61471ece200e663ce0071aac7709f.jpg)
(修行道場)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/c8/39ffb1e0310614ab4bb0656ded941687.jpg)
(裏山への道)![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/1b/d990d0cfd1542e15b683d41e219ac189.jpg)
(階段の上の寶華殿)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/a1/6ff5e4093a2ae88d92cd644b0bf20ade.jpg)
(伊達政宗正室 愛姫(めごひめ)の立派な墓堂 「寶華殿」)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/51/3df8151da08a9fcaff0b5e2c4a171bde.jpg)
瑞巌寺は伊達家の菩提寺であるが、正妻の墓堂はあっても、政宗のお墓はない。
独眼竜 伊達政宗の遺体は、別途、仙台市の経ヶ峰にある瑞鳳殿に埋葬されている。
瑞巌寺方面に歩くと、三陸三十三観音 第二番札所 瑞雲峰天麟院がある。
ここは伊達政宗公長女 伊達五郎八姫(いろはひめ)霊廟の地である。
政宗と愛姫(めごひめ)の長女で徳川家康の六男松平忠輝の正室。
後に離別となり、仙台に戻り落飾後、天麟院と名乗った。
五郎八姫(いろはひめ)とは、母正室愛姫が生まれた女の子に男名をつけると、
次は男子が生まれると言ういわれから五郎八姫と名付けたと言う。
(天麟院)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/34/d29e6c527d55914b92edb002ce2bfa72.jpg)
この五郎八は女性に付けた名として、有名である。
銘酒の名前にもなっている。しかしこちらは名前は「五郎八」でも、
呼び方は「ごろはち」、お酒は期間限定の濁り酒で新潟の銘酒。
話が飛んでしまったが、天麟院の隣に円通院がある。
伊達政宗の孫 光宗の菩提寺。文武に優れ将来を嘱望されていたが、
19歳の若さでこの世を去った。
庭は小堀遠州の作と伝えられ、紅葉が美しい。
(円通院と紅葉)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/5e/779bd0601e5c38b62186f11ca93f81dd.jpg)
その先に、修行僧の岩窟があり、石碑がいくつも並んでいることは、
前回述べた。
そして瑞巌寺の受付がある。
(修行僧の岩窟と石碑)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/1d/53d0fcb585844eac90685a79b396c639.jpg)
(修行僧の岩窟と石碑2)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/77/4d84ea10f38cddb4df85777fa6d2f025.jpg)
受付で拝観料を納め、奥を覗くと本堂が見えない。
よくよく見ると本堂は幕で覆われ、ただいま修復中と言う。
(修復中の本堂)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/c0/d81a88f6d7c5d789440906e9639cefd4.jpg)
(幕に画かれた本堂)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/a9/409e5dce124c5f2eff1ba3362343c632.jpg)
(受付)の反対側に修行僧の洞窟があり、格子戸で覆われている。
法身窟(ほっしんくつ)という。
(法身窟)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/40/584ae0158920abba5e69c5c1a3f943c8.jpg)
説明板によれば、
「鎌倉時代、北条時頼が、
後に臨済宗円福寺(現瑞巌寺)の開山となる法身性西
(俗に真壁平四郎)と出会った場所と伝えられている。
正安二年(1300)京都嵯峨天龍寺開山の夢想国師がここを訪れた時、
無人の窟内から天台止観を講ずる声が聞こえたと言う。
窟内には時頼の法名碑・当山中興雲居国師行状碑・
三陸海嘯供養碑が所狭しとおさめられている。」とある。
法身窟の格子戸前の左側には、観音菩薩立像が線刻された石碑がある。
(線刻の観音菩薩像)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/d6/7e2330f5ca91e3025e5b68dafd640f6d.jpg)
受付の前を抜けて、養生シートでで覆われた修復中の本堂へ向かい、
手前で右折すると、右手に宝物館があり、左手に国宝の庫裡がある。
本堂が工事中で庫裡には入場できるようで、
ガードマンの案内で靴を脱いでスリッパに代え入場すると、
目の前にガラス箱に入った観音様が「いらっしゃい」と挨拶している。
順路通りに進むと、
次は仮本堂になっている大書院である。
大書院には、
伊達家三代綱宗から十三代斉邦、および各正室の位牌が所狭しと置かれている。
一方には、三代開山の木造および藩祖の位牌を置く。
説明に、
「左は仙台藩祖伊達政宗の位牌。「瑞巌寺殿前黄門貞山利公大居士神儀」は、
瑞巌寺を建立した功績によって名づけられた。
62万石の祖ににふさわしい大きさ・華麗さで、
迦陵頻伽(かりょうびんか)(*)を脇に彫り出す。
黄門は中納言の中国名。神儀は大名への位号で神と同義、
揮毫は雲居禅師。」とある。
右側は、政宗の嫡男、二代忠宗の位牌である。
(*)迦陵頻伽(かりょうびんか)は想像上の鳥。極楽に住むと言う人頭鳥身。(Wikipediaより)
(国宝の庫裡)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/a1/37894e4447261d21b7714d6fd253ae36.jpg)
(庫裡内の観音像)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/7e/42cce912f6a98d3acdf9e62a77eee20f.jpg)
(伊達家歴代と各正室の位牌)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/01/fac0d5c7b7a047bf4da3d527dfadb918.jpg)
(開山上人像)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/49/fa162cae0fcf20aa0de30922a32a961a.jpg)
(伊達政宗の位牌、右側は二代忠宗の位牌)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/32/1ae0285335cfb9b0dbf4dcfe551ba855.jpg)
位牌の横に普段は本堂の文王の間の欄間にある額が飾られている。
額には虎哉和尚の撰文による「松島方丈記」が記されている。
額に記されてボクに読める部分は、
「夫松島者日本第一佳境也。四囲皆山也。山間皆海也。水光瀲灔(れんえん)、
疑是大湖三萬六千頃。山色清浄者、望則波心七十二峯。青海中数百の島嶼、
山畔許多之家、奇石怪松茂林脩竹、其風景也可愛可楽。
寔天下霊地也。(後略)」とある。
(欄間の額)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/a9/084c1484f051caf933a0bbfeb752ed29.jpg)
現代文にすると、
「およそ松島は日本第一の景色の佳い所である。四方みな山に囲まれ、
山の間はみな海である。海の水は光に映え、海の中に数百の島あり。
山は清らかで、波間に72峰を数える。
山のほとりには若干の人家軒をつらね、その風景愛すべし、楽しむべし。
唐土西湖三万六千頂か、いつ見ても初めて向かうように思える。
まことに天下一の霊地である。」でしょうか。(拙文お許しを)
床の間には、「半身達磨図」の掛け軸があり、
「純一無雑」と書かれ、これは純粋そのもの百%で、
余計なものは一つも混在しないと言う意味で、
禅宗の修行は純一無雑であることを示しているそうである。
その隣に「関」の字の衝立がある。
関は閉ざし、侵入を防ぐ事。
その閉ざされた場所をいかに通るかが、禅の問題で、
家屋の入口を「玄関」いうのは、この問題に発しているという。
(「半身達磨図」掛け軸)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/36/6ff8a939e34b2d9eefe37f3a5f70a73c.jpg)
(「関」の字の衝立)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/68/12eead863e6fabab88fe750f77d96b05.jpg)
この時期、特別公開されている伊達政宗の正室 陽徳院田村氏愛姫(1568~1653)の
墓堂 寶華殿を拝観する。
庫裡を出て東へ向かうと物々しく監視小屋があり、
そこには修行中か若いお坊さんが、番人として監視している。
その前を通り、修行道場の横を抜けて裏山に行く。
かなりの階段を上るとその上に目指す「寶華殿」はある。
荘厳な墓堂ではある。
(修行道場入口)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/a3/b6e61471ece200e663ce0071aac7709f.jpg)
(修行道場)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/c8/39ffb1e0310614ab4bb0656ded941687.jpg)
(裏山への道)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/1b/d990d0cfd1542e15b683d41e219ac189.jpg)
(階段の上の寶華殿)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/a1/6ff5e4093a2ae88d92cd644b0bf20ade.jpg)
(伊達政宗正室 愛姫(めごひめ)の立派な墓堂 「寶華殿」)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/51/3df8151da08a9fcaff0b5e2c4a171bde.jpg)
瑞巌寺は伊達家の菩提寺であるが、正妻の墓堂はあっても、政宗のお墓はない。
独眼竜 伊達政宗の遺体は、別途、仙台市の経ヶ峰にある瑞鳳殿に埋葬されている。