中山道ひとり歩る記(旧中山道を歩く)

旧中山道に沿って忠実に歩いたつもりです。

・芭蕉の道を歩く
・旧日光街道を歩く

塩釜での昼食(芭蕉の道を歩く 50)

2015年02月18日 10時54分34秒 | 芭蕉の道を歩く
(奥の細道【19】塩釜神社)
多賀城で思わぬ時間を取ってしまったが、
塩釜に美味しいお寿司屋さんがあるとタクシーの運転手さんに聞いて、
多賀城駅で正午を過ぎてしまったが、
お腹を空かしたまま仙石線の本塩釜駅まで行く。

本塩釜駅では、塩釜神社へ行くのか、大勢の人が電車を降りる。
みなさん、お寿司が美味しいと聞いて、
食べに来たのだろうか。

(本塩釜駅)


しかし、駅に下りた人たちが駅員さんに何か訊ねる事もなく、
寿司屋に行く訳でも無さそう。
ボクたち夫婦は、一番後ろから改札口を出る。
駅員さんに、
「ここに美味しいお寿司屋さんがあると聞いたのですが、
どこが美味しいのか教えていただけますか?」
聞いてみると、駅員さんは困った顔をしている。
「多賀城で聞いたのですが、塩釜の駅で聞けば駅員さんが美味しいお寿司屋さんを、
教えてくれるとか」そう云うと、
「その道を左に行って出た所に緑色の建物があります。
そこへ行かれたらどうですか。」と云う。
道は教えてくれたが、個別に店の名前を言うのは、
憚られるようであった。
駅を出ると目の前に観光物産案内所がある。
御釜神社と塩釜神社までの地図をいただく。
そこに「塩竃 寿司めぐり」なるパンフレットが置いてあった。

(駅前のローターリー)

(その道と言われた寿司屋へ行く道路)


有り難うとお礼を言って、教えられたように行くと、
駅員さんが言う通りに、「すし」の暖簾がかかった建物の前に人が並んでいる。
ここだと思って並ぶと、
「何人、何人、...」と、お店の人が聞いて、
「お二階でよいですか、お二人さんお二階!」と二階へ案内された。
ボク達以外は皆「おひとりさん」であった。
お店の中は寿司ネタの前にカウンターがあって、
満席であったが、それほど広くない。
二階へ行く通路も狭く人ひとり通れる程度。

なのに、
「突き当りのエレベーターでお二階へどうぞ」と言う。
一人しか通れない通路の、突当りにエレベーターの扉らしきものが見える。
進むとエレベーターの手前は、二階への階段になっていて、
従業員が寿司やお茶を運んでいる。
お客様はエレベーターを使うらしい。

エレベーターに乗ると、何と5階までボタンがある。
二階を押して、出ると二階の座敷があり、ここもお客様であふれている。
30人くらいは居る。
「ボクは足をたたんで畳に座れないんですが・・・」と云うと、
「ちょうど掘りごたつの席が空いていますよ」と勧められほっとする。
メニューを貰って中を見ていると、
「特上七人前!」と大きな声で奥の席の人達に寿司を配っている。
「ボクにも同じものを・・」と注文した。

(注文した寿司)


ずいぶん待って、注文した寿司が来た。
「ずいぶん時間がかかりましたね。職人は十人くらいいるのですか?」
「普段は居るのですが、今日から名古屋のデパートへ、出張しているので、
手薄なんです。」という。
「名古屋では、お客さんもうるさいのが多いから大変ですね。」とボク。
名古屋の人は食べ物にうるさい。

食べるのは待つ時間より早い。
さっさと食べて代金を払って出た。
外にはまだ何人も並んでいる。
振り返って見ると確かに五階まであるビルであった。

(お寿司屋さんの箸袋ー寿司を握る手の図案が店名)


量としては、少し物足りなかったが、期待したせいもあって、
味はまずまずであった。

このブログを書いた後、テレビニュースで塩釜の復旧を取り上げていたなかで、
この寿司屋さんが出てきたので、お店の名前も載せておきたい。
箸袋の判じ絵は、寿司を握る手(て)と仮名の(つ)で、(てつ)と読み、
店名は(すし哲)でした。

思いがけなかったのは、その夜のビジネス・ホテルの食堂で食べた「刺身御前」、
お昼のお寿司より安かったのに、この刺身の美味しかった事、
帰ってからも、何度もカミさんと噂したほどであった。

残念ながら写真はありません。