森の中のティータイム

離婚を経験し子供達も独立 
暮らしの小さな発見をノートに。

プライドと偏見

2007-12-14 | 映画ドラマ
昨日、友人がお歳暮用の品を選びにデパートに行くというので
私はお歳暮など全くしないけど、一緒に出かけることにした。
ランチを食べた後、1時50分には友人が帰ってしまったので
私は本屋に直行(笑)

最近はヨーロッパなどの美しい田園風景が以前にも増して好きになり
ガーデニングの本なども手にしたけれど、やはり私はそれよりも
自然がふんだんに堪能出来る方が好きなようだ。
そのせいなのか家に急ぎ帰り、夕飯の仕度をした後
友人が録っておいてくれた映画「プライドと偏見」で、
美しいイギリスの豊かな緑を楽しむことにした。

ストーリーは昔のドラマ「高慢と偏見」を観ていたので知っていたが、
ミスター・ダーシー役がどうにも今回はしっくりこない。
コリン・ファースの時は、その高過ぎるプライドに隠れた、人の本質を
観抜く目とか、一見クールに見える振る舞いの内側にある愛や優しさが
演技に滲み出ていて、主人公がぐんぐん惹きつけられていく過程が
観る側にも納得できたけれど、映画の方の役者さんには今ひとつ
深みが見られなかった。

この映画の見所の一つは、キーラ扮するエリザベスと姉以外の姉妹たちの、
人として持つべきプライドの質の違い。
この時代の女性には仕方ないことかもしれないが、母親と妹たちは
結婚が人生の全てと信じ、財産や身分によってあからさまに人を判断し
結婚相手のそれこそが、彼女たちのプライドの基盤なのだ。

しかしエリザベスはその時代の中にあっても、自分の考えを持ち
相手の身分に関係なく自らの意志を毅然として伝えられる女性。
地位や財産のある人間にだけひれ伏すような卑しい人間にはならない
ことこそが、彼女のプライドだった。

私はドラマの方の日本語タイトルに、なぜ「高慢」という言葉を使ったのか
ずっと不思議に思っていた。
高すぎるプライドは確かに高慢とも思えるが、プライドと高慢は
似て非なる言葉だし、作品のテーマの重要な部分だからだ。

この時代に限らず、女性が自分の意見をきちんと述べることは
生意気だとか出しゃばりだとか言われることも多い。
確かに、相手をねじ伏せヒステリックに自分の意見を押し通す女性は
同じ女性から見ても醜いけれど、生活の細かなこと以外、
自分の考えを持たないことが美徳とばかりに、男性の前で楚々とした
女性を演じるのはもっと醜く悲しい。

ドラマでは、エリザベスを愛するようになったダーシーが、彼女の誇りを
傷つけたことを心から詫びるシーンがあった。エリザベスも気持ちを
ありのままに伝え、二人は人として対等に向き合いお互いを認める。
傲慢な女の目的と、聡明な女性の求めるものの違いは、まさにここだという
気がして、観ていて気持ちよい。

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