森の中のティータイム

離婚を経験し子供達も独立 
暮らしの小さな発見をノートに。

「死ぬのは怖くない」

2021-07-13 | 映画ドラマ

ホスピスが舞台のドラマ「ライオンのおやつ」を観ている。
このドラマの原作者である小川糸さんは、「人は誰でも死ぬ。死に対する恐怖を取り去る
物語を書きたかった。」と語る。そして言葉通り、このドラマにはそういったテーマに則
して、現実では恐らくないだろうと思われるホスピスでの「死を迎える直前の人たち」を
柔らかな目線で描いた。

前回の放送では、孫のふうちゃんと同じ8歳の女の子の「死」がテーマだったので、涙なし
ではとても観られなかったけれど、このドラマが描くそれは悲しいだけではなく、観た後に
心に風が吹き抜けるような感覚が残った。こういった物語にありがちな「重苦しさ」とは少
し違って、救いのようなものが残った。

このドラマの第一回目の放送と前後して、「NHKスペシャル 立花隆追悼番組「臨死体験 
立花隆 思索ドキュメント 死ぬとき心はどうなるのか」を観た。
立花氏はこれ以前の「臨死体験」での取材当時から、死ぬと「心」も消えると考えていた。

立花さんのこの思索の旅も、最初は天国のような所を観たという臨死体験をした人達への
取材から始まり、それに続いて心は脳にあるのか、人の考えは脳から生まれるのか等々、
様々な主張をする科学者や研究者を訪ね歩き、それらを証明しようとする実験を目の当た
りにしたり、ある時は自身も実験に参加した。

けれどもつまるところ、それに対する明確な答えを導き出そうというより、ある意味、彼
のような立派な人間であっても、自身の体を蝕んでいる病がやがてもたらすであろう「死」
に向き合うための「心の救い」を求める旅であったように思う。「死」が、ただ自分の心が
消えてなくなることを意味するのなら、受け入れ難いことだろうと思う。

彼の「神秘体験の中で自分より偉大なものを感じる感覚はどこから来るのでしょうか」
という問いに対し、ケンタッキー大学のケビン・ネルソン教授は
「神秘的な感覚は辺縁系で
起こる現象なのです。死の間際、辺縁系は不思議な働きをします。眠りのスイッチを入れる
と共に覚醒のスイッチを入れる、言わば白昼夢の状態になる。

それにより、人は幸福感に満たされ、それを現実だと信じるような強烈な体験をする。
それは人が長い進化の過程で獲得した本能に近い現象ではないかと思います。
しかし科学とはそもそもどのような仕組みなのかを追求するものであり、何故そのような仕
組みが存在するのかと問われても答えられません。」

「神秘的な体験をする時、脳がどのように働くのかという科学的事実は、誰の信念も変える
ものではありません。脳は必ず神秘的な体験に参加するようにできているのですから。しか
しそれぞれの人が体験した神秘を、どう受け止めるのかは、必ずしも科学で証明する必要は
ないのです。臨死体験をして亡きお母さんにあった時、それをお母さんの魂と受け止めるの
か、お母さんについての記憶だと受け止めるのか、それはその人にしか決められない心の問
題です。その人の信念の問題なのです。」
と、穏やかに語った。

「人が死ぬ時に何があるのか」この、人が求める永遠の疑問に対して、最終的に立花氏が導
かれたのは、
「人の意識は脳内の膨大な神経細胞のつながりによって生まれる 
死の間際、特別な感覚を持ち神秘的な体験をするように脳の仕組みが出来ている
臨死体験とは誰もが死の間際に夢見る可能性がある奇跡的な夢である」

「死とともに自分の心は消えるかもしれない。しかし自分が死ぬとき、どんな思いで死に臨
んだら良いのか。それは科学でも宗教でも答えの出ない問題である。
人間は死ぬとき何を体験するのか。死の向こう側にはいったい何があるのか。何もないかも
しれないけれど、もしかしたら何らかの死後の世界があるのかもしれない。

死ぬということはそれほど怖い事じゃないということが以前より強くわかった。人生の目的
というのは結局『心の平安』ということが最大の目的なのだが、人間の心の平安を乱す最大
のものというのが、自分の死について想念、頭を巡らせること。今は心の平安をもって自分
の死を考えられるようになった。いい夢をみたい。観ようという気持ちで人間は死んでいく
ことが出来るのではないかと思えるようになった」と締めくくった。

私自身は以前学んでいた聖書の影響で、「魂は声や顔、肉体を含むその人の個性であり、
思いであり、死と同時に(神に)取り戻される」という解釈をしていた。なので、よく言
われる死後に残る「怨念」とか、「霊魂」とかいったものに脅かされることもなく居られ
た気がする。「すべての人の死は、完全に眠った状態」だと思っているからだ。

この日記で、私がしばしば亡くなった方に「またいつか」と言ってしまうのは、「生まれ
変わったら」という意味合いではなく、その人の個性や人格のままの「復活」を願っての
ことであり、そして自分自身を含めてすべての人に復活があるとも思っていないので、お
互いに再会できたらいいねという意味で使っている。同様に「安らかに」というのも、そ
の後には「お休みください」の言葉が隠れている。イエスのような「復活」を望むなら、
「善く生きよう」とも思える。

それでも、昨日まで言葉を発していた親しい存在が、突然消えてしまうことを易々と受け
入れられないのも事実だし、だから人は天国の存在を信じたがるのも理解できる。亡くな
る人も見送る人もそう思うだけで心が安らぐ。だから人の死生観を否定はしない。

だけど、何時か目覚める可能性を含む「完全な無の状態の眠り」に居るのだとしたら、
「死」は必ずしも「恐ろしいもの」ではなくなる。
以前私が「死ぬこと自体は怖くない」と言ったのは、そう思っているからだ。


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4 コメント

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Unknown (みなあん)
2021-07-14 00:00:13
ライオンのおやつ、ご紹介いただき感謝です。
3回目の再放送を含め、次の日曜日から観ることにしました。
立花隆さんのドキュメンタリーは昔から好きで、今回の追悼番組も撮りためて少しづつ観ています。
臨死体験の番組に関しては、別のもっと共感できるものもあったと記憶しています。(Nスペ以外かも)
wildroseさんの死後感は、とても深いと思いますし共感できます。
私自身の死後感はキリスト教の信仰に基づくものなので、幸いに死んだ後のことは心配していません。
もちろんこの後の人生や、死の直前の苦痛などには、信仰が未熟なので不安もあります。
でも「臨死体験は冒険」という言葉がありましたが、私も死への道程と死後の世界は冒険だと思っています。
wildroseさんがまた聖書に親しむ祝福を、神様から贈られますように!
返信する
みなあんさん 有難うございます☆ (wildrose)
2021-07-14 13:05:37
私も幾つか前の日記で記したように、死ぬこと自体は全く怖くないのですが
こんな年齢になっても未熟なので、「断末魔の苦しみが怖い」のでしょうね;

「臨死体験」は聖書の記述にはないと理解していますが、
もしかしたら神が人間に与えた贈り物なのかもしれませんね。(認知症もその一つかもと思えたりします;)

私は結婚式こそ当時珍しかったカトリック教会で挙げましたが
「本当の意味で」聖書に触れたのは40年近く前でした。
当時は夫とのことで身体にも様々な変調をきたし、またある種の癌の疑いもあり
結果が出るまでの間、初めて「死」を身近に感じるようになっていたころでした。

活字中毒だった私は、そういう経験をした多くの人が求めるように
死に関する精神論や哲学書のいくつかを読んでみたりしました。
なので、立花さんのこの旅の意味を少しは理解できる気がしました。

そういう中で一番心に馴染んだのが「聖書」でした。
聖書は読破したからと言って「理解」できるものではなく、
記述に関する膨大な「解釈」が存在することも知られていますが、
「三位一体」の解釈一つをとっても、様々な理解が存在することなどを知りました。

キリスト教が同じ聖書を軸としながらも、教派間の争いの絶えないことは、私にはとても不思議に思えました。
「聖母マリア」を崇拝する「カトリック」が他の教派とは異なることや
またある教派は強く政治に関与したり、時に権力を振りかざしたり、
多くを知るにつけ、本当にこれらが神の意図したことなのかと。

なので、私はそういった会派とか教派に入りたいのではなく、
「心の平安を得るべく」聖書に綴られた「真理」が知りたかったのだと思います。
幸いなことに、すぐに姉が学んでいたクリスチャンの一派で学ぶ機会を得ることが出来ました。

ですが、それはあくまでも「学ぶ機会」であり、上記の事を踏まえて
私はその「組織」に属すことを選びませんでした。
なので自分をクリスチャンとは言えませんが、
聖書は最も心の糧となる書物だと信じています☆
「ライオンのおやつ」、主人公の身に着けた衣類も本当に素敵で、どうやら話題になっているらしいですよ!
返信する
Unknown (みなあん)
2021-07-14 20:39:52
お子様達を守りながら、ご主人のことで心と身体に痛みを抱えられていた毎日は、どんなに過酷だったことでしょう。(涙)
そんな中で活字、特に聖書に安らぎがあったなら、その時も今も神様はそばにおられますし、いつか必ず「時」が来ると信じます。
私も聖書の記述やキリスト教の歴史には、疑問や矛盾を感じますよ。
でも、信頼と期待はキリストにすべきで、キリスト教の信徒にではないんですよね。
信徒は「罪許された罪人の集まり」ですので。
ところで聖書を開くことは素晴らしいですし、私も毎日通読しますが、ネットも便利ですよ。
私のお勧めは、「BBN聖書放送」「聖書チャンネルBRIDGE」「聴くドラマ聖書」です。
特にBBNのオンデマンド放送は、数分の番組から色々あるので、家事や入浴のお供に、ながら聴きで楽しく使えますので是非お試しを!

話は変わりますが、大谷翔平くんの活躍の素晴らしいこと!
彼の爽やかさは国宝級ですよね!
あと、wildroseさんのお陰で(せいで?)好きになったBTS(特にテテくん)、凄いダンス曲がたくさんあって、マイケルの血脈が意識せずとも受け継がれていて楽しいです!
長々と雑談、失礼しました〜。
返信する
返信遅くなりました^^; (wildrose)
2021-07-15 22:16:20
今朝出かける直前にコメントをチェックしていましたが、ようやく一息つけたところです。
今回も様々な情報を教えていただき、有難うございます☆(まだ、ざっとコンテンツを見ただけですが;)

実は少し前も、元同僚の勧めでキリスト教について述べているサイトを見つけました。
「アーメン」を、「それな!」とか「せやな!」などと分かりやすく説明していて、
「たしかに」と思わず吹き出しました。
世の中には様々な組織があるものだと感心しました。
仰る通り、私が組織に属さない理由の一つは、自分の未熟さゆえに「人に躓く」可能性があるからでした。

ガンジーのように、宗教は同じ真理に到達する別々の道であると説く人も多いし
また、万物に神が宿ると説くゲーテのような考えも多く存在しますが
私は「神」は一人だと考えています。
他の宗教にも、聖書からの引用かと思えるほど似通う箇所がありますが、
それだけに、最も古い書物と言われる聖書は調べれば調べるほど奥深いものだなと。
もっと知識を深めることができたなら、みなあんさんとももっと近づけるかもしれませんね☆

さて、テテくん。BTSはこちらでも割と早く取り上げさせていただきましたが
何しろ私はマイケルのレガシーが受け継がれていく様を観るのが嬉しいので
彼らの一人ひとりをちゃんと観たことがありませんでしたww
なので、テテ君が誰やら全く顔の判別が出来ません;(私のせいなのに;ごめんなさ~い)

大谷君は、私も大好きです☆ホント、国宝級です☆
彼に倣って、今日スーパーで、他の人が放ったらかしにしたカートを
自分のと一緒に所定の場所に戻してやりました(エヘン=3)ww
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