森の中のティータイム

離婚を経験し子供達も独立 
暮らしの小さな発見をノートに。

帰り道の猫

2017-12-18 | 動物
通勤時通る道に、お地蔵二体をまつる小さなお堂がある。
御堂と言っても、低い屋根に風除けにもならないコの字型の壁で囲っただけのもので、
時々お年寄りがその中に座っているのを見かける。

最近、その中の薄くてくたびれた座布団の上に小さな三毛猫が眠っているのを見かけるよ
うになった。 小さくても仔猫ではないように見える。
周囲に誰も居ないとき、つい「風邪をひくよ~」と小さな声でつぶやいてしまう私(笑)

でもいつも見向きもしないで眠ったままなので、私の顏など憶えてもいないはずだった。
ところが昨日の帰り道にそこを通りかかると、7時前とは言え真っ暗な中でかすれた小さな
猫の鳴き声が私に近づいてきた。

「あの子」だとすぐに判った。そして、歩く私の周りをくるくる回りながら付いてくる。
「どうしよう」もうすぐ車やバスが通る大通りに出てしまう。
私は咄嗟に回り道をした。何処かで諦めてくれたらいいけど・・と。

でもその子はずっと追いかけてきた。 しばらく振り返るのをやめて、そっと物陰で様子を
みたら、ドラッグストアの前で立ち止まって座っている。
お腹が空いているのだろうか。いつもこの時間、このあたりでよく見かける初老の餌やりさん
がいるはずなのに。もしかしたらその人に何かあったのだろうか。

猫は余程お腹が空いているのだろうけど、昨夜は凍りつくように寒くてだれも猫など構う暇も
無さそうだった。
そう思うと、その場しのぎの「餌やり」が良くないことは分っているけれど、その子のかすれた
声に心がざわついて治まらなかった。「今日だけその人の代りになってもいいんじゃないか」と
思うより先に、私はドラッグストアに駆けこみ猫缶を買って容器になるモノを手にレジに立って
いた。

外に出てみると猫は何処にも居ず、暫く探しても見当たらず、「これで良かったんだ」と私は自分
に言い聞かせて帰宅した。
家の猫たちに夕飯をやり、その後また気になって私はその場所に急いだ。
やはり何処にも居なかったけれど、いつもの餌やりさんがそこに通りかかった。

思い切って「このあたりで三毛猫を見かけませんでした?」と声を掛けると、いぶかしげに私を観
て黙る餌やりさんに「いつも猫にご飯をやってらっしゃいますよね?」と不躾にも尋ねてしまった。
「私をどこで見かけましたか?」と逆に質問され、「いえ、私も野良猫を保護して育てているので
気になっていました」と答えると、少し安心したのか「御堂の中で寝ている三毛猫ちゃんは、いつも
餌場に来ていますよ。さっきもやったばかりですよ」と教えてくれた。

「ああよかった;ずっとついてきていたので心配でしたが、安心しました」と言って、私は手にした
食べ物をその人に託した。本当は言いたい。餌やりしている子たちにちゃんと手術を受けさせてくだ
さいと。でも初老のその人にはきっと大きな負担だろうということもわかる。
何より今回、その人がいてくれて取り敢えず良かったと安堵した「ズルい自分」がいる。

空前の猫ブームで、保護猫が里親さんに引き取られるケースが増えたことは確かだ。
それでも不幸な猫を増やさない「地域猫活動」などは、思ったより広がりが無いように見える。
私だって、こつぶちゃん以来、忙しさに紛れて保護活動どころかTNRにさえ関わっていない。

こんなとき、みんなはどうしているのだろう。
寒い夜に、凍えるような場所でお腹を空かせて鳴く子を見つけてしまったら、そしてそれを見て見ぬ
ふりをするとしたら、一体どうやって自分を納得させるのだろう。どう自分の心と折り合いをつける
のだろう。
寒いこの時期になるといつも、頭の中に渦巻く「答えのない疑問」・・。

 

ぬくぬくと部屋で寛ぐ二匹の猫を眺めながら、考え込んだ夜だった。
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