森の中のティータイム

離婚を経験し子供達も独立 
暮らしの小さな発見をノートに。

信頼する心

2007-07-03 | 思い・つれづれ
これまで、自分の信頼できる数少ない人たちには、
できるだけ正直にまっすぐな気持ちで向き合ってきたつもりだ。

鬱々と悩むのが苦しいから、もし相手に疑問を持ちそうになったら
周りの誰かにではなく、まず本人に確かめるようにした。
例えストレートには尋ね難い場合でも、
似たようなケースについてふだん相手がどういう考えを持っているかを
知っていれば、大抵のことはどういう気持ちでそれをしたのか
(または言ったのか)察しがつく。

ふだんから、詮索しなきゃいけないような人とは親密に付き合わないので、
相手から詮索されることも好まない。
基本的に自分と考えが違っていても、相手の意志は尊重し
それがその人なのだと受け留めるしかないし、
同調できなくても疑問などは抱かない。

私にとっては例えば無理に話を合わせられることの方が、
それとわかったときに欺かれたような気持ちになると思うので、
多分、相手に疑念を持つのはそういうケースだと思う。

だから、信頼関係を築いてきた人とは長い間会わなくても
他の誰かがその人に対する不信を述べた時には、きっぱり否定できる。

でも、自分がそうだからと言って相手がそうしてくれるとは
限らないと気付く出来事があり、ブログを更新する気分になれずにいた。


私は欠点だらけの人間だけど、自分の目で見、耳で聴いて判断することだけは
これからも守りたい。
それは他人の言葉を全く聞き入れないということではない。
勝手に判断する思いこみの気持ちの脆さというものを、
私は結婚の失敗によって、嫌と言うほど味わったし、
当時、私は相手を観ていたのではなく、勝手に美化したものを
観ていたに過ぎないとも気づいたから。
結婚を反対した皆には見えていたものが、逆に私には見えていなかった。
だから今は、もっと自分自身の目と心を見開いてちゃんと観る(笑)

与えられた情報を冷静に見ることで、
安易に信じたり、曲解してみたり、決めつけたりしなくなると思う。
辛くても嫌でも、人生にちゃんと向き合っていないと、
そういうバランスを身につけるのは難しい。
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