朝礼の話題

見たり読んだりして、感じたことを朝礼で話しています。この頃は仕事の話は少なくなりました。

デジタル人間は浅い

2011-06-15 08:11:46 | 21世紀
デジタル時代
2011/06/14
テレビ放送は、この7月24日で、アナログ放送から地上デジタル放送に代わります。録音もアナログのレコード盤やカセットテープから、デジタルのCDに代わりました。自動車の音響機器もカセットテープからCDに代わり、講演会の録音テープなどは聴けなくなってしまいました。
 爺さんの柱時計も骨董品となり、デジタル表示の時計に慣れてしまいました。

 カメラもデジタル一眼レフに進化し、アナログ写真は芸術写真に使われるだけの様です。 一世を風靡した「ウオークマン」も骨董品となり製造会社ソニーも、ゲーム機会社・金融会社に変身しGMの後追いしているようです。
 21世紀はデジタル時代なのです。私たち昭和13年生まれは、ソニーの誕生・成長とともに過ごして来ましたが、変身出来ず、同じように時代遅れになっています。

 東北大震災が来ました。右往左往する科学者・政治家・評論家を見ていて、日本人は、時代遅れどころか生活感覚がなくなっている。団塊の世代以降の日本人は、指示待ちの奴隷かサラリーマンであり、自ら動き生産する能力はない。
 私たちアナログ人間が、自立して生活できる見本となり、若い人たちに、何が生存に必要か悟らせねばならない、と思うことが多いです。
 テレビ・新聞は批判するだけで、教育的効果はない。義務教育も受験教育のみであり、生活方法・思考方法・国防方法・進歩方法・改善方法などは一切教えてはいけないことになっているようです。

 若い人たちにアナログへ戻す努力をしなければならない。
 アメリカでは、進化論を認めないキリスト教徒が35%も居て、福音派教会が勢力を持ってきました。彼らはアナログ的生き方を選択しているように見えます。人間とは何か?人間は如何してここにいるのか? そういう原理的な質問を自分に問いかけると、自分で納得出来る答えは「神による創造」なのでしょう。それらの納得が人間として生きる力を生み出すと感じます。

 年間30,000人が自殺する日本人は、自分の存在を実感することが少ないのではないか?生きる目的などないのではないか?楽しむだけの人生で面白くなければテレビのスイッチを切るように、ゲームオーヴァーにしてしまうのではないか?

 引退した私たちが、自分の趣味・才能を生かし育て、自分の存在に納得している様子を若い人に見せよう。写真・写生・ハーモニカ・楽器・作文・パソコン・ダンス・書道・歌唱・工作・スポーツ・水泳・外国語・旅行・宗教など 無限にある楽しみ生活、趣味を手段として生きる喜びを掴もう。