ざんげの値打ちもない

2023-05-13 16:46:06 | Jポップス
梶芽衣子 ざんげの値打ちもない




あれは二月の 寒い夜
やっと十四に なった頃
窓にちらちら 雪が降り
部屋はひえびえ 暗かった
愛というのじゃ ないけれど
私は抱かれて みたかった
あれは五月の 雨の夜
今日で十五と 云う時に
安い指輪を 贈られて
花を一輪 かざられて
愛と云うのじゃ ないけれど
私は捧げて みたかった
あれは八月 暑い夜
すねて十九を 超えた頃
細いナイフを 光らせて
にくい男を 待っていた
愛と云うのじゃ ないけれど
私は捨てられ つらかった
そしてこうして 暗い夜
年も忘れた 今日のこと
街にゆらゆら 灯りつき
みんな祈りを するときに
ざんげの値打ちも ないけれど
私は話して みたかった




昭和45年(1970)の大ヒット曲。

昭和40年代に何曲か出た怨み節(怨み歌)の1つです。

怨み節は、失恋演歌・捨てられ演歌の一種ですが、一般の失恋演歌・捨てられ演歌が、捨てられて辛い、悲しい、あなたが恋しいという気持ちを素直に歌うのに対して、怨み節は、思うに任せない状況のなかで悲しみ、苦しんできた自分を一歩引いたところから見ている、といった感じの歌詞が特徴です。

この歌のほか、『新宿の女』(藤圭子・昭和44年)、『圭子の夢は夜ひらく』(同・昭和45年)、『酔いどれ女の流れ歌』(森本和子・昭和45年)、『怨み節』(梶芽衣子・昭和47年)などが代表手な怨み節とされています。

発表当時、この歌は、中学生の女の子が自ら求めて「初体験」をしたという設定が衝撃的だったわけですが、現在では、そんなケースは珍しくもなんともなくなっていますよね。(笑)

子どもたちはどうして大人への時間を無理に加速させようとするのでしょうか。

大人の世界なんて、想像力と感性が水気を失って硬直化していく過程にすぎません。

 あわてなくても、そんなものはすぐ、かつ必ずやってくるのに……。




























































































































































































































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