金沢明子
ビクター少年民謡会
庭の山椒(さんしゅう)の木 鳴る鈴かけてヨーホイ 鈴の鳴る時ゃ 出ておじゃれヨー
鈴の鳴る時ゃ 何と言うて出ましょヨーホイ 駒に水くりょと 言うて出ましょヨー
おまや平家の 公達(きんだち)流れヨーホイ おまや追討の 那須の末ヨー
那須の大八 鶴富捨てて(おいて)ヨーホイ 椎葉たつ時ゃ 目に涙ヨー
恋の別れの 那須大八がヨーホイ 鶴富捨てて 目に涙ヨー
泣いて待つより 野に出て見やれヨーホイ 野には野菊の 花盛りヨー
何ぼ搗いても この稗搗けぬヨーホイ どこのお蔵の 下積みかヨー
さあさ搗け搗け これを搗いてしもてヨーホイ お茶を飲ませて 抱いて寝るヨー
稗は搗いても 来るこた来るがヨーホイ しばし待ちやれ 遅うござるヨー
稗の五升どま 唄でも搗くがヨーホイ 三斗五升から 杵で搗くヨー
揃た揃たよ 杵の数揃たヨーホイ 秋の出穂より まだ揃たヨー
おどまいやばお 此の山奥にヨーホイ 鳥の鳴く声 聞くばかりヨー
なんぼ奥山の 三軒屋でもヨーホイ 住めば都よ 我が里ヨー
臼の中にも 名所がござるヨーホイ 杵を揃えて 搗く名所ヨー
さあさ搗け搗け 若い衆方よヨーホイ 搗けば稗の湯は 呑みがかりヨー
思う様女と 合い搗きすればヨーホイ 杵の軽さよ 面白さヨー
田舎なれども 椎葉におじゃれヨーホイ 野にも山にも 花盛りヨー
椎葉名所の 数ある中にヨーホイ 日本一なる 杉もあるヨー
ここで別れて 何時また逢おかヨーホイ 明けて三月 小マ茶時ヨー
それじゃ遅かろ 待長うござるヨーホイ せめて榎木の 芽立つ頃ヨー
傘を手に持ち どなたもさらばヨーホイ 長いお世話に なりましたヨー
泣くな鈴虫 声ふるわしてヨーホイ ここは道ばた 人が知るヨー
泣いて待つより 野に出て見やれヨーホイ 野には野菊の 花盛りヨー
山でかる木は 沢山あれどヨーホイ 思いかる木は 更になしヨー
思い焦がれて 墨するときはヨーホイ 石の硯が 中くぼるヨー
小石小川の 鵜の鳥見やれヨーホイ 鮎を喰えて 瀬をのぼるヨー
それが鳴るおりゃ 何と言うて出もそヨーホイ ぬかをふるうじゃと 言うてでもそヨー
稗も穫れたよ 真芋も洗ろたヨーホイ 猪のとれそな 一つ弾ヨー
鈴の鳴る時ゃ 何と言うて出ましょヨーホイ 駒に水くりょと 言うて出ましょヨー
おまや平家の 公達(きんだち)流れヨーホイ おまや追討の 那須の末ヨー
那須の大八 鶴富捨てて(おいて)ヨーホイ 椎葉たつ時ゃ 目に涙ヨー
恋の別れの 那須大八がヨーホイ 鶴富捨てて 目に涙ヨー
泣いて待つより 野に出て見やれヨーホイ 野には野菊の 花盛りヨー
何ぼ搗いても この稗搗けぬヨーホイ どこのお蔵の 下積みかヨー
さあさ搗け搗け これを搗いてしもてヨーホイ お茶を飲ませて 抱いて寝るヨー
稗は搗いても 来るこた来るがヨーホイ しばし待ちやれ 遅うござるヨー
稗の五升どま 唄でも搗くがヨーホイ 三斗五升から 杵で搗くヨー
揃た揃たよ 杵の数揃たヨーホイ 秋の出穂より まだ揃たヨー
おどまいやばお 此の山奥にヨーホイ 鳥の鳴く声 聞くばかりヨー
なんぼ奥山の 三軒屋でもヨーホイ 住めば都よ 我が里ヨー
臼の中にも 名所がござるヨーホイ 杵を揃えて 搗く名所ヨー
さあさ搗け搗け 若い衆方よヨーホイ 搗けば稗の湯は 呑みがかりヨー
思う様女と 合い搗きすればヨーホイ 杵の軽さよ 面白さヨー
田舎なれども 椎葉におじゃれヨーホイ 野にも山にも 花盛りヨー
椎葉名所の 数ある中にヨーホイ 日本一なる 杉もあるヨー
ここで別れて 何時また逢おかヨーホイ 明けて三月 小マ茶時ヨー
それじゃ遅かろ 待長うござるヨーホイ せめて榎木の 芽立つ頃ヨー
傘を手に持ち どなたもさらばヨーホイ 長いお世話に なりましたヨー
泣くな鈴虫 声ふるわしてヨーホイ ここは道ばた 人が知るヨー
泣いて待つより 野に出て見やれヨーホイ 野には野菊の 花盛りヨー
山でかる木は 沢山あれどヨーホイ 思いかる木は 更になしヨー
思い焦がれて 墨するときはヨーホイ 石の硯が 中くぼるヨー
小石小川の 鵜の鳥見やれヨーホイ 鮎を喰えて 瀬をのぼるヨー
それが鳴るおりゃ 何と言うて出もそヨーホイ ぬかをふるうじゃと 言うてでもそヨー
稗も穫れたよ 真芋も洗ろたヨーホイ 猪のとれそな 一つ弾ヨー
宮崎県の秘境といえば熊本県との県境に位置する椎葉村です。
椎葉村は平家落人伝説でも有名ですが、「ひえつき節」でも有名です。
「庭の山椒の木、鳴る鈴かけてよ」と始まるひえつき節は、日本の代表的民謡として全国的にも知られていますよね。
「ひえつき節」の歌詞と関連する、椎葉村の平家落人伝説について簡単にまとめると次のとおり。
平安末期1185年の壇ノ浦の戦いで平家は滅亡し、一部の平氏残党が日向国椎葉へ逃れた。
源頼朝の命を受け、那須与一の弟・宗久(むねひさ)、通称:大八郎は、椎葉村へ平氏残党の追討に向かった。
しかしそこでは、平氏残党は既に戦意を喪失し、実直に農耕に勤しむ農夫となって、素朴ながらも村での新たな暮らしを築いていた。
自然豊かな椎葉村で農業に励む落人(おちうど)たちの健気な姿に心を打たれた大八郎は、幕府には討伐を果たした旨のウソの報告を行い彼らを助け、
椎葉村は平家落人伝説でも有名ですが、「ひえつき節」でも有名です。
「庭の山椒の木、鳴る鈴かけてよ」と始まるひえつき節は、日本の代表的民謡として全国的にも知られていますよね。
「ひえつき節」の歌詞と関連する、椎葉村の平家落人伝説について簡単にまとめると次のとおり。
平安末期1185年の壇ノ浦の戦いで平家は滅亡し、一部の平氏残党が日向国椎葉へ逃れた。
源頼朝の命を受け、那須与一の弟・宗久(むねひさ)、通称:大八郎は、椎葉村へ平氏残党の追討に向かった。
しかしそこでは、平氏残党は既に戦意を喪失し、実直に農耕に勤しむ農夫となって、素朴ながらも村での新たな暮らしを築いていた。
自然豊かな椎葉村で農業に励む落人(おちうど)たちの健気な姿に心を打たれた大八郎は、幕府には討伐を果たした旨のウソの報告を行い彼らを助け、
自分自身もこの椎葉村に留まる決意をした。
大八郎は椎葉村で屋敷を構え、彼らに惜しみなく農耕技術を伝えた。さらに、平家の守り神である厳島神社を勧請するなどして落人達を慰めたという。
落人達との交流を深めていくうちに、大八郎は平清盛の末孫とされる鶴富(つるとみ)姫と恋に落ち、逢瀬を重ねた。
何年か経った後、大八郎は鎌倉より帰還命令を受けた。その時、鶴富姫は大八郎の子を身ごもっていた。
大八郎は「男の子なら連れてこい、女の子ならここで育てよ」と太刀と系図を与え、鎌倉へ帰っていった。その後、鶴富は女子を生んだ。成人後は婿を取り、
大八郎は椎葉村で屋敷を構え、彼らに惜しみなく農耕技術を伝えた。さらに、平家の守り神である厳島神社を勧請するなどして落人達を慰めたという。
落人達との交流を深めていくうちに、大八郎は平清盛の末孫とされる鶴富(つるとみ)姫と恋に落ち、逢瀬を重ねた。
何年か経った後、大八郎は鎌倉より帰還命令を受けた。その時、鶴富姫は大八郎の子を身ごもっていた。
大八郎は「男の子なら連れてこい、女の子ならここで育てよ」と太刀と系図を与え、鎌倉へ帰っていった。その後、鶴富は女子を生んだ。成人後は婿を取り、
その婿が那須下野守を名乗って椎葉を治めたという。
ひえつき節は全国区の民謡、文字通り収穫したヒエを食用に搗く際の仕事唄(うた)です。
椎葉型と呼ばれている律音階の、明るくしなやかな節調で、歌詞もバラエティーに富んでいます。
椎葉村では、晩秋から初冬にかけ、農家の土間や庭先などでヒエ搗きが行われていました。
いったん蒸して甘皮を取ったヒエを、木臼(うす)に入れ杵(きね)で搗くのがおおよその手順で、搗き手6人に加勢手1人の7人1組が、
ひえつき節は全国区の民謡、文字通り収穫したヒエを食用に搗く際の仕事唄(うた)です。
椎葉型と呼ばれている律音階の、明るくしなやかな節調で、歌詞もバラエティーに富んでいます。
椎葉村では、晩秋から初冬にかけ、農家の土間や庭先などでヒエ搗きが行われていました。
いったん蒸して甘皮を取ったヒエを、木臼(うす)に入れ杵(きね)で搗くのがおおよその手順で、搗き手6人に加勢手1人の7人1組が、
もともとの形とされてきました。
それら6人の搗き手が木臼を囲み、威勢よく杵を振るう6本杵の呼吸が、唄のテンポを左右しています。
それら6人の搗き手が木臼を囲み、威勢よく杵を振るう6本杵の呼吸が、唄のテンポを左右しています。