刈干切唄 

2023-08-25 00:02:17 | 小柳ルミ子
小柳ルミ子




ここの山の 刈干(かりぼ)しゃ すんだヨ
明日はたんぼで 稲刈ろかヨ

もはや 日暮れじゃ 迫々(さこさこ)かげるヨ
駒(こま)よ いぬるぞ 馬草負えヨ

屋根は萱(かや)ぶき 萱壁なれどヨ
昔ながらの 千木(ちぎ)を置くヨ

秋もすんだよ 田の畔道(くろみち)をヨ
あれも嫁じゃろ 灯(ひ)が五つヨ

おまや来ぬかよ 嬉しい逢瀬(おうせ)ヨ
こよさ母屋(おもや)の 唐黍(とうきび)剥(む)きヨ

歌でやらかせ この位(くらい)な仕事ヨ
仕事苦にすりゃ 日が長いヨ

高い山から 握り飯こかしゃヨ
小鳥喜ぶ わしゃひもじヨ





「刈干切唄」は秋山の草刈りで歌われる、男性的で風土色の濃い、仕事唄です。
  
阿蘇連山が、その稜線を際立たせる秋の半ば、期間にして9月下旬から10月上旬にかけ、高千穂地方や五ヶ瀬地方では、山の斜面に密生した

雑草を刈り取る農作業が行われます。
 
これは春の山焼きとともに、古くからの季節の行事で、家族ぐるみで出掛けるのがならわしとなっているそうですが、

結(ゆい)の形を守っている地区もあります。

まだ青さの残るマカヤ(ススキ)などを、背丈を越す大鎌で払い刈り、天日で乾燥させ蓄えます。

この一連の作業を刈り干しと呼んでいます。

干し草は冬場の家畜の飼料として使われるわけですが、そうした山で働く男たちの伴奏歌として、またのど比べとして歌い競われたのが「刈干切唄」。

名人と言われた故佐藤明は、「山では夜明けとともに歌声が上がり、あちらの谷こちらの谷と、一日中絶えることが無かった」と当時を振り返っています。

もちろん自分の居場所を家族に知らせるためや、歌垣としても歌われています。
 
土の香りを漂わせた素朴で大らかな節調と、明るく力強い歌唱は、こうした暮らしの背景から生まれてきているのです。
 
刈り干しの作業は所によって異なり、それが節づくりにも、少なからず影響を与えています。
 
五ヶ瀬地方の山で使用される鎌は、柄の長さが50センチほどで、片手で自由に扱える大きさ、その際の仕事唄は、小節を押さえた軽快なテンポで、

一節がおよそ30秒前後。
 
これに対し高千穂地方では、背丈を越す大鎌を使用し、倍の長さで朗々と歌い上げます。
 
この相違は使用する鎌の柄の長短にあり、それを手にして左右に振るう振幅が、テンポの基になっていると推測。
 
地元で生まれ育った民謡「刈干切唄」には、山の刈り干しと呼ばれる、陽旋律のものと、昭和15年に普及版として補作された、陰旋律のお座敷調のものとが

ありますが、どちらも全国区の民謡として愛唱されています。

ここの山の刈干しゃ すんだよ
     明日は田んぼで、稲刈ろかよ
  
最早日暮れじゃ迫々 かげるよ
     駒よいぬるぞ 馬草負えよ
 
 肝心の刈り干し風景はかつての姿を変えつつあるようですが、山の叙情をたたえたこの唄は、これからも歌い継がれて行くのでしょうね。





























































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