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ロシア民謡「カチューシャ」 Katyusha Катюша

2017-10-26 02:20:23 | 世界の民謡
ロシア民謡「カチューシャ」 Katyusha Катюша





1 りんごの花ほころび 川面に霞たち
  君なき里にも 春はしのびよりぬ
  君なき里にも 春はしのびよりぬ

2 岸辺に立ちて歌う カチューシャの歌
  春風やさしくふき 夢がわくみ空よ
  春風やさしくふき 夢がわくみ空よ

3 カチューシャの歌声 はるかに丘をこえ
  今なお君をたずねて やさしその歌声
  今なお君をたずねて やさしその歌声

4 りんごの花ほころび 川面に霞たち
  君なき里にも 春はしのびよりぬ
  君なき里にも 春はしのびよりぬ



この曲「カチューシャ」(ロシア語: Катюша)はソビエト連邦の時代に流行したロシアの歌曲で、作詞はミハイル・イサコフスキー、作曲はマトヴェイ・ブランテル(Матвей Блантер)です。

もともとはカチューシャという娘が川の岸辺で恋人を思って歌う姿を描いた曲なのですが、1941年6月に独ソ戦(ロシアでは大祖国戦争と呼ばれる)が始まると戦場の兵士に広く愛されて歌われるようになり、代表的な戦時流行歌、進軍歌として定着したそうです。

日本では、戦後になっていわゆるロシア民謡を代表する一曲として「ともしび」などとともにうたごえ運動の中で広く歌われ、1959年の第10回NHK紅白歌合戦では初出場の森繁久彌がこの歌を歌っています。






































































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モルダウ

2017-02-17 05:26:29 | 世界の民謡
【合唱】モルダウ




なつかしき河よ モルダウの
清き流れは わが心
うつくしき河よ モルダウの
青き水面は 今もなお
流れにやさしく 陽は注ぎ
さざなみはいつも 歌うたい
岩にあたり しぶきあげて 渦をまく

豊かな流れよ モルダウの
広き水面は 今もなお
春には岸辺に 花開き
秋には黄金(こがね)の 実を結ぶ
愛の河よ しぶきあげて 流れゆく

豊かな流れよ モルダウの
広き岸辺に 狩をする

今日も響く 角笛高く
人は駆ける 獲物求めて
銃(つつ)の音は 森にこだまし
岸辺に湧く 喜びの歌
ラララララ ラララララララ

月の出とともに 村人は
今日の恵みを 祝い踊る
なつかしき河よ モルダウの 岸辺には
豊かな幸(さち)が 満ちあふれ
人の心は いつまでも
この河の 流れと共にゆく
わがふるさとの この河モルダウよ
わがふるさとの この河モルダウよ















































































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草原情歌

2017-02-10 04:30:01 | 世界の民謡
ザ・ピーナッツ 草原情歌





1 はるかはなれた そのまたむこう
  だれにでも好かれる きれいな娘がいる
  だれにでも好かれる きれいな娘がいる

2 明るいえがお お日さまのよう
  くりくり輝く目は お月さまのよう
  くりくり輝く目は お月さまのよう

3 お金もたからも なんにもいらぬ
  毎日その笑顔 じっと見つめていたい
  毎日その笑顔 じっと見つめていたい

4 ヤギにでもなって いっしょにいたい
  毎日あのむちで わたしをたたいておくれ
  毎日あのむちで わたしをたたいておくれ



恋する乙女への思いを、伸びやかなメロディで表現した歌、・・・歌っているうちに、この世に何をあくせくすることがあるのか、といった気持ちになってきます。
 
原題は『在那遥遠的地方』。

中国でも日本でも、長らく中国青海省の民謡として歌われてきましたが、1983年に王洛賓(ローマ字表記ではWang Luobing)の作品と判明しました。

王洛賓は1913年に北京市で生まれ、北平芸術専科学校で音楽を学んだのち、八路軍に加わりました。

八路軍は中国人民解放軍の前身の1つで、日中戦争中は日本軍と戦い、日本の敗戦後は国民党軍と戦って、共産党の勝利に貢献しました。

この歌は、王洛賓が1941年春、青海省で行われた映画撮影に同行した際に生まれました。

王洛賓は、その映画に主演したチベット族出身の女優にすっかり魅せられてしまい、その思いをこの歌に表現したといわれます。

歌ができたとき、どういう事情によるものか、彼は楽譜に作者名を記載しませんでした。

文化大革命が始まろうとするころ、王洛賓は、解放以前に国民党幹部に音楽を教えたことが反革命に当たるとして投獄され、15年間(11年間説もある)に及ぶ獄中生活を送りました。

このこともあって、作者名は公表されないままでした。

その間に『在那遥遠的地方』は、青海省の民謡として中国全土で愛唱され、さらに外国でも歌われるようになっていたのです。

アメリカとの国交が正常化された1979年、王洛賓の名誉が回復され、再び音楽活動ができるようになりました。

その4年後に、『草原情歌』がやっと彼の作品と認められたわけです。

1996年死亡。2007年3月、ニューヨークで「永遠の王洛賓芸術祭」が開催され、王洛賓は中国を代表する音楽家のひとりとして世界に知られるようになりました。

この歌を作ったころ、王洛賓は青海・新疆・甘粛あたりの民謡を収集し、研究していました。

そのため、この歌には、そのあたりに多く住むカザフ族やウィグル族の音楽の特徴が採り入れられています。

とりわけ、曲の前半にはカザフ民謡に多い半音進行が使われ、それがこの曲の特徴になっています。

しかし、日本で歌われている上記のメロディでは、この特徴は消えています。

そのためかどうか、中国人が日本の『草原情歌』を聞くと、一瞬別の歌と思うそうです。



































































































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