そのままVon

おもに31文字の語呂合わせ日記

万葉集#17.3900

2013年05月21日 |  / 万葉集

5/21
「家持のこころによぎる雲なるはいかな気がかりあるというのか(十年七月フミチキの七日の夜、独り天漢アマノガワを仰ミて懐オモひを述ぶる歌一首)」

「織女タナバタし船フナ乗りすらし真澄鏡マソカガミ清き月夜ツクヨに雲立ち渡る(#17.3900 右の一首は、大伴宿禰家持がよめる)」
「織姫はいま船に乗る冴え渡る清い月夜も雲がでてきた()」

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

寺山修司を読む(1)

2013年05月21日 | 字余り

5/21
寺山修司は1935年生まれで1983年に亡くなっており、47歳の若さであった。50代での死も若いと思うのだから、40代での死はなおさらである。
当時実験演劇集団「天井桟敷」の主催をしており、なにかと話題になることが多かったので、ファンでないわたしでさえ衝撃ではあった。その文学的ルーツが、短歌であることは、歌でも読まない限り関心は薄かった。しかし、言葉を操るその才能は光るものがあるとどういうわけか感じていた。また、書き言葉と話し言葉のギャップについても、印象に残っている。テレビ等に出てくる寺山の東北弁は、書いたものと違うことを言っているような気がして、なにを言っているのか深くは聞こうとしなかった。関西弁の田舎者には東北弁の文化人の言葉が、そのなまりのせいで理解できなかったといえばいいのだろうか。いま寺山といえば歌人として分類するのが手っ取り早い。その寺山の歌集が「青春歌集」として角川文庫から発刊されている。巻末に中井英夫氏が解説を行っているが、それによると、寺山が歌っていたのは、1954年から1970年の16年間だという。その間に刊行されている歌集の発刊は以下のとおりである。
・「われに五月を」1957.1(22)
・「空には本」1958.6(23)
・「血と麦」1962.7(27)
・「田園に死す」1965.8(30)
・「寺山修司全歌集」 1971.1(36)
この最後の「全歌集」で歌のわかれをを宣言した跋文があり、表面上の歌作は終わったようだ。のちに遺歌集として「月蝕空間」という歌集が編集・出版されるが、まだ読んでいない。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする