暇つぶし日記

思いつくままに記してみよう

今日は暑かった

2014年07月19日 04時33分05秒 | 日常

 

窓を開け放して寝ても早朝には涼しくはなかったからオランダでは今、真夏の熱帯日になっているようで日中動くと汗が出てベタベタした。 夕食にしても温かい物、熱いものを避けて今晩はざる蕎麦、サラダで済ませ、その後陽が傾いてから家人、娘と港町である Katwijk に涼みに出かけた。 北海に面したこのあたり一帯は海水浴場でもありそのまま西に砂浜を10kmほど歩けばこの間鯖釣りに出かけたハーグの港スヘベニンゲンに続きそのホテル群もここからは見える。

9時半を周っているのに昼間の海水浴客の車はそれほど減ってはおらず日中の混雑が思いやられた。 もう空いているだろうということを見越して来たのだが今日の30℃を越す暑さがオランダ人、ドイツ人を砂場、水辺に集めるのだろう。 娘と家人は半分暗い水に入ってひとしきり泳いだのだが自分は景色を眺めているだけだった。 完全に夕陽が沈んだのは午後9時55分で夏至からほぼ一ヶ月経って大分日が短くなったような気がする。 そのあと浜辺のカフェーで飲み物を摂り駐車してある車のところに来れば大分暗くなっていて、そこから20分ほど車を走らせ11時前に帰宅すればもうとっぷりと暮れていた。 一ヶ月前にはこの時間でもこれほど暗くはなかったことからも時の移り変わりを体感する。

夜中を周って屋根裏部屋の窓を開け放していても29度から下がらない。 普通のうちにクーラーのないオランダでは例外的な暑さで水分をずいぶん補給しなければいけない。 オランダ人は寝苦しい夜を過ごしているに違いない。

毎週金曜日の深夜、もう明け方に日本では昼前の老母に電話するのが毎週のことだ。 今日は電話をしてもでない。 いつもならいるはずなのだが変だと思い、半時間ぐらいしてまた電話をすれば看護人が電話口に出て、脱水症状が出ているから点滴を打っている所だという。 毎日暑いので日中はクーラーをかけているけれど夜はクーラーを切っているようでそのために昨夜は大量に汗をかき、それで脱水症状をおこしたのだろうとの医者の見立てだということだった。 本人は何も分からずボーっとしていると言うだけだった。 これで様子をみて明日もう一度電話するつもりだ。


バカンス気分に水を差すようなことが、、、

2014年07月18日 00時34分50秒 | 日常

 

昨日の夜二軒ほど先の隣人が今朝フランスのノルマンディーに住む妹のところに男友達と出かけるというのでそのキャラバンの前で立ち話をしたのだが彼女の夫がガンで亡くなったのがほぼ3年前だっただろうか。 二人の息子はもう大学生で自立しているから50半ばの一人暮らしで男友達と二人でこんなもう築40年にもなる博物館もので出かける季節なのだ。 7月の半ばになると小学校ならびにその他の学校ももう休みに入り、それにあわせたように建築業界もバカンスに入る。 つまり民族の大移動が始まるということでどちらに行くにしてもドイツ、フランス、ベルギーなどの情報が入り混じり何十キロ、ときには何百キロにもわたる交通停滞を避けるべく工夫する。 隣人や我々のようにもう子供を連れての移動は必要なくなったものにはのんびり脇道に入りぼちぼち走るということが出来るけれど小さなこども、伸び盛りの子供たちを引き連れて2週間なり3週間バカンスに出ることを考えると少々ウンザリする。 それは我々がこの2,30年やってきたことだからだ。  兎に角町はバカンス気分になっている。

 

晩飯を作っているときにラジオでマレーシア航空のボーイング777機がまた墜落したとニュースが入った。 それはスキポール発クアラルンプール行きの便で今抗争中のウクライナ上空だということだった。 4ヶ月前にまだ見つかっていないマレーシア航空機が失踪してまた今日墜ちたということだ。 その後8時のニュース、BBCのニュースナイトを見ていてはっきりしたことがある。 どうも地上からのロケットで撃ち落されたということらしく火を噴きながら落ちていく動画がCNNに出、多くの紙切れ、何か幾筋もの白いものが空中を落ちてくる映像まででて、その間様々な関係者のコメントがあった。 総合してみるとどうも親ロシア・ウクライナ分離派の軍がロシアから提供されたロケット、もしくは分離派がウクライナ軍から奪ったロケットで撃ち落したということらしい。 ウクライナの公安本部が当時そこにいたロシアの情報将校間の電話会話を傍受して、こっちが誤って民間機を撃墜してしまった、という会話を公表している。 実際はロシアの影が濃い現在の状況下、そこを飛んだ民間機が撃ち落されたというのだが、それには国際航空規約で民間機の安全保障があり今まで中東紛争、戦争中も飛んでいた実績があるはずがここに来て何故、という問いが湧いてくるのは当然だろう。

 

長距離飛行では10km上空を飛び、そこは今までロケットの射程外ということだったらしいのだがBBCのニュースで武器の専門家がいうのには現在その地域なり世界の各地で用いられているトラックに積んで移動が簡単な地対空ミサイルの射程範囲は20kmほどまでに伸びているのだそうだ。 それにそれを操作するのは簡単でその場の判断で発射されるということだ。 昨日もウクライナ空軍の戦闘機がロシアの戦闘機に撃墜されたところでウクライナ空軍は兎も角もロシア軍に大きく頼っている分離派の統制は甚だカオスに近いと報道されていた。 初め300人弱の搭乗していた人数の20人ぐらいがオランダ人だと言われていたものがここに来て154人と発表され事は一時に大きくなっている。 今の時期インドネシアでバカンスを過ごそうというオランダ人の一行だったのだ。 フランス人、アメリカ人、カナダ人なども搭乗していてその数字が発表されていたけれどアメリカの情報で地上から発射されたミサイルで撃墜されたとフィナンシャルタイムズが報道されている。 つまり紛争地域を監視するアメリカの偵察衛星の情報解析の結果だということだ。 墜ちた飛行機のブラックボックスは分離派によって回収されロシアに送付されたとの情報もあり、オランダ政府を始め国連総長も被害者の当該国の代表からなる捜査チームにそれらのデータが手渡されるべきとのコメントも出されている。

 

この話をバカンスで始めたらこうなったのだが思い起こすと人事ではなかった。 一ヶ月ほどまえに息子が30人ほどの友達とインドネシアのバリ島に遊んだとき、今考えてみると飛んだのがマレーシア航空のこのルートだった。 クアラルンプールへのほぼ直線航路がここを通っていたのだがその当時はまだ抗争がこれほど激しくなく、軍事専門家のみるところでは今週このロケットによる迎撃体制が出来た結果がこれだということだ。 今日一日の進展をオランダ、イギリスのニュースショーでみているとまるでアメリカ映画をみているような気がした。 実際それらの番組ではロシアを除いて当該国の元大使、大学の専門家、ジャーナリストが登場して実際に起こったことを理解しようとしているのだが自然とそこに登場する学者、専門家たちは国際インテリジェンスの専門家たちであり、これは民間の準軍人とみて差し支えがないだろう。 もし、まだ未確認の被害者の中に日本人がいるとしたら日本政府はどのように対処するのだろうか。 相変わらずアメリカの傘の下から仕方が無いと無責任な処理の仕方をするように思えて仕方が無い。 

 

それともう一つのニュースではイスラエルのロケットがパレスチナのガザ地区に雨あられと降っていた。

 

明日オランダの官庁ではすべて国旗が半旗として掲げられるということだ。 


モロッコの旅(12)、 田舎の市で(2)肉屋

2014年07月17日 05時50分27秒 | 日常
 
 
テントの下、水道も冷蔵庫もなく、ただテーブルの上に10mほど先でされ解体された牛や羊を臓物も含めて売っている肉屋だ。 テントの影になっても30℃を越すのだから鮮度が最重要で、当然その日のうちに売ってしまわなければならず多分1時間も置いたものは別の場所に持って行って焼くなり煮るなり調理して売るのだろう。 テントには新鮮な肉を炭火で焼く、串焼き、網焼き、バーべキューの食欲をそそる匂いが煙と共に充満しているけれど残念ながら我々は軽々しくそれに手をつけて口にするのを医者から戒められていたので唾を飲んでそこを離れた。 それは野菜、果物でも同じ事で、もし自分で口にするのだったらしっかり密閉された新しいペットボトルの水で漱ぐことと言われていたし朝晩の歯磨きも同様のことだった。

写真を撮ってすぐ後、この肉屋から怒鳴られた。 彼らにしても如何にここが衛生基準から外れているか分かっているのだが、けれど昔からの通りにやっていて地元では問題がないのだから我々のような余所者がやってきてこれが表沙汰になれば拙いことになるのを認識しているからそんな写真を撮る余所者は疫病神以外の何物でもないのだ。


モロッコの旅 (11)、 田舎の市で(1)トマトを売る店

2014年07月15日 17時11分47秒 | 日常
 

 

エッサウィラから30kmほど離れた村の日曜市に家主夫婦に連れられて出かけた。 そこに行くまで赤茶けた大地にぽつぽつとオリーブ畑や高価な油をとるアルガンの木が見え、涸れ川には数年水が流れていないようなところも数多くあるのだがそれでもこの辺りはモロッコの中では比較的緑が多いのだという。 だからここは近郷の人々が日曜ごとに集まり早朝から牛、馬、羊にロバ、果てはラクダまでの家畜を取引する広場もあるマーケットがでるのだそうだ。 マーケットというより「市(いち)」というほうが相応しいように思う。 だから町の名前が現地の言葉で「日曜市」なのだそうだ。 

どこのマーケットでもそれぞれセクションが分かれているようにこんな小さな村の青空市でも同様で、青物だけでも葉もの、根もの、果物と細かく分かれている。 敷物、衣料は大きなテントの下にかなりのスペースをとって置かれているけれど近郊の農家が朝とったものをそのままロバの荷車にのせて運んできたものなどは地面にシールを敷いてそこに荷を降ろしたそのままだ。 大きなスイカなどは並べるのが面倒なのか道端の荷車に積みあげた上から放り投げ、買ったものが下で受け止めるというような光景も見られた。 


逃げた魚は大きい

2014年07月14日 16時20分03秒 | 日常

2014年 7月 13日 (日)

 

何週間か前、義姉から電話で、息子がみんなで魚釣りに行こうと計画してるけどどう、と聞いてきたので二もなく承諾して決めていたのが今日だった。 考えてみればこれと同じようにして家人や家人の姉妹の旦那、男達だけ計4人でハーグの港町スヘベニンゲンから鯖釣りの船に乗ったのは大方20年前だった。 その時は一日でそれぞれ一人10-15匹相当釣り上げて戻ったように記憶する。 魚はさまざまな方法で調理し猫にも充分喰わせた。

今回は姉夫婦にその息子、息子のガールフレンドの父親、姉夫婦の娘のボーイフレンドとその弟、義弟とその息子に自分と計9人だった。 朝6時15分に起きて空いている高速を港に向かうのだが日曜の早朝、信号も殆ど青で通りすぎ7時半に100人以上が待つ乗り合い船に来ればドイツ人、ポーランド人、韓国人が目立ち普通のオランダ社会の割合より外国人が多いように感じた。 この間からの天気予報では雨になるといっていたのでポンチョは用意していたが結局曇っていたものの雨は降らなかった。

2時間ほど北海を沖に向かいそこで魚群探知機で探った魚の群れの上に来ると船を止め、餌なしの針と疑似餌を6つほどつけた竿で釣る。 この日は殆どかからず我々で釣れたのは中くらいの鯖が8本、小さな鱈が一尾だけだった。 以前とも同じくかなり真剣な装備と経験から船先に陣取ったドイツ人一人だけはで30匹ほど釣り上げていた。 船客のほとんどが空のボックスを下げて船を下りたのは3時半だった。

予定はこのあと釣った魚をバーべキューにして義兄とその娘の誕生会のパーティーにするのだったが彼らはもともと魚を期待していなかったから9匹を申し訳程度に半身づつ口にしたその後のパーティー参加者18人にはなんとか魚釣りの口実にはなっていた。 逃げた魚は大きかったし沢山逃げられた。 魚は日曜日の礼拝に出かけていて災難から逃れたのだ。

船を下りたあと一旦うちに戻りシャワーを浴び家人と共に姑の済む施設に向かい彼女を伴って義兄の家に出かけた。 この日誕生日だった義兄の次女は宴たけなわの時に今妊娠三ヶ月だと告げ皆に祝福された。 彼女を初めて見たのは彼女が4つのときだっただろうか。 当時はシシリアに住んでいてその時はイタリア語だけだった。 中学に上がる頃になりオランダに両親と越してきて卒業後美術学校に進み今ブリュッセルに住みジャズピアノ弾きのボーイフレンドとそれぞれ芸術家として活動している。 彼らには2年ほど前にアントワープのジャズカフェでピアノトリオと彼女の映像プロジェクション公演の際に人数分の寿司を作って持っていったのが最後だった。 けれど実際にはその前年かに家人が個展を開いたときにそのオープニングに二人で来たのが初めてだった。 皆は彼女の懐妊を喜んだけれど自分と同じく殆どが当然のこととして受け止め意外だとは思っていなかったようだ。

釣り船の上で酔い止めの薬を飲まないかと勧められたけれど飲まなかった。 船が進んでいるときの縦ゆれや多少の横揺れはどうともなかったのだが曇り空の下、荒れたとはいえない普通の上ほどの波の中、ソナーが魚群を捉えその上でモーターを止めて皆が釣るときのその揺れは複雑なものでこれにはたいていがやられる。 何もしていなければ水平線を眺めていればどうということもないのだが釣るとなると視線があちこちに動きその中で胃が持ち上げられて胃の中のものを全て船端から海に放り出した。 すっきりしてその後船を下りるまで何も胃に入れなかったからパーティーでは腹が減り並んだイタリア料理をがつがつと喰った。 姑を車で連れて帰らなければならなかったので残念ながら赤ワイングラス一つだけでコーヒーとケーキのあと冷たく冷えたリモンチェロさえ残念ながら口にしなかった。

この日、吐いて馬鹿にされたのは自分だけではなく2mもある義弟は一人こそこそトイレに隠れて吐いたのを笑われ、結局我々はいい酒の肴にされた。 


無題、けれど ブレンダ

2014年07月12日 21時54分57秒 | 見る

 

土曜のマーケットの買い物の途中で大通りにある旧郵便局のスペースを利用して美術ギャラリーにしている所を通り過ぎたら作品展のオープニングだったので覗いてみた。 この5,6年だっただろうか、この町の造形作家、芸術家たちがグループで市の都市計画が未決の建物を管理して定期的にグループ展を行っていたのだが今回入り口をみるとギャラリーの名前が変っている。 何があったのか知らないけれどそのグループは解体して女性作家3人ほどで新しく立ち上げたところだという。 州か市の建物であるから前に聞いたところでは持ち主が再開発の計画を実行するまで作家たちに貸し出すという契約だったらしいからそのために前のグループがここを出たのだったら分からなくもないけれどそれなら新しいギャラリーがここに入ることもないだろうからそれには他の理由があるのだろう。

何れにせよスペースは前とは全く同じでそれぞれの部屋を回ってみてさすがに前ほどの様々な作家達が自分のテーマに沿って展示するのとは趣を変えている。 つまりそれぞれの作家の試み、興味のいくところがかなり全面に出ているようなのだ。 全体にインスタレーション仕立てではあるけれどどちらかというとテキストが多い。 それはスケッチの中の人物、動物、物たちのモノローグであったり英語のキャッチフレーズであったり言語に作品が追従している感じがして後ほどその作家にその意味を尋ねるほどだったのだけれど期待通り好ましい回答を得ることはできず単に作家のインスピレーションの赴くままの作品群という些か本人にも意識していなかったような質問に対する付け焼刃的なもので、続けて造形作家、芸術家としての根幹にふれるデリケートな部分でもあるようなので言葉に興味のある者には言葉と造形の関係は切っても切れないものと看做す習性から当然の疑問ではあったのだしこれからも問い続けるべきものとしている。 それは作品の創造者とそれを前にした者とのコミュニケーションの根幹でもある。 視覚を武器にするのであれば言葉は従であり、そこでは視覚の強度を削ぐツールでしかなく、意味を探らないではいられない病に罹った者には視覚に頼っても何も見出せなければ文字、言葉、文が造形を押しのけて全面に出るということになり、それを製作者はどう取るかという問いでもあるのだ。 当然そこで文字がなくとも意味を探ることは充分可能でありそこに描かれた形状、色彩などが我々に示唆する意味というものも充分あるわけで意味を探らないではいられないという我々の病に文字、言語はもっとも加担しているということでもある。

作家と生温い会話を終えてある一角にくると毛糸、フェルトを素材にした「無題」という作品に行き当たったのだがこれは題があっても無くても自分には「ブレンダ」だった。 家人が懐に入れて育てたベルギー、ブービエ種の雌犬だった。 癌の手術のあと一年ほどして今のバカンスの時期にノルマンディーの村でキャンプしたとき死んだのだった。 死期を悟ったのか散歩しているとき森の中の湖に突然飛び込んで泳ぎだした。 広い湖の中心を目指すようでさすがに泳いで追いつき抱えるように引張って連れ戻したのだがその夜我々のボロ車の中で大きく失禁し自分でそれを恥じた。 ぐったりしてもう動かなかった。 翌日獣医のところでモルヒネを打ち眠らせ我々は森深く入りそこに埋めた。 それから28年になる。   それまで4年ほど一緒に住んだ。 自分には初めての犬で家人より自分に懐いたのだが自分も暇に明かせてブレンダのスケッチもし写真にも撮ったその姿が急に目の前にあったのだ。 この種の犬は普通なら生まれて直に尻尾と耳をそばだてるようにして余分は切り落とすのだがブレンダは耳はそのままだった。 色は目の前のオブジェより濃かったもののその姿はそのままで突然目の前にこれが出たから動揺した。 

オブジェの形状と無題というのがこの作品をブレンダにするのに貢献している。 これが「犬」であれば抽象的な犬であり「メリー」なり「ボリス」と名がついていればブレンダではない。 だからこれは無題でよかったのだ。 意味を探る病と書いたけれどここでは意味は探らなくとも形として目の前にあり、自分にとっての意味は明らかで自分はただその意味を充分噛み締めればそれで済むことだった。 

 


別れるということ

2014年07月11日 23時05分57秒 | 想うこと

 

息子がこの3年半ほど付き合ってきた彼女と別れたと家人から聞かされた。 息子は26、彼女は23、娘と同い年で皆同じ学生団に属しており、それぞれ長くフィールド・ホッケーをやっている。 息子も彼女も今それぞれ大学を卒業して今までと違った生き方、生活の仕方をするようになるから彼らにとっても住むところ、職業、生活時間と大きな変化が訪れることとなり今までの関係を続けて行くのか、行けるのか、新しい環境の中での関係も考えざるをえない時期でもある。 それまでの関係が初めの蜜月を続けこのまま社会人になっても続くのなら申し分ないのだがそうなるのは普通ではなかなか楽ではないだろう。 中学に上がる頃から息子、娘にはそれぞれガール・フレンド、ボーイ・フレンドができるようにもなり、そうなると彼らを家に呼び、一緒に食卓を囲むことにもなり、そのうち彼らの両親とも顔あわせをして家に呼んだり呼ばれたり、ということになる。  高校にもなると肉体関係は言わずもがなのこととしてあり、カップルを社会的な大人として扱うことはいうまでもない。 若い二人のことであるから何があっても不思議ではないので我々親達もただ見守りそれぞれの家庭のことを知り、こちらのことも知られる、という近所づきあいに毛が生えたぐらいの関係にもなるだろうか。 これが自分の周りのオランダでの若い者たちの男女交際の骨組みのようだ。 そうして現在に至ってきた。 結婚と違うのはただ市役所に登録されていないということだけぐらいだ。 互いに好ましく思い関係を続けているということだ。 けれど人と人との関係というのは頼りないものだ。 それは年齢には関係がないようだが年齢にも関係が無くもないようだ。 

子供たちが小学校に行き始めクラスの親達を知るようになるとほぼ半分が離婚している、ということがあった。 誕生日会で子供たちを10人ぐらいうちに呼んで3,4時間遊ばせる。 それが済んで彼らの家に送って行ったり親が迎えに来たりするけれど、今日は父親の家に行く、母親と彼女の新しいボーイ・フレンドが迎えに来る、というのも普通で何かの都合で親たちの意思疎通が上手く行かずだれも迎えに来ないからどちらかに電話をかけて迎えに来てもらうということもあった。 そんな子供たちは必ずしも不幸せというわけでもなくけれどもどこかで何かに耐えているという風でもあった。 それでもそのうちそれぞれ大きくなり高校を卒業する頃に彼らに町で出会ってその成長振りに驚くということもあり、そういう風に大人になっていく。 

結婚した夫婦といっても安定したものとは限らない。 嫌いで一緒に住むわけではない。 だれも好きで関係を始め一緒に住み始め結婚し子供が出来、中年になり老いて、、、、というのがプロセスなのだろうが子供ができ中年になり、という辺りがどうも危険地帯のように思える。 いくつもの地雷が思わぬところに潜んでいてそれを潜り抜け中年以降にたどり着くと一応の安心が待っているのかもしれないけれど、それでも脳天気に安心はできないだろう。 仕事、家庭、こども、金、などが普通危険因子でもあり夫婦の若さが両刃の剣となることもあるだろうしどこに躓きの石があるか分からない。 

息子と彼女の感情の行き違い、隙間がどのように出来、それがどのようになったかつまびらかに知る必要はない。 憎みあったり嫌いあったりすることもなくこの時期に将来どのように関係を続けて行けるのか行けないのかということになったのだろう。 これは別段幼い恋でも若者の気まぐれでもない。 ほぼ大人のカップルが3年半付き合ってきたかれらの結論である。 結論に至るのは彼らの内面生活に含まれている要素を再検討の結果だと思う。  我々は関係の諸要素をそれをどのように育て、矯め、時には持て余し、関係を続けるのか、止めるのかを頭の隅に意識、無意識にかかわらずぶら下げて日々過ごしているだろう。 ただ、ある場合には子供は「子はカスガイ」と言われるような役目を果たすことがあるけれど子供のクラスの半分が両親が離婚している、というようなこともあるから「子はカスガイ」は万全ではないようだ。 逆に不仲の親が子供のためという理由だけでギスギスした家庭が続くとなれば子供が傷つくだろうしこどものためといわれてもそれは迷惑だ。 親が幸せにならなければ子供は浮かばれない。

息子や娘の将来にしても多分今まで続けてきた男女関係のパターンとなるのだろうし、ある局面で結婚し、子供もでき、ということもあるだろうけれど突然あるときに別れる、ということを言われるということも当然あるものと心している。 それに、結婚という形をとらずに関係をつづけ子供ができて、、、、というのも普通にあるから自分にはそれは驚きでもなんでもなくむしろ一緒にずっといる、というほうが稀に見えることがある現在、人と人との別れは蓋然性として甚だ高いものとして捉えている。 

 

 

 

 


今年もまた水道の検針をした

2014年07月11日 00時10分29秒 | 日常

 

去年の今頃ここに一年に一度の年間水道水消費量を検針してその後一ヶ月ほどしてその請求書が届いたことを下のように書いた。

 http://blogs.yahoo.co.jp/vogelpoepjp/63583598.html

今日今年の分を検針してネットで水道局に連絡するとこの一年間で76立方メートル使った事になるとメールが来た。 去年は96立方メートルだったのだから今年は去年に比べて20立方、2割使用量が少なかったことになる。 取り立てて生活の様態が変ったことでもないのだが寒い時期が短かったから風呂を立てた日数が少なかったことも少しはそれに関係しているかもしれない。 それなら、風呂一回に200リットルとして1立方は風呂5回分、5x20=100となり、今年は去年より100回風呂の回数が少なかったことになるのだが少なかったことは少なかったとしてもとても100回少なかったとは考えられない。 他にも何か理由があるに違いないのだがそれにはこころ当たりがない。

この検針に関して使用量は大事だけれどそれに関連して使用料、こちらのほうがこちらの財布に響くからここではさし当たって最重要事項となる。 去年は96立方で3万8千円ほど払っており、もしレートが今年も同じだとすれば76立方で3万円ほどになる。 ここでも毎年あちこちで聞かれる水道料金の値上げがあってそれがなんの根拠もなく3%とすると約31000円ほどになる。 尚、水道局のサイトに依るとオランダで年平均一人当たり50立方の水道水を使うらしいから我が家では2人で76立方だから一人平均38立方となって平均を下回る。 オランダ一人年平均使用量を50立方だとするとこれは日本人が使用する平均一日300リットルと比べるとオランダ人一人年間使用量は日本人の半分以下となる。 そして東京都の水道料金をもとにすると水道料金自体はオランダのとは大差はないけれど使用量が違うからこちらの約二倍払っていることになる。 二人家族で年間で7万ほどか。 負担は軽くはないのではないか。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


深夜に残り物を喰う

2014年07月10日 12時21分15秒 | 喰う

 

 

4日続けて食事当番のことがあって、そうなると毎日行き当たりばったりで何やかや作っているから、さて何を喰おうかということになるとすぐには思いつかない。 そこで久しぶりに自分で寿司を巻いたり握ったりしようという気になった。 準備も要るのでその日にすぐ、ということにはならないからその日の夕食はやっつけで食材を買いその足で中国食材店にでかけてめぼしいものを集めて帰宅した。 この何年もの習慣で寿司は10人分以上でないと作らない。 夫婦2人のためだけに作るのは初めてだ。 つまり誕生日だとか祝い事、誰かのリクエストで作っていたものが今回初めて二人分だけとなったのだ。 ほんとに思いつきで始めたからこうなったのでプロセスからして2人分だけというのは効率がわるい。 材料の準備上、結局寿司飯を9合炊いた。 8,9人分ということだろうか。 両隣の住人はバカンスで留守にしているから裾分けはできなく、こどもたちも忙しく家には来ない。 かろうじて姑のところに一人分持って行った。 あとは自分達だけで喰わねばならない。 初めから分かっていたことではあったけれど結局3日間寿司を喰うことになった。 

大抵夜中の3時ごろ夜食を摂る。 ニュースやDVDを観ながらぼそぼそとビールで夜食を口にするのだが幾ら好きでも2日も3日も同じものが続くと好きな寿司でも当分はいい、という気になる。


そういえばまだ日本では梅雨の時期なのだ、、

2014年07月09日 02時09分44秒 | 日常

 

5月の終わりから6月の初めにかけて半月ほどモロッコに旅行に行っていたから何故かどこかで夏のバカンスを終えたような気がしていた。 モロッコでは蒸し暑くもありそれは大阪の夏を思わせる時もあったからオランダに戻って夜中に窓を開け放っても25℃ほどの日々もあったことを加えて既に夏は盛りを過ぎていたように錯覚をしていたのだ。 それにここに来てこの4,5日気温が15℃ほどまで下がって雨が降ったり止んだりしているので何だか日本の梅雨のようにも感じて夜には毛糸のセーターを羽織り、毛糸の靴下を履くようなことをすると一層そんな気になる。 

今日のオランダのニュースでは日本に今までにこの梅雨の時期になかったような強力な台風が来ていてこれから数日は注意を要するというようなことが報道されていた。 これとでもまた今のオランダの天気が日本の梅雨のムードにシンクロしているようにも感じる。

この先週まだ涼しいながら天気がよかったときに近所を歩いていたらあちこちに紫陽花の花が、とくに白いものが溢れているのに気がついてそのとき夏の終わりにこんなに咲いていたのかと変にも思ったのだがそれもモロッコ旅行から帰ってもう夏が終わったと思うパブロフの犬になっていたことに今気がついた。

生ゴミを放り込むコンテナーの茶色いプラスチックの蓋を開けたら入ってくるはずがないのに大小のカタツムリと山に生息するような大きなナメクジ(naakt slak,裸のカタツムリ、ナメクジ)が裏にくっついていた。 これも梅雨だと思わせるものでもある。 夜自転車で帰宅して裏の物置に入れるのに庭の敷石を歩いているとグシャ、とかニュルという音を言わせてこれらの軟体動物を踏むのが今の小雨が混じる時期なのだ。 明らかにまだ本格的な夏は始まっていない。