暇つぶし日記

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別れるということ

2014年07月11日 23時05分57秒 | 想うこと

 

息子がこの3年半ほど付き合ってきた彼女と別れたと家人から聞かされた。 息子は26、彼女は23、娘と同い年で皆同じ学生団に属しており、それぞれ長くフィールド・ホッケーをやっている。 息子も彼女も今それぞれ大学を卒業して今までと違った生き方、生活の仕方をするようになるから彼らにとっても住むところ、職業、生活時間と大きな変化が訪れることとなり今までの関係を続けて行くのか、行けるのか、新しい環境の中での関係も考えざるをえない時期でもある。 それまでの関係が初めの蜜月を続けこのまま社会人になっても続くのなら申し分ないのだがそうなるのは普通ではなかなか楽ではないだろう。 中学に上がる頃から息子、娘にはそれぞれガール・フレンド、ボーイ・フレンドができるようにもなり、そうなると彼らを家に呼び、一緒に食卓を囲むことにもなり、そのうち彼らの両親とも顔あわせをして家に呼んだり呼ばれたり、ということになる。  高校にもなると肉体関係は言わずもがなのこととしてあり、カップルを社会的な大人として扱うことはいうまでもない。 若い二人のことであるから何があっても不思議ではないので我々親達もただ見守りそれぞれの家庭のことを知り、こちらのことも知られる、という近所づきあいに毛が生えたぐらいの関係にもなるだろうか。 これが自分の周りのオランダでの若い者たちの男女交際の骨組みのようだ。 そうして現在に至ってきた。 結婚と違うのはただ市役所に登録されていないということだけぐらいだ。 互いに好ましく思い関係を続けているということだ。 けれど人と人との関係というのは頼りないものだ。 それは年齢には関係がないようだが年齢にも関係が無くもないようだ。 

子供たちが小学校に行き始めクラスの親達を知るようになるとほぼ半分が離婚している、ということがあった。 誕生日会で子供たちを10人ぐらいうちに呼んで3,4時間遊ばせる。 それが済んで彼らの家に送って行ったり親が迎えに来たりするけれど、今日は父親の家に行く、母親と彼女の新しいボーイ・フレンドが迎えに来る、というのも普通で何かの都合で親たちの意思疎通が上手く行かずだれも迎えに来ないからどちらかに電話をかけて迎えに来てもらうということもあった。 そんな子供たちは必ずしも不幸せというわけでもなくけれどもどこかで何かに耐えているという風でもあった。 それでもそのうちそれぞれ大きくなり高校を卒業する頃に彼らに町で出会ってその成長振りに驚くということもあり、そういう風に大人になっていく。 

結婚した夫婦といっても安定したものとは限らない。 嫌いで一緒に住むわけではない。 だれも好きで関係を始め一緒に住み始め結婚し子供が出来、中年になり老いて、、、、というのがプロセスなのだろうが子供ができ中年になり、という辺りがどうも危険地帯のように思える。 いくつもの地雷が思わぬところに潜んでいてそれを潜り抜け中年以降にたどり着くと一応の安心が待っているのかもしれないけれど、それでも脳天気に安心はできないだろう。 仕事、家庭、こども、金、などが普通危険因子でもあり夫婦の若さが両刃の剣となることもあるだろうしどこに躓きの石があるか分からない。 

息子と彼女の感情の行き違い、隙間がどのように出来、それがどのようになったかつまびらかに知る必要はない。 憎みあったり嫌いあったりすることもなくこの時期に将来どのように関係を続けて行けるのか行けないのかということになったのだろう。 これは別段幼い恋でも若者の気まぐれでもない。 ほぼ大人のカップルが3年半付き合ってきたかれらの結論である。 結論に至るのは彼らの内面生活に含まれている要素を再検討の結果だと思う。  我々は関係の諸要素をそれをどのように育て、矯め、時には持て余し、関係を続けるのか、止めるのかを頭の隅に意識、無意識にかかわらずぶら下げて日々過ごしているだろう。 ただ、ある場合には子供は「子はカスガイ」と言われるような役目を果たすことがあるけれど子供のクラスの半分が両親が離婚している、というようなこともあるから「子はカスガイ」は万全ではないようだ。 逆に不仲の親が子供のためという理由だけでギスギスした家庭が続くとなれば子供が傷つくだろうしこどものためといわれてもそれは迷惑だ。 親が幸せにならなければ子供は浮かばれない。

息子や娘の将来にしても多分今まで続けてきた男女関係のパターンとなるのだろうし、ある局面で結婚し、子供もでき、ということもあるだろうけれど突然あるときに別れる、ということを言われるということも当然あるものと心している。 それに、結婚という形をとらずに関係をつづけ子供ができて、、、、というのも普通にあるから自分にはそれは驚きでもなんでもなくむしろ一緒にずっといる、というほうが稀に見えることがある現在、人と人との別れは蓋然性として甚だ高いものとして捉えている。 

 

 

 

 


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