暇つぶし日記

思いつくままに記してみよう

逃げた魚は大きい

2014年07月14日 16時20分03秒 | 日常

2014年 7月 13日 (日)

 

何週間か前、義姉から電話で、息子がみんなで魚釣りに行こうと計画してるけどどう、と聞いてきたので二もなく承諾して決めていたのが今日だった。 考えてみればこれと同じようにして家人や家人の姉妹の旦那、男達だけ計4人でハーグの港町スヘベニンゲンから鯖釣りの船に乗ったのは大方20年前だった。 その時は一日でそれぞれ一人10-15匹相当釣り上げて戻ったように記憶する。 魚はさまざまな方法で調理し猫にも充分喰わせた。

今回は姉夫婦にその息子、息子のガールフレンドの父親、姉夫婦の娘のボーイフレンドとその弟、義弟とその息子に自分と計9人だった。 朝6時15分に起きて空いている高速を港に向かうのだが日曜の早朝、信号も殆ど青で通りすぎ7時半に100人以上が待つ乗り合い船に来ればドイツ人、ポーランド人、韓国人が目立ち普通のオランダ社会の割合より外国人が多いように感じた。 この間からの天気予報では雨になるといっていたのでポンチョは用意していたが結局曇っていたものの雨は降らなかった。

2時間ほど北海を沖に向かいそこで魚群探知機で探った魚の群れの上に来ると船を止め、餌なしの針と疑似餌を6つほどつけた竿で釣る。 この日は殆どかからず我々で釣れたのは中くらいの鯖が8本、小さな鱈が一尾だけだった。 以前とも同じくかなり真剣な装備と経験から船先に陣取ったドイツ人一人だけはで30匹ほど釣り上げていた。 船客のほとんどが空のボックスを下げて船を下りたのは3時半だった。

予定はこのあと釣った魚をバーべキューにして義兄とその娘の誕生会のパーティーにするのだったが彼らはもともと魚を期待していなかったから9匹を申し訳程度に半身づつ口にしたその後のパーティー参加者18人にはなんとか魚釣りの口実にはなっていた。 逃げた魚は大きかったし沢山逃げられた。 魚は日曜日の礼拝に出かけていて災難から逃れたのだ。

船を下りたあと一旦うちに戻りシャワーを浴び家人と共に姑の済む施設に向かい彼女を伴って義兄の家に出かけた。 この日誕生日だった義兄の次女は宴たけなわの時に今妊娠三ヶ月だと告げ皆に祝福された。 彼女を初めて見たのは彼女が4つのときだっただろうか。 当時はシシリアに住んでいてその時はイタリア語だけだった。 中学に上がる頃になりオランダに両親と越してきて卒業後美術学校に進み今ブリュッセルに住みジャズピアノ弾きのボーイフレンドとそれぞれ芸術家として活動している。 彼らには2年ほど前にアントワープのジャズカフェでピアノトリオと彼女の映像プロジェクション公演の際に人数分の寿司を作って持っていったのが最後だった。 けれど実際にはその前年かに家人が個展を開いたときにそのオープニングに二人で来たのが初めてだった。 皆は彼女の懐妊を喜んだけれど自分と同じく殆どが当然のこととして受け止め意外だとは思っていなかったようだ。

釣り船の上で酔い止めの薬を飲まないかと勧められたけれど飲まなかった。 船が進んでいるときの縦ゆれや多少の横揺れはどうともなかったのだが曇り空の下、荒れたとはいえない普通の上ほどの波の中、ソナーが魚群を捉えその上でモーターを止めて皆が釣るときのその揺れは複雑なものでこれにはたいていがやられる。 何もしていなければ水平線を眺めていればどうということもないのだが釣るとなると視線があちこちに動きその中で胃が持ち上げられて胃の中のものを全て船端から海に放り出した。 すっきりしてその後船を下りるまで何も胃に入れなかったからパーティーでは腹が減り並んだイタリア料理をがつがつと喰った。 姑を車で連れて帰らなければならなかったので残念ながら赤ワイングラス一つだけでコーヒーとケーキのあと冷たく冷えたリモンチェロさえ残念ながら口にしなかった。

この日、吐いて馬鹿にされたのは自分だけではなく2mもある義弟は一人こそこそトイレに隠れて吐いたのを笑われ、結局我々はいい酒の肴にされた。