暇つぶし日記

思いつくままに記してみよう

イギリスもオランダもお祭り気分だ

2011年04月30日 03時15分41秒 | 日常


2011年 4月 29日 (金)

昼過ぎに起き出したら下の居間で家人が昼間からテレビを見ているのでなんだろうと覗いてみるとイギリスの皇太子の長男が中流階級の娘と結婚式を挙げたところだと言い、ウエストミンスター教会から出るところだった。 カメラが通路を出口に向かう二人を写している背景に一瞬ビル・クリントンが画面にでてその後見知った顔も見えず、馬車に乗った二人はホワイトホールを抜けて何とか言う何時も騎兵や軍の式典に使う練兵場にみえる広場を通ってケンジントンパーク沿いにバッキンガム宮殿まで馬車が向かった。 何回かロンドンへ行った経験からするとその距離はあまり長くはなかったように思う。 画面ではこの日のスケジュールはほぼ分刻みで決まっており世界で20億ほどの人がテレビに釘付けになっていると言っている。 そうすると我々は20億分の2ということになるのか。

ロンドンに行ったことはあるといっても一番最近は10年以上前でそのときは小学校を卒業した息子の希望で二人、ロンドンで一週間ほど遊んだときに歩いたこともあったからでまだその記憶は残っている。 オランダからロンドンの市内に行くと20年以上前初めての時は昔の大阪のイメージが浮かんだ。 ごみごみとしていて何処と無く薄汚く、それに埃臭かった。 その後イギリスに行くことはあるけれど大都会は出来るだけ避ける。 

別段なんの感慨もなくみていて腹が減ったのを思い出し、何日か前の夕食を電子レンジで温めて家人と二人、スクリーンの前でテレビ・ランチにした。 まあ、祝いのものだからと理由をつけてシャドーネーワインを一杯添えて食事を終えた後、裏庭の日当たりのいいところで新聞を読んでいるとなにやら家人がアトリエでコツコツ音をさせて作品制作に励むような様子だ。 まだ明日に備えて何か作るつもりらしい。

明日はオランダ女王の誕生日で国民の祝日、すでに大方のものは今日からこの晴天の下、祝日気分ともなり明日に備えているのだ。 女王の誕生日といっても現女王のものではなく彼女の母親の故ユリアナ女王の誕生日だったのだがこの時期気候もよく晴れの可能性が自分の誕生日のものよりいいことからそのそのままにしていて、それに続く5月4日の戦没者慰霊記念日、5日の第二次大戦のドイツ降伏、オランダ開放記念日とともに記念日続きなのだ。 これには旧オランダ領インドネシアで日本が降伏した8月15日までに戦没した兵士、民間人をふくむことも明記され地球の反対側の日本ではGWで浮かれるのとは一味違った日々の過ごし方にもなるようだ。  そういうことも背景にあり、明日の女王の日を控えて隣国の将来国王になる者の今日の結婚式はオランダ人の今の気分にもってこいのイベントなのだ。

お祭り気分の催しが続く中で家人の妹が住む町の芸術家協会から家人に公園での野外展示会に出展しないかと招待があり彼女の妹と隣り合わせて半日公園の青空市場のテント会場で多くの人に見せるらしい。 自分はその運転手兼店番でもありそれに半日付き添うことになる手配になっている。 だからそのためのアトリエでの作業なのだ。 その町は二週間ほどまえに銃をもった男がショッピングモールで多くの死傷者をだしたばかりのところで明日店を出す公園はそこから遠くない。

今夜は娘が下宿で家族四人でなにか食うように手配していて夕方から3時間ほどそこで過ごし、帰り道、町の中心部では明日に備えてもうあちこちのカフェーや通りで前夜祭を祝うたくさんの人のあいだを掻き分けて帰宅したらテレビでヘレン・ミレン主演の「クィーン (2006)」を放映していた。 別局では明日のオランダ女王の全国行幸でリンブルグ州の町に行く際の身辺警護について地方警察署長のインタビューがあった。 それは二年前暴漢が日本製乗用車で女王を含め王室の乗るバスに特攻をかけ多くの死傷者を出した事件の例もあるからだと思われる。 今日のロンドンの行事にしてもテロの恐れがささやかれ警備がものすごかったとも報道されていた。 上述の映画の中でもイギリス王室のダイアナ妃の死後すぐの対応が冷たいと一時国民から敵対感情が湧きそれにチャールズ皇太子がテロ攻撃を恐れたというようなエピソードがあったぐらいだから国家元首とその家族というのはある意味何時もそういう危険に晒されていると考えてもいいだろう。 今の世の中、どんなことがあっても不思議ではない。


ウィキペディア; 女王誕生日 (オランダ)の項
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%B3%E7%8E%8B%E8%AA%95%E7%94%9F%E6%97%A5_(%E3%82%AA%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%80)