暇つぶし日記

思いつくままに記してみよう

中途半端な椿が満開だ

2011年04月16日 18時23分03秒 | 日常

一昨年にか家人がガーデンセンターでひょろひょろの椿を3本買ってきてそのうちの二本が赤、一本が白だった。 そのときには何の感慨もなくむしろそのとき面倒だな、というような思いが起こった。 

椿は好きな木なのだが片手で3本も掴めるこれらの木を見てしばし茫洋な気分に襲われた。 なぜ椿を買う気になったのか家人に問うと日本旅行で寒椿の印象があってそれで自分の庭にも植える気になったのだという。

歌劇「椿姫」というのは観たこともないけれど朧気ながら話は承知している。 その印象と子供の頃から自分の中にある椿の印象とは合わなく、子供のころの流行り歌「あんこ椿は恋の花」と「椿姫」とは少々の符合はあるかもしれないけれどそれにしてもそれらは大人の椿だ。 頭に思い浮かべたのはそういうものではなかった。

子供の頃、村のそとにある山や川、岡や林の彼方此方で遊び、友達たちや時には一人で登った木では椿が登るのにも枝の間に座ったりぶら下がったりするのに居心地のよいものだったという気がする。 小学校の行き帰りに毎日通った神社の静かな裏手の大きな椿の木だったり、山手では溜池を見下ろす岡の石の階段を登れば中腹にあってそこからは大阪湾越しに神戸の赤いポートタワーが見えるのもそんな木だった。 こういう花が木一杯に咲いているときには花を片手で包むように抜いてそのすぼまったところを口に入れて吸うと微かに甘い味がした。

木に登るのが好きだった子供の頃の思い出からして目の前にある1m50ほどの椿をみてため息が出たのは、あんな木になるのにはこれから何十年ここに立っていなければならないのか、もしかするとあの神社の椿は100年を越していたのかもしれない、そして、この木がここに100年も立っていられることの蓋然性の低さにその中途半端なため息交じりの感慨となったのだった。