暇つぶし日記

思いつくままに記してみよう

暖かくなったからいろいろな花があちこちで咲いている

2011年04月23日 17時25分37秒 | 日常

寒冷の地オランダにしては今の時期には暖かすぎて、暑いと言い女子供達が薄いスカートやビキニまがいのものを纏うこの頃、ここにきて一挙にいろいろな花が咲き始めた。

スイカズラ(Caprifolium)の根元から細い葉が何枚も伸びたと思ったら茎が出てそこに鈴のような細かい花がたくさん咲いている。 前庭のバラの根元にはいまたくさん鈴蘭が伸びてこれも白くて小さい鈴のような花を咲かすのだがそちらはまだ花もゴマ粒のように細かく花というところまでは行っていない。 こちらのほうは鈴蘭ではないから何なのだろうか。 何年か前に調べたのだが物忘れが激しく思い出せない。

赤や黄、紫や青など色とりどりの花が今になって一気に新緑の中に溢れ出した。

今日は聖金曜日もしくはキリストの「受難日」だった

2011年04月23日 00時07分38秒 | 日常

2011年 4月 22日 (金)

夜中じゅう起きていて閉めきった屋根裏部屋の温度は24度から下がらないほどの暖かさだ。 もうそれは暑さといってもいいかもしれない。 当然午前4時の外気は14度前後なのだろうが今までの習慣が続いていて夏のシフトになっていないから小窓をあけなかった結果こうなったというわけだ。 今日からイースターになるのだがオランダの気象庁開闢以来の暖かさだといっていたからそんなものなのだろうが、だからベッドの布団にもぐりこんでも掛け布団は要らないほどで、このかわりようは去年の11月、12月と同じだと思った。

11月から12月にかけて急に寒くなり例年になく雪もたくさん積もり、これは寒い、けど、まてよ、これを1月2月の寒さが前倒しになっただけのこととすれば1月の終わりだとおもえばいい、と思いなおしたのだったが、今急にこういうように暖から暑に移るともう初夏というより夏の気分になる。

こういう天気に対応するのか草花の動きが早いようだ。 数日経つ間に木蓮は済んでしまい、椿も緋色に茶色の縁取りが広がり小さな木の周りに落花がくたびれた絨毯模様を作っている。

何日も降水がなかったから今日初めてホースで裏庭と前庭に水を撒いた。 去年は夏場に放水した覚えが殆どないものの、通常7月、8月には2,3日に一度はあわせて一時間弱は撒く。 そのときには耳に i-pod のプラグを差込みジャズを聴きながらやるのだが日本でそれを壊し今はそのままだ。 音楽などはこういう風に日記を記すときにネットラジオかパソコンに移したCDを聴くぐらいで昔スピーカーの前でLPをしっかり聴く様な習慣などとっくに失せている。 個人の習慣など変わりやすいものがある。

少々蒸すような午後で家人は茸のクリームスープとサラダを作り、モロッコのパンで夕食にしそれを裏庭で摂った。 そのとき一天俄かに曇りだし、ポロポロと細かい雨粒が感じられたので慌ててガーデンテーブルに並んだものを台所に運び入れ夕食を続けたのだがそれだけで雨は降らなかった。 今日はキリストの受難日、グッド・フライデーなのだ。 なにかそんな太陽だった。

大抵中年以上の家庭ではどこでもそのCDセットがあるように今日はヨハン・ゼバスティアン・バッハのマタイ受難曲が彼方此方で演奏され、コーラス隊員として参加する人々も多い今日の晴れの日でもある。 ちょっと種類は違うが日本でも年末にどこでもベートーベンの「第九」が演じられるのと同じようなものだが、内容が違う。 西洋文化の大本であるキリスト教のその記念日であるから日本で「第九」が演奏されるのとはそこに大きな相違がある。 日本にはどれほど日本固有の文化に根ざしたこのような催しがあるのだろうか。 「第九」といっても60年代からの流行の音楽で所詮は文化的根無し草の一現象といわざるをえないだろう。 釈迦の入寂を祭って御詠歌を詠じる習慣が国民に広く深くあるかどうかは疑問であるし、宗教のない日本と旧大陸のリベラルで自由を標榜する国でも、またこの30年ほど教会に足を向ける人口が減少しているとはいえまだ中年以降の年代では改めて宗教を考える契機、伝統として多くがこういう場に出かけるようだ。 それに続く3日後、キリストの復活を祝う「復活祭」とセットになり今の時期、春の息吹、生命を謳歌する「ハレ」の伝統文化のプロパガンダとしても最適で、宗教離れといわれていても祝日がつづくこの時期はそのことを想う契機になっているようだ。 文化の根というものはここでは日常の中にあり静かで深いところにある。