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いつでも君のこと好きだったよ

角川短歌12月号「比喩の魔力」から

2020-12-12 17:47:37 | 日記

 ・血のなかを光の通るおどろきに雲雀は高く高く啼くのか  

 

 私の第二歌集『白へ』の巻頭歌。内山晶太さんが角川短歌12月号の「比喩の魔力」特集の「自然・景色の比喩 比喩の歌いくつか」に引いてくださっている。

 

 「中略 藤田の歌がこうした叙述を超えて風景が立体的であるのは間違いなく「血のなかを光の通るおどろきに」の力である。体内にしまわれた血管のなかを流れている血。そこに太陽の光がとおることのまぶしさは計り知れず、その感覚の提示は比類のないほど爽快だ。」

 

 こんなふうに受け取ってくださったことが嬉しい。

 

 この歌にはいろんなエピソードがあって、歌集になる前、塔に出したとき、「家持の雲雀の歌を思い出しましたよ」と電話をくださった方、「雲雀の翼の骨の形が透けて見えるよう」と書いてくださった方、「高安國世の『新樹』の巻頭歌への返歌みたいだ」と言ってくださった方。そのたびに私は短歌という詩形の持つ、豊かさを思った。

 

 それぞれの人が、目の前の一首に向き合い、それぞれの体験や知識や感覚を研ぎ澄ませて味わう。

 

 ああ、春だな。雲雀があんなに高いところで啼いてるな。なんであんなにせっぱつまった感じで啼いてるんだろうな、身体からエネルギーが湧いてくるのかな、春ってことがわかるんだな、なんて考えながら、作った歌が、読む人によって何重にも豊かさが加えられる。歌がなんども生き返る。新しい息を吹きかけられて。

 

 ちなみに、高安國世の歌というのは

 

 ・重くゆるく林の中をくだる影鳥はいかなる時に叫ぶや 

 

 私が持っている『新樹』の見開きにもこの歌が自筆で書かれていて、そこには「重くゆるく林の中をくだる影鳥はいかなるときに叫ぶや」と、「ときに」がひらがなになっている。巻末の目次にこの歌が1972年(昭和47年)に書かれたものであることがわかった。それから40年くらい経ってから、の「返歌」。高安さんは1984年に亡くなっていて、私が塔に入会したのが2000年。一度も出会うことはなかったけれど、「高安國世を読む会」に参加したりして、作品を読んでいたことが少し関係しているような気もする。

 

 高安さんの歌の重量をもって下ってくる鳥。鳥というのはどんなときに叫ぶのだろうか。という問いに、春の光が血をめざめさせて飛ばずにはいられず、啼かずにはいられなくなるんじゃないでしょうか。という答え。その偶然を結び付けて読んでくれたひと。

 

 結んでくれるひとのおかげで、短歌はこんなに長く生きている、ということを今回もまた認識しなおしたのだった。

 

 

 

 

 

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