きょうの午前中はハゴロモジャスミンの蔓の整理をしていた。
うちの家は水度神社へつづく道ぞいにあるので、大晦日から年明けにはかなりの人が通る。それで、なんとなく家のなかよりも外に気持ちがいくのだ。
前の広場では中学生くらいの男子ふたりがキャッチボールをしている。ぱーん、というグローブに球が勢いよく入る音がして、左手の手首に近いてのひらへの痛みを思い出した。父はソフトボールのコーチをしたりしていたので、小学生のころはキャッチボールの練習をたまにしていた。いまから思うと、不思議だけれど、確かに私はキャッチボールをした体験がある。あの、ぱーん、という音をきくと左の手首に近いてのひらがじいんとするのだから。
翻って、夫の場合。義父は幼少のころに両親が別れたので、祖母と母に育てられ、「父親との体験」というものがない。身近に父親がいない、父親モデルがないままに自分が父親になり、困惑したこともあったのではないかと思う。当然キャッチボールの体験もないので、夫もそういう体験がない。若いころはまったくタイプが違う男同士で理解したり歩み寄ることもなく、会話もなかったらしい。いまからでは考えられないけれど。やはり歳月は人や人間の関係を変えてゆくものだなぁと思う。
夫は父親を反面教師にしてきたので、私が仕事や短歌をしていたこともあって、息子にとっては休日をいっしょに過ごす仲間という感じで、いい親子関係だった。カヌーや自転車、登山。アウトドア好きの夫はどこへでも息子を連れて行った。親子の関係というのは引き継がれる場合もあるし、どこかの時点で急に変化することもあるのだ。息子にはキャッチボールの体験はないに等しいけれど、父親といっしょに出掛けた記憶はたくさんある。とてもありがたいことだ。
水度神社でお参りをすませてきた親子が何組も家の前を通っていく。
ぐずったり、わらったり、いろんな親子が通る。
2歳くらいの女の子と両親が家の前を通り、女の子が立ち止まった。
女の子「こわい」
ママ「なにがこわいの?」
女の子が指さす方を見る。私も見た。犬もいないし、空間しかない。
ママ「ああ、坂がこわいの? だいじょうぶだよ」と、笑って手をつなぐ。
たしかに、うちの前からかなり急な下り坂になっている。道幅も広い。女の子の低い目線でみたら、転げ落ちそうに見えたのかもしれない。
親子は坂を回避して横道に入って行った。
私は大人になってから怖いものが急激に増えたけれど、坂は怖いと思ったことはないなぁ。ローラースケートを履いていたらうちの前の坂は怖いかもしれないけれど。
きっとあの子は覚えていないんだろうな。坂が怖かったことなんて忘れてしまうんだろう。そして、子供が坂を怖がったこともあのママも忘れてしまうかもしれない。日常は毎日少しずつ変化していくのに、角度の小さいものはたいてい忘れられていく。大きく変わったときしか気がつかない。
ちょうどきのう読んでいた小島ゆかりさんの『六六魚』にはお孫さんを詠った歌があった。その歌集の最後の歌。
・われに似る小さき人よ今日の日を君は忘れよわれは忘れず