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いつでも君のこと好きだったよ

「梁」91号

2016-11-06 21:46:16 | 日記

 琵琶湖を京都から左回りに鉄道でめぐると、琵琶湖に沿っているとはいうものの、かなり内陸を走っていたりするので、琵琶湖が見えない時間もかなりあります。

 

 田園地帯が広がっていたり、工場があったり、川を渡ったり。 それでも、この景色の先に琵琶湖があるということが私を安心させてくれます。

 

 「梁」91号は大森静佳さんの大作評論「河野裕子の架橋」の最終回の掲載号で、最後の3冊『母系』『葦舟』『蟬声』について書かれています。近江に縁の深い河野さんの歌についての論を読みながら、込み上げて顔をあげると車窓には近江の景色があって、しばらく景色をみながら心を整えてからまた論に戻ったりしました。

 

 はじめのところに大森さんはこう書いています。

 

 ・・・略 晩年の河野の歌について、特に言葉や文体に即して論じられた文章は、現時点ではまだ少ない。これまでこの連載ではさまざまな先行の評論や時代ごとの影響関係を検証しながら論を進めてきたが、今回はおそらくかなりの部分を素手で読んでいかなければならないだろう。・・・

 

 ほんとうだな、大変だなと思いました。 けれども、それはまだ踏まれていない雪の上を歩いていくような、道を自分でさがしていくようなスリリングな喜びも同時にあるんだろうなと思いました。 

 

 河野作品の一首一首について、とても丁寧に自分の心と頭で検証されていて、付箋をつけてあとで歌集で確かめたい、と思うような箇所がいくつもありました。

 

 大森さんの論を読んでいると、河野さんの深い場所へどんどんもぐりこんでいくようで、手足の先が冷たくなって、首のうしろを血がのぼってくるようでした。 ずっと息をとめていないといけないようで。 苦しくなって、水面から顔を出すように、視線を文字からはずして外を見て息を吸い、またとぽんと水のなかへ入っていく、ということを何度か繰り返したあと、最後まで読み終えたときは、なんというか、「書いてくれてありがとう」というような不思議な感謝の気持ちでいっぱいになりました。

 

 「梁」91号にはほかにも心惹かれる連作がありました。 松村由利子さんの「平行世界」、大橋智恵子さんの「墨をすり」。

 

 ・糊のきいたシャツにネクタイ締めている朝の父なり行く当てもなく

 ・平行世界それはSFではなくて父がひょっこり出かける世界

 ・いま誰と会話している父なるか同窓会の名簿眺めて     (松村由利子「平行世界」より)

 

 父を見る視線がやさしい。時間の感覚が淡くなっている父を、「平行世界」という父だけが行き来できる世界を父は持っている、と捉えていることに、救われます。私もそんなふうに老いた親を受け入れられたらいいなぁと思いました。きっとそういう境地に至るまでにはさまざまな時間がご家族のなかにあったでしょうけれど。

 

 ・すり鉢にすりおろしたる長芋のあわわわああと小さくつぶやく

 ・笑つてる父の写真の下に立ちラジオ体操五年目に入る

 ・一番にあひたい人のところへとかけつけるのが逝くことですね (大橋智恵子「墨をすり」より)

 

 大橋さんのご両親はもうなくなっておられると思いますが、大橋さんの日常が健気で、長芋をすったり、「お父さん、わたし元気に体操していますよ」と父に見せるように写真の下で体操をしたり、愛おしい気持ちになってきます。 3首目の歌は、一読したときびっくりして、そうなのか、、と思った瞬間、涙がもう頬を通過していました。

 

コメント
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