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いつでも君のこと好きだったよ

なんのために短歌を作るのか

2016-05-21 23:41:41 | 日記

 きのうは神楽岡歌会、きょうは午前中は塔の企画会議、午後は旧月歌会でした。

 

 最近、なんのために短歌を作るのかなということをよく考えます。

 

 社会の役に立つため、ではないし。 なにかと闘うためでもない。

 

 人工知能がすぐれた歌を作れるようになったとして、その歌に負けたくない、ということもない。

 

 そもそも勝敗をつけるものでもないし、誰かの歌と比較するものでもない、と思います。

 

 歌会に行って、この歌いいなぁと思う歌に出会ったときや、思っても見ないような言葉を用いて批評されたとき、続けてきよかったと思うし、あと少しだけ続けてみようかなって思います。

 

 きのうの神楽岡歌会に出した歌

 

 ・繰り返し繰り返しされる報道の隙間に雀の雛が落ちていた

 

 きょうの旧月歌会に出した歌

 

 ・巻貝の渦を辿っているうちにやわらかく細くなってしまった

 

 雀の歌に頂いた評のなかで、私がこの歌を作った原点のようなものを提示されて、ああ、そういうことを私は思っていたんだなと、気づかされました。  巻貝の歌は、おととい会社の帰りに電車を待っていたときにじわ~と涙が湧いてきて、そのとき思ったことをそのまま歌にしたもので、不完全だし、説明がつかないし、いろいろ歌会では批評されるだろうなと思ったけれど、ほんとうのそのときの気持ちだったので、そのまま出しました。

 

 意味がとれないという意見、自分の体験にあてはめて読もうとする意見がでたあと、「この歌は解釈せずにそのまま読めばいいんですよ」という批評があって、そのままって読めるのかなと思ったけれど、そのあと、「このままでしょう」という意見があったので、33人中の少なくとも数人には「そのまま読めた」ということがわかったのでした。

 

 人工知能が人間よりも「いい歌」が作れる日がきても、だから歌は作らないということにはならない。

 

 自分の人生の先に死があるから生きない、ということはなく、死ぬ日まで生きるんだから。 やわらかくなっても細くなっても。

 

 

 

 

 

 

 

 

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