ビアンカの  GOING MY WAY ♪

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フランク・ブラングィン展

2010-04-19 | art/exhibit/museum


松方コレクションがベースとなって1959年に設立された国立西洋美術館。
その
松方幸次郎(1866-1950)とフランク・ブラングィン(1867-1956)は、コレクターと画家という立場以上の親密な関係だった、ということにとても興味を持ちました。

この展覧会は、国立西洋美術館開館50周年記念事業の一つであり、サブタイトルを「伝説の英国人画家-松方コレクション誕生の物語」と謳っています。松方幸次郎との関係を軸にして ブラングィンの作品を日本に紹介する 初めての企画展とのことで、123点の作品が展観。鮮やかな色彩の絵画だけでなく、ポスター、版画、デザイン画、陶器、家具など、その多才な芸術家ぶりは目を見張るほどでした。が、実をいいますと、ブラングィンの名前も絵も私にとって初めて見聞きしたのです。
「松方幸次郎の肖像画」は、その場で一時間ほどで描きあげたものだそうですが、バックに花を描き華やかな作品に仕立てています。ウィリアム・モリスの工房で働いたこともあり、アーツ・アンド・クラフツ運動にも傾倒していただけあり、装飾デザインはお手のもの。

夏目漱石の「それから」にも作品が登場している、とのことでしたが、漱石がロンドン滞在中に何らかの接点があったのでしょうか。 二人は同い年でしたから。

・・・・・仕舞に本棚の中から、大きな画帖を出して来て、膝のうえに広げて、
繰り始めた。けれども、それも、ただ指の先で順々に開けているだけであった。
一つ画を半分とは味わっていられなかった。やがてブランギンのところへ来た。
代助は平生からこの装飾画家に多大の興味をもっていた。
彼の眼は常のごとく輝きを帯びて、一度はその上に落ちた。
それはどこかの港の図であった。背景に船と檣(ほばしら)と帆を大きく描いて、
その余った所に、際だって花やかな空の雲と、蒼黒い水の色をあらわした前に、
裸体の労働者が四、五人いた。代助はこれらの男性の、山のごとくに怒らした
筋肉の張り具合や、彼らの肩から背へかけて、肉塊と肉塊が落ち合って、その間
に渦のような谷をつくっている模様を見て、そこにしばらく肉の力の快感を認め
たが、やがて、画帖を開けたまま、眼を放して耳を立てた。・・・・・
 
(「それから」より抜粋) 

      
                                 海賊バカニーア


ブラングィンの絵には造船所や労働者が多く見受けられましたが、その点においても川崎造船所(現 川崎重工業)の初代社長だった松方幸次郎とはきっと 意気投合したことでしょう。

鮮やかな色彩
の印象が強いのですが、初期の頃はモノクロっぽいモノも多く、年代によって作風の変化がはっきりと見てとれます。    
                          
特に興味深かったのはブラングィンの原画を日本人の彫り・摺り師、漆原由次郎によって版画にした作品群でした。(この二枚の絵葉書を求めました。)
      
               アルビの古い橋(エッチング)

      

              ローレンス・ヴィニョンによる詩 詩画集「ブリュージュ」
            ブリュージュのプレディクヘレン橋(多色木版)


又、関東大震災と、その後の金融危機がなければ、松方の夢であった「共楽美術館」の建設計画が実現していたと知り、残念に思いました。美術館用の土地も、二の橋から愛育病院方面へ続く“麻布仙台坂”に用意してあったそうなんです!惜しかった~!

      松方に蒐集のきっかけを与え、その指南役となったのが
      画家フランク・ブラングィン。
      造船所や労働者を描いたブラングィンの絵画に魅せられた
      松方はその作品を次々と購入し、ついにはコレクションを
      公開するための美術館、「共楽美術館」のデザインを
      ブラングィンに託します。関東大震災後の経済危機により
      美術館は建設されませんでしたが、実現すればそこには
      ブラングィンの作品が総合的に展覧されるはずでした。
                        (美術館HPより)


背後に別館を配した美術館の俯瞰図

同時開催の 「所蔵水彩・素描展ー松方コレクションとその後」も見たかったのですが、すでに時間切れとなりました。 

 

★遅すぎですが、No Man's Land(3)をupしました★

 


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