ビアンカの  GOING MY WAY ♪

昨日・・今日・・そして明日
   人生は ・・・ダバダバダ・・・

tic tic tic tic tac♪

2009-10-16 | music
父が亡くなって以来、毎年母の出す年賀状は裏の文面だけは私がパソコンで作成・印刷し、母はそれにひと言付け加え、表の宛名を手書きしていました。それがここ数年、年賀状書きにプレッシャーを感じていたようで、同じ人に二通出したり、書いたかどうかわからなくなることが増え、戸惑っていたのです。その都度母に、「届いた年賀状にだけ返事を書いたらどう?それも大変って思うのならいっそのこと止めたら?」と話しましたが、やめることを考えただけで猛烈な淋しさに襲われるようで、決心しかねていました。

そんな母が先日言い出しました。「字が思うようにスラスラ出てこなくなってきたので、もう年賀状は今度で最後にしたい」と。

高齢を理由に年賀欠礼する知人・親戚はいますが、とうとう母も・・・と考えると、「もうやめてもいいんじゃない」と言い放ってきた自分の軽い口にチャックをしたくなりました。何気ない気持ちで相手に投げかけた言葉や一筆は、どんなに後悔しても、相手にキャッチされてしまい、もとに戻りません。こっちがすっかり忘れても、自分の言った言葉がずっと相手の心をグサッと刺し続けていたら・・・そんなことを考えていると気が滅入ってしまいます。(すぐケロッとする性格だから、思ったときに書き残さなくては!)

母から2年分の年賀状を預かり、ぼちぼちとパソコンで住所録を作成しています。ついでに自分のぶんも。なにぶん字は下手でも私、手書き派なものですから、PCでは住所録を作ったことがないんですよ。来年用の母の年賀状はそれをもとに表も印刷することにし、母は一筆添えたければそうすればいいし、気が乗らなければそのまま出せばいいし、と思いました。(が、初めての「筆王」での作成にオロオロ気味でっす。)

10月4日のマイブログにFAFAの曲を追記したとき、You Tubeの彼女の曲のリストの中に紛れ込んでいた「Carrapicho」を見つけ、いっぺんでその曲のとりこに。あたまの中が酸欠状態のときや気持ちが煮詰まってしまいそうなとき、このブラジルの曲を聞いているとすべてすっ飛んじゃってスカーッとします。ダンスをマスターしたいな!

Carrapicho





おまけの「Kaoma Lambada」
ランバダ-Wikipedia

今年もジスモンチ♪

2009-09-20 | music

今年で三年連続の来日となるブラジルの音楽家、エグベルト・ジスモンチ。三年前の公演のときは、15年振りの来日と言われて騒がれました。去年はイベントの一環としてやって来ました。

今年のジスモンチは、と言うと、ギターデーとピアノデーとに分かれた二つのステージを、両方ともオーケストラとの共演で演奏したのでした。

ギターも聴きたいし、ピアノだって聴きたい!なのに二つを分けるなんてずるいぞ~と、来日公演を知ったとき、ちょっと白けてしまい、今年はパスしようか・・と思ったり迷ったり。

でも、ピアノナイトの日の朝、当日券が売り出されることを確認したら、行きたい気持ちがムズムズと湧いてきました。「東京・ジャズ・フェス」に行ってから間もないので気が咎めましたが、夕食の支度をサッサとしたあと、メモを残してエイヤァ~とお出かけです。

 

 会場となる、すみだトリフォニー・ホールは、仕事をしていたときに何度か前を通っているけど入るのは初めて。会場に入って驚いたのは思っていたより全然すいていたこと。当日券が6時から売り出されるのでそのころ着くようにやってきたのに、これならギリギリに来ても大丈夫だったでしょう。
よくよく考えると、このホールって客席数が1800人ほどの収容力がある
んですよね。去年の紀尾井ホールは800人ほど。一昨年の草月ホールはそれより少ない5~600人。そう思うと、彼の音楽性からしても納得出来、ちょっとばかり安心しました。

       Jun-ichi Hirokami 

今年は広上淳一氏が指揮する新日本フィルハーモニー交響楽団との競演でした。
ジスモンチと比べるとずっと小柄な広上氏ですが、体全体を使った躍動感溢れる指揮で見事にジスモンチワールドをバッチリ捉えてしまいました。たった二回ほどのリハーサルで、ここまで数々の難曲を把握できちゃうとは、凄いこと!広上氏はほんとによかったです。

プログラムは、ピアノソロ2曲以外はオケとの競演で、お馴染みのセチアネイスやフレーヴォも、聴くごとに進化しているようですが、オケが頑張って喰らい付いている、と思いました。一曲が終わる毎にまるでアンコールを呼ぶような拍手が続きました。その都度、広上氏とジスモンチががっちり握手し、お互いを、そしてオケの方々を讃えるのです。本当のアンコールでは、皆がスタンディングしての大喝采!それも二回も!素晴らしい演奏家と素晴らしい観客が一体となった、心にずっしりと残るコンサートでした。

このコンサートには、プログラムなどの書かれたミニ冊子が用意されていたのですが、その中で音楽ジャーナリストの林田直樹さんが書いている文中に、ジスモンチの言葉が紹介されていました。パリで、師事していたブーランジェからある日、「もうここには何も勉強する事は残っていません。国に帰ってブラジルを発見しなさい。」と言われたんですね。そして母国に帰国した彼が先住民と共に暮し、体験し、学んだことは、単に音楽家だから、ではなく、一人の人間が生きて行く上で、とても大切にしたい感性だったんだなぁ、と、その文面(スキャナでコピーしました)から感じ取りました。

やはり、エグベルト・ジスモンチの魅力は、優しさ、包容力、真摯な姿勢に裏付けされた、抜群の音楽センスなんですね・・・。って、私の下手な言葉や文で表現したくない、というのが本音でした。

またしも当日より約一週間遅れになってしまいましたぁ。

かめちゃ~ん、かぐちゃ~ん、行って来ちゃったよ~

 


 


東京ジャズフェスティバル’09へ

2009-09-13 | music

(ありゃ~、すでに一週間も前のことになってしまったよ~・・・ )


当日は夕刻までお日さまの燦燦と当たる代々木公園にいたので、“東京ジャズフェスティバル2009”の会場へ着いたときは正直言って、ジャズを聴く気分でなく、家に帰ってのびのびしたかった。そのときの体調は、海で日焼けしたあとの疲労感に似ていたから。

入口を入ってチケットを渡したあとで、「カメラ・デジカメ類は持っていませんか?」と聞かれたので「持っています。」と言うと、会場内へのカメラの持ち込みは禁止となっていますので、こちらでお預かりします。」と言われた。こんなこと初めて!!持っていない、と言えばよかった!大きなプラスチックの入れ物に入れられ、引き換え券を渡されたけど、私物をこんな風に強制的に預けさせるなら、パンフレット等に書くべきだと思う。ケータイカメラについては言われなかったのでメチャクチャだ。
私が入口のそばで、今夜のプログラムが書かれたボード
を撮っていたのを見ていたのかしら、と思ってしまった。入場する全員には訊いていないようだもの。
(会場内で堂々とケータイカメラを使用しているおばさんを見つけたけど、誰にも何も言われてなかった!)

ホールAの中のエスカレーターを上へ上へと上り、着いた座席から見下ろす舞台は遥か彼方で、ちょっと惨めな気持ち。音楽は聴ければいいんだから、これでいいんだ、とすぐに気を取り直す。
演奏が始まると、ステージの両側のスクリーンに プレイヤーの様子が大写しで流されたので助かった。


    ♪・・・・・・・・公演スケジュールは上記の通り・・・・・・・・♪

トップバッターは、女性ピアニストの大西順子のトリオ。名前は知っていたけど初めて聴く彼女のオリジナルナンバーの数々は、疲れ気味の私を叩き起こすような勢いだった。素晴らしいテクニックとパワフルな演奏スタイルに圧倒されっぱなし。

二番目はマッコイ・タイナートリオ。ジョン・スコフィールドが特別ゲストとして共に演奏。マッコイ・タイナーは今は亡き名ジャズメンたちと常に一緒にプレーしていた名ピアニストだけあり、余裕を感じる優しい演奏は、ホッとして聴いていられた。年より老けて見えたし、ふらついたような歩き方に、アル中・・?とか思ってしまったが、地味なイメージだった。前出の女性ピアニストがかなり自己表現をするスタイルだったので特にそんな風に感じたけど、私の耳には心地よかった。数十年前、この人がジョン・コルトレーンと共に演奏活動をしていたのか、と考えると何か不思議。

一回目の後もそうだったが、二回目の演奏後も、15分ほどの休憩があったのでコーヒーを飲もう、と2階ホールまで降りて行ったが、何と、ソフトクリームが販売されていた。行列が出来ていたけど休憩時間内に間に合うかも、と私もつい並んでしまった。時間を気にしながらやっとの思いでゲットしたソフトクリーム。美味しかったなぁ。疲れが取れてきた上、元気が出てきた。15分はあっという間だったが、上の階までエスカレーターが使えないようになっていたので仕方なく階段を急ぎ足で上る。

椅子に着くや、三回目。アルトサックスのルー・ドナルドソンの番だ。このオジイサン、80代なのに年齢を感じさせない鷹揚さがある。サッチモばりの声で、「What a Wonderful World」や「ウィスキー・ドリンキング・ウーマン」など歌まで披露し、大喝采を浴びたが、とてもリラックスしてステージを楽しんでいる風なので、こっちまで楽しくなる。オルガン奏者、敦賀明子さんがのびのびと実に楽しそうにスイングしていたのが印象的だった。

そして最後はブルーノートレコード創立70周年記念スーパージャム!
マンハッタン・ジャズ・クインテットやチャイナ・モーゼス、日本人の若手グループ「クオシモード」を加えた、当日の出演者全員によるスーパーセッションでのブルーノートの名曲の演奏にはほんとに驚かされた!もっともっと聴いていたかったけど終了したのは23時近く!ジャズフェス最後の夜を飾るに相応しい一夜だった。

    ★ 東京ジャズフェスティバル2009の模様がNHK衛星などで放映予定!
     日時は上HP内で見れます。

 


Jazzの祭典’09

2009-09-10 | music

二日続けて丸の内にやって来ました。というか、本当は三日連続になるんですけどね。
土曜日の夜の国際ジャズフェスティバルの当日券が夕方4時から発売になることを知り、どうしても行きたくなりました。不運にも?そのときは家族全員が在宅していたので夫々の夕食の要・不要を尋ねたところ、何とかするから、とのことで善は急げとばかり、4時ころ着くように出かけました。東京国際フォーラムAホールに着いたらすでに行列ができていたので、その最後尾に並びましたが、しばらくして係員がやってきて、「あと数枚で完売となるので、お並びになっていてもチケットの購入は無理です。」と言うではありませんか!もうが~っかり。家族全員に連名で、“夕食前には帰るよメール”を送信。

フォーラムの地上広場に出たところでは「Dutch Jazz Garden」が開催されていました。ちょうどベンジャミン・ハーマン・カルテットというグループが舞台上で演奏中だったので、少しだけ聴いてから帰ろうと思いました。前日はここで「Australian Jazz Night」があったようだし、丸ビルのマルキューブでは「French Jazz Quarter 2009」が開催されていたのです。街角コンサートはすべて無料だし、丸の内全体がジャズに包まれた3日間だったのですね~。地上広場は屋台村化して、食事をしながら、ビールを飲みながら大勢の人がリラックスして音楽を楽しんでいましたよ。5月の音楽祭のときと同様です。

人々の頭で演奏者が見えませんでしたが、かき分けて中に入り込み、やっと舞台上がチラッと覗けました。結局このグループの演奏をぜ~んぶ楽しんでしまいました。ベンジャミン・ハーマンを紹介したチラシには《クールなスタイルとダンサブルでグルーヴィーなサウンド》と、カタカナが並んでいましたが、まさにそんな感じでとってもカッコよかったです。オランダジャズもなかなかのものでしたね。ここで聴いたことで、翌日の東京ジャズフェスティバルにたまらなく行きたくなり、直ぐそばのチケットぴあに行き、6日の夜の部のチケットをついにゲットしてしまったbiancaでした。

6日のことは・・・遅れすぎですが・・・次回のブログに少し書きますね。

 


ある日突然

2008-07-19 | music
                            

                               
非常階段を降りたところに背の高いひまわりが咲いているのを発見。
車で外出する時はこの前を通らないけど、駅の方へ買物に行く時は非常階段側から行くので気がついてもいいはず。なのになんでこんなに大きく育った花を見逃していたのかしら。
視野が狭まっているのかしら。         ある日突然・・・てな訳けないし。 

 ♪ ある日突然二人だまるの
あんなにおしゃべりしていたけれど♪
    ♪いつかそんな時がくると
  私にはわかっていたの・・・♪

 先日~これも一種の「ある日突然」ですが~お誘いのお声がかかり、遥か昔を思い出してしまうような懐かしい歌声を3人で聴いてきました。お誘いがなければ、まず行かなかっただろう癒し系の曲目で人気のデュオ、トワエモア。

鳥英美子with トワエモワ コンサート 《明日への扉》に行ってきました。
                                                         
       曲目:   ある日突然
            リンゴの花の下で
            初恋の人に似ている
            虹と雪のバラード
            誰もいない海
            旅立ちの日に
            アメイジング・グレース
            空よ
            明日への扉
                    ほか

1969年にデビューを果たし、「或る日突然」「空よ」、札幌オリンピックの入場曲として親しまれた「虹と雪のバラード」や「誰もいない海」など、永遠に口ずさまれるヒットを放ち、たちまち人気をさらった清冽デュオ、トワエモワ。73年デュエットを解散。女性ソロ・シンガーと音楽プロデューサー、互いの道を歩んだ二人ですが、97年のNHK「思い出のメロディー」出演をきっかけに再結成を決意。芸歴30周年を記念し、99年より本格的に白鳥英美子withトワエモワ(白鳥英美子&芥川澄夫)としてコンサート活動をスタートさせています。
青春の思い出のシンボルともいえる清々しい歌声とともに、もはや卒業ソングの定番、全国の小・中学校で絶大な支持を集めている「旅立ちの日に」など、彼らの輝かしいレパートリーが鮮やかに甦ります。(webより)

若い時分は、特に聴こうとしなくても聴こえてきたトワエモアの爽やかな歌声。
こうしてコンサート会場で、数十年前の曲を、五,六十代になったデュオが 歌い、大喝采を浴びているなんて、立派です。声の質はそりゃぁ少しは変化していますが、美しいハーモニーは健在でした。その上、トークに磨きがかかり、きつめのジョークを交わしあうお二人でした。恥じらいがちだった若き日のピュアな二人も、親となりより強く逞しい、でも優しさはフルに感じさせるパートナーとなっていました。歌い手としてのパートナーであり、実生活では別なんですよね。
あのころ大流行していたフォークの曲目の中から観客の拍手の大きさで2曲を選んで歌う、という時に選ばれた曲は、「22才の別れ」(You Tube by 伊勢正三)と「翼をください」(同じく by 徳永英明)でした。両方ともすっかり名曲となっていますね。
ジャズなどと違って、私たちも共に声をだして歌える、というのが、この手の音楽の魅力だと思います。歌いたくってたまらなくなります。いえ、なっちゃいましたよ。この思いをどこに発散させましょうか?空よ!と空に向かうか、誰もいない海ではじけるか・・・ある日突然・・・・・?


トキメキのコンサート

2008-07-04 | music


四谷・上智大横の土手にて

待ちに待ったその日は朝から落ち着かず、家の仕事をしながらも、いつもとは全く違う
心持ちでした。先日カット&パーマをしたので、ヘアーに関してはそれ以上どうにもなら
ないからOK。顔は、これも変えようがありません。せめてお化粧でカバーしようか、と
思っても、そんなテクニック持ち合わせていないし、いじればいじるだけ化け物になるのが
オチでしょう。着ていくものはどうしよう・・。靴は・・。といっても選ぶほど持っていないし、
2時間座りっぱなしだから楽なものがいい。

変わり映えしないから、そうだ、マニキュアでもつけようかな、と、慣れない手つきでパール
系の色のを塗りました。こんな日に限って乾きが遅く感じます。賞味期限・・・でなくて
使用期限が切れているに決っているマニキュアだから乾かないのかしら。我慢できなくて
つい動いてしまったのですぐに爪が擦れたりして、あちこち剥げました。が、まぁいいかぁ。

なぜこんなに大騒ぎしているかって、エグベルト・ジスモンチのオーケストラ・コンサートを
紀尾井ホールまで聴きに行く日だったからです。去年の夏に約15年振りで日本公演
を果たした彼が、今年は “第24回〈東京の夏〉音楽祭2008” のオープニングの日に、
東京フィルハーモニー交響楽団と共演を果たすのです。全て彼の作曲した音楽で! 
             
それだけではありません。まだ一度もお会いしたことのない
ブロ友二人が、偶然にも同じコンサートを聴きに来る、と、
知ったからです。そうなんです、ジスモンチよりこっちの方
にドキドキでした。ほぼ3年間、お互いのブログ上でコメント
のやり取りだけをして、勝手に相手を想像していただけなん
ですもの。

日が長くなったので赤坂ではなく、四谷から赤坂に向かって土手を歩くことにしました。
そのほうが緑の中を歩けるし、心だって落ち着くってもんです。でも目指すホールにはすぐ着いてしまい、教えていただいた「カエルの帽子」の目印をすぐ見つけてしま
いました。
アハハ・・・もう逃げられない!と思いながらも私は相手に手を振っているではありませんか。

会ってしまえばもう旧知の仲・・・と思っていましたが、緊張が解けかかったころには開演時間となり、お互いの席へと向かったのです。あぁ~、私何をお話したのかしら~?まるで二人の恋人と同時に会っているようでした。想像と現実はどうだったかですって?
ウ~~ン、微妙な違いは勿論ありましたよ。でもお二人とも想像していた通りのチャーミングなご婦人でした。お互い、知っているようで何も知らないし、知らないようでも日記は覗かせて貰っているという関係はちょっとくすぐったいような、何とも言えない感じです。
こんなに現実に心ときめき、胸躍らせたのはいつ以来か判らないくらいです。心のときめきは、はい、絶対に人を若返らせますね。お声を掛けていただき感謝感激です!

仕事帰りの娘も、コンサートの始まる寸前に到着。
席は一列目と三列目。発売2日目で、すでに前の方の席はバラバラにしか取れなか
ったんですが、かぶり付きですよ。すごいでしょ。
オーケストラの演奏が始まり、しばらく経ってから、上下黒い服のジスモンチがトレード
マークの網帽をー今回は赤ー被って現れた時は割れるような拍手が起こりました。
前半がピアノで、後半はギター。しかし、ジスモンチの弾くピアノやギターの音色が
オーケストラの音に掻き消されよく聴こえず、去年のようなソロだけの方が断然いいと
思いました。が、進むにつれて、オーケストラの奏でる音がジスモンチの世界にとても
接近して来て、素晴らしいハーモニーが出来上がってきたように思いました。
オーケストラと競演でも彼の迫力は負けてはいないのです。ステキだ~マイ・ジスモンチ!
アンコールに数曲答えてくれましたが、同タイトルの曲でも、弾く都度違ったフィーリング
なので、曲名は覚えるのが大変です。出口に、本日のアンコール曲が、「FREVO]と
「MENINAS」であることを知りましたが3曲だったと思ったけど・・・?
アンコールの拍手はなかなか鳴りやまず、オーケストラの方々も熱心に拍手していたのです。
娘と「ブラボー!!
って叫ぼうね」、と話していましたが、それが、小さい声になっちゃった。
今回、ジスモンチは英語で挨拶をしていました。とても丁寧な仕方で、前回のように
日本風にお辞儀を何回もしていました。観客席に真っ直ぐに、しっかりと目を向けての
挨拶は本当にカッコよかったです。

今回の演奏曲目の一つ、「Dança dos Escravos 」と同名ではないのですが、ギターを奏でる
こんなジスモンチも聞いてください。曲目は「Dança das Cabeças」(ダンサ・ダス・カベーサス)


会場を出ると、車がずらりと並び、コンサート帰りのお客が次々に乗り込んでいました。それもそのはず、音楽祭のオープニングコンサートだから、色々な人種も来ていたのでしょう。娘と私は、「私たちのお迎えは~?ないの~?」と、ぼやきながら、ニューオータニ前を永田町方面へ、トボトボと歩いていたら、オープンカフェスタイルのオー・バカナルを見つけました。すかさず、「入ろう!」と娘。
夜の10時に母娘がこんな所でビールにワインを飲んでいるなんて、最初で最後かしら?


    

カメリアさん、かぐやひめさん、即日にブログを投稿してくださり有難うございました。
ジスモンチに代わってお礼申し上げます!今でも、あの初対面は嘘じゃなかったのかしら、
とまだ夢ごこちのbiancaであります。

 


特集号買っちゃった

2008-06-25 | music

               
近所に買物に出かけたついでに本屋で立ち読みしていたら、欲しくなって買ってしまった「BRUTUS」。この雑誌は男性雑誌の中にあるし、活字が小さいので若向けなんだろうけど、武蔵のこの眼力に負けた。6月6日のマイブログに書いたように、上野の森美術館で「最後のマンガ展」を見てきたけど、BRUTUSのこの特集号には井上雄彦氏の他の作品(例の新聞広告のイラストなど)のことも載っていたのでついつい・・・手が出てしまった。
バガボンド
・・・ポルトガル語ではVAGABUNDO(ヴァガブンド)といい、放浪者とかならず者などのことだが、もっと深い意味もあるかもしれない。VAGABUNDOと聞くと思い出すのはこの曲。これは若い頃のジョアン・ジルベルトとカエターノ・ヴェローゾが歌っているが、ガル・コスタのも大好きだ。
若者に混じって見た素敵な展覧会。その最後の作品の前は砂浜だった。ここを武蔵と共に歩きながら、聞こえてくる曲が「コラソン・ヴァガブンド」でもおかしくない。







 Coraçao vagabundo

MEU CORAÇÃO NÃO SE CANSA
DE TER ESPERANÇA
DE UM DIA SER TUDO O QUE QUER
MEU CORAÇÃO DE CRIANÇA
NÃO É SÓ A LEMBRANÇA
DE UM VULTO FELIZ DE MULHER
QUE PASSOU POR MEUS SONHOS
SEM DIZER ADEUS
E FEZ DOS OLHOS MEUS
UM CHORAR MAIS SEM FIM
MEU CORAÇÃO VAGABUNDO
QUER GUARDAR O MUNDO
EM MIM
MEU CORAÇÃO VAGABUNDO
QUER GUARDAR O MUNDO
EM MIM

    (Composição: Caetano Veloso)


街を歩けば話題の山

2008-05-11 | music

GW中、銀座に用事があり京葉線を東京駅で下車。いつも東京国際フォーラムの中を抜けて行くのだけどこの時期のフォーラム周辺は例年同様、クラシックの祭典《ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン「熱狂の日」音楽祭2008》で大賑わい。今年のテーマは「シューベルトとウィーン」。時間が合えばミニコンサートの一つでも聴いてみたい、とチケット売り場に寄ったが、当日券はほぼ完売状態。すごいな、日本って。音楽でも美術でも国民の中にすっかり浸透しているんだ、それとも情報過多の時代の産物的現象なんだろうか?だれもかれもがワサワサと出かけ、何でもかんでもに首を突っ込んでいる。
ワハハ・・それってbianca、あなたでしょう、だって?  Oh, yes!何にでも,とまでは行かないけど、歩いていて
興味のあるものに出合うとワクワクするのは事実だし、だからこんな時代でもウツにならず逞しく?乗り越えられるというものだ。とゆーか、ただ単純なだけか。
フォーラム地下2階の展示ホールの“グラーベン広場”には、八角形の舞台が設置してあり、無料コンサートが行われていたが、ここには有料コンサートのチケットを持っている人しか入場できないとのこと。
 地下一階から下の階を見下ろしながらしばらく聴き耳を立てていた。

          グラーベン広場は19世紀の初めに、気晴らしや、出会いに
          恰好な散歩道としてシューベルトも親しんだ場所。

        

銀座へ行く前に丸の内周辺を散歩でも、と歩いていたら、以前ブログに書いたことのある
「建物」の解体あとに、来年竣工予定の新しいビルが空高くその姿の一部を見せていた。
ビルの名前は、え~と・・・三菱商事ビル、古河ビル、丸の内八重洲ビル!
それが
丸の内パークビルと言う名前で今風の高層ビルに生まれ変わる。好きだった丸の内
八重洲ビルより詰まんないビルを作ったら承知しないぞ~、と言いたけどもうこんなに
出来上がっている。来年の6月末頃に完成するらしい。ビルを囲んでいる塀には子供が
描いた絵が飾ってあったし、仲通りの建設現場でも、壁が草花で埋め尽くされている。
どういう仕組みになっていてこう言う風に出来るんだろう。

  
      
       
     

丸ビルまで歩いてからUターンし、有楽町イトシア前で、ディランの「I’m  not  there」
どうしよう、と思いながら通り過ぎ、銀座中央通りへ。祭日はホコテンなので堂々と車道の
真ん中を歩ける。と、どこからか、気になる音楽が流れていた。Y楽器店前からだ。店頭で
セールのCDを流しており、それがジャズ特集だったから首を突っ込んだ。
同じ曲を繰り返し流している。その曲はどのCDなのか、と何人もが店員に尋ねており
どんどん売れている。へぇ~聞いた事ないな、このサックス奏者は。モダンジャズと違うし、と
思ったが曲は聞いた事がある。でも全く思い出せない。KOZという名前だけ頭に入れ、
目的の「エリック・カール展」を見に行くべく招待券を探したら、ない!バックの中もポケット
の中も、どこにも見当たらない。ガ~ン!きっと家のテーブルの上に置きっぱなしなんだ。
どうしよう、と悩んだが、入場料を払ってまで見なくてもいいかぁ、と、この日はやめにして
Y楽器でプレゼント用のCDを物色することにした。さっきの曲がまだ聴こえ、売れ続けてる。
うまいなぁ。一番の売れ筋の1曲だけを流してお客の心を掴んじゃっているんだもの。
一曲以外はつまらないかもしれないのにね。これもキャッチセールスというもんだ。

 

帰宅してからKOZでweb検索したところ、スムースジャズという
種類のジャズのサックス奏者、デイヴ・コズということが判った。
流れていた曲名は
Careless Whisper」。
(ちょっと刺激的かも なので、良かったら「最小化」にして
曲だけ聴いてね)
WHAM!のカバー曲だったんだ!って、ワムもコズも知らなかった
が、娘に聞いたら、「ワムは超有名よ」とのこと。「ママだって知
っているよ。ラストクリスマスもワムの歌だし。」で、それもwebで
探してすぐに判った。なんだ、これなら知っているわい。

 GW最後の日に、又銀座まで用事で出かけた時、Y楽器店の
ジャズCDセールも最終日だった。その日もワゴンの周囲には大勢
の人が集まっていたのでつい面白くて近くで覗いていたが、売れてる売れてる!よく売れてる!さすが銀座中央通りだけある。
かかっていた曲はジャズ好きなら、いや、特にジャズ好きでなくても
知らない人はいない曲、「Take Five」。
こんな風に、街から聴こえてきた曲につられて買ってしまった体験、
実はあるんですねぇ、それが。もうブログに書いたかなぁ、思い出せ
ないけど、書いた気もするし書かないきもする。あ~ぁ、呆けてきて困ったな。

東京駅八重洲口を出て大通りを渡ろうとした時、向こう側から聴こえてきた歌が、まさしく
私が一生懸命探していた歌であり、誰だか判らなかった、その歌手のものだったんだ。
つられた、ってより、捜し求めていたものだったから、こんな偶然ってあるんだ、と嬉しくて
有頂天になり、勿論すぐ購入してしまった。
場所によっては、古い音楽でもこんなに売れるもんなんだ、ということを目の当たりにした
銀座だった。
              

 


V・S・O・P を聴きに

2007-10-23 | music

2007年10月19日(金)
仕事のあと、一たん家に戻ってから、パパパッと夕食の段取りを整え(まるでスーパーウーマンみたい!)、とんぼ返りでJRに乗り、念願の「The Quartet」を聴きに東京国際フォーラムまで出かけた。

“生きる伝説”4人による世界初のそして、ラストチャンスとなるかも知れないジャズセッション。生きる伝説、だなんて書かれていたけど、皆、年はとってもバリバリの現役だ。

1960年代からマイルス・ディヴィスと共にステージに立っていた彼らだが、1976年にマイルス・ディヴィス クインテット時代の演奏を再現しようと結成されたのがV.S.O.P.。
Very Special One time Performance
(一回限りの演奏)のイニシャルをとって名付けたという。本当に一回限りのつもりが、大好評を博したため、その後も活動を共にするようになり、77年、79年には日本にもその名で来日していた。(その時のドラマーは、今は亡き、トニー・ウィリアムス。)

 今回の彼らの年齢は、と言うと、何と65才から70代までと高齢なのだ。65才を高齢である、という解釈は今では時代と全くかみ合わない。私の大叔母など、50代で引ったくりに会った時、新聞に「老婆襲われる」と書かれた。もう笑っちゃうよね~。
「 ビアンカの “ちょっとローバーなブログ” 」ってどうでしょ?でも、こういうことを書く記者って、新聞記者だからきっと頭はいいんだろうが、知的じゃない、と思った。頭がいい、勉強が出来る、ということと知的であることとは余り関係がないようだ。74歳のウェインは超かっこよかったし、みんながみんな素敵だ!

   ♥ハービー・ハンコック 1940年生まれ
   ♥ウェイン・ショーター  1933年生まれ
   ♥ロン・カーター     1937年生まれ
   ♥ジャック・デジョネット  1942年生まれ    なんざんす。

会場はほぼ満席。勿論チケットは完売。この日は日本での最後のコンサートだった。夫は仕事のあと駆けつけても開演時間に間に合わないので諦めたが、私より彼のが来たかっただろうな、と思った。
結婚することを決めた要素の一部が、音楽と読書の傾向が共通点・・・だったけど、今思えばどうでもいい事ではあったが・・!(って、どういうこと?¬(´ー`))
 
公演が始まり4人がステージに入ってくるや、ずらりと並んで客席に手を振るやら拍手するやら・・・なんだか昔からの知り合いか同窓生だかが、何十年ぶりかで帰ってきた、そんな感じだった。
勿論私にとっても、昔からの知り合いのようなジャズメンたち。
マイルスの音楽を出発点として結成された彼らのジャズは、V.S.O.P.だけあり、常に前進しつづけた故人マイルス・ディヴィスに捧げるステージに相応しく、創造性豊かで、全く年を感じさせなかった。気迫とか優れた演奏、とかいう以上の、長年の同志がお互いを尊敬し合い、全く自由奔放に演奏を楽しんでいる!そんなリラックスした、けれどキラリと切れ味の良い、磨きの掛かったステージだった。
当日の演目で、《処女航海》が非常に楽しみだったが、それは私の知っている曲をはるかに超えた曲に生まれ変わっていて、ついていけない私のほうがご年配だぁ~と苦笑。
彼らの演奏って、全体的にガンガンと、音が激しいのだけど、その中にも素晴らしいバラードが入ったりし、おっ、ジスモンチみたいだ、と思った部分もあった。それぞれが素晴らしいパートナー同士で、阿吽の呼吸で名曲を進化させていく。演奏のたびに違う味を味わえるのがモダンジャズの面白い所ではないかな。
                        

当日の曲目は、webで偶然知った小川隆夫氏のJAZZ blogに、以下のように書いてあった。

     「ソー・ホワット」
     「処女航海」
     「アイ・ソウト・アバウト・ユー」
     「天国への7つの階段」
     「アウン・サン・スーチー」
     「いつか王子様が」
     「81」
     「オール・ブルース」
     【アンコール】「フットプリンツ」


私がジャズを好きになりはじめたきっかけの曲は、といえば、MJQの「ジャンゴ」だったかも。
MJQのジョン・ルイスが、ジャンゴ・ラインハルトの死を悼んで作ったそれはそれは美しい曲。
ジャズは、思考の妨げにならずに聴く事が出来る上、想像力を高めてくれる気がする。
だから、何十年前の曲でも古く感じない、モダンなオールドジャズ。


とにかくすごいコンサートを見た、という気持ちでいっぱい。マイルス・ディヴィスは、私、サンパウロにいる時に「Teatro Municipal](市立劇場)での公演に行っているんだけど、全体的に私の耳には音が主張しすぎてて、ついていけなかった。

このレコードの「ジャケット」デザインが 昔  からのお気に入り。曲よりもジャケットが忘れられないのって、あるでしょう?
 ハービー・ハンコックの
 “ Speak like a child ”
バックの色と二人のシルエットがが何とも言えない・・・。
東京国際フォーラムのコンサート会場で、ジャズメンたちを浮き立たせるライティングが素晴らしかった!バックの、ひだの入ったカーテンが、ライティングの色により、変わっていくのが面白くて、ジャズと共に酔いしれた一夜だった。

★箱を開けると・・・

 

 

 


・・・シャバダバダ♪

2007-09-19 | music

先月の新聞記事で、ピエール・バルーの久々のコンサートがあることを知った。
ピエールをはじめて知ったのは私が10代の半ばごろに見た「男と女」でだった。
クロード・ルルーシュがまだ20代だった時に監督をした映画。みんな若かったけど、あれから40年たってもその時感じたパリのエスプリは一つも古臭く感じない。

聴きに行きたいコンサートがこのところ偶然、増え続けている。
10月に行われる「The Quartet」は、もう券を買っていたので、これはどうしよう、と考えているうちに当日を迎え、当日券があるのを確かめてから恵比寿ガーデンホールへすっ飛んで行った。夕食は、もちろんちゃんと準備OKにしてからね。

義母のことでなんだかんだと雑用が山積み。というのも、グループホームと違い、今度の施設では、衣類の入れ替えをこっちでしなくてはならず、使わないものは全て持ち帰らなきゃならない。
居間にはまだ、義母の荷物が段ボールに入って何箱も積んである。今後の作業は、モノを捨てられない人がウチにいるので、ちっとも捗らない。こう言う時は好きな音楽でも聴きに行きリラックスしなきゃね。

サンバ好きになった原点の曲が映画の中の「Samba Saravah(サンバ・サラヴァ)」。
「男と女のサンバ」、とか、「サンバ デ ベンソン」などとも呼ばれるこの曲はテーマソング以上に大好きな曲♪
その曲をフランシス・レイと共に手掛け、自ら歌い、さらにアヌーク・エーメの亡夫役(現実にも一度は彼女の夫となる)になった人がピエール・バルー
だと知ってから、彼がずっと好きだった。あの映画では、二枚目のジャン・ルイ・トランティニアンより、断然スタントマン役のバルーにほれ込んでしまい、こんな人と結婚したい!と夢見ていた。
その彼をはじめて目の前で見る事の出来た記念すべき日が今年の9月17日。
あれから何十年たったのだろう。彼もすでに白髪の73才。
私?これがぁ、ちっとも変わらないのよねぇ。アタマの中味がさぁ!

■musicians
 ピエール・バルー(Pierre Barouh )

 ジャン=ピエール・マス(Jean-Pierre Mas)→piano
 ヤヒロトモヒロ→perc.
 井野信義→wood bass
 マイア→backing vocal/flute)
 ちんどんプラス金魚→ちんどん
 And more.....!?
 
■スペシャルゲスト 高橋幸宏、カヒミ・カリィ

ザ・ガーデンホールに着き、2階へと、階段を昇ったところで「ちんどんプラス金魚」の賑やかな演奏が始まる。勿論ステージ上ではなく、2階ロビーでのことだ。
ちんどん屋は今、見る機会が殆ど無いが、昔、賑やかに町を練り歩いていたのを覚えている。だいぶ前にパチンコ屋の前とかで見かけたきりだったので、なんでピエールのコンサートにチンドンヤかぁ、と思ったが、娘のマイア・バルーがメンバーの一人だった。マイアの事などちっとも知らず、ひたすらピエールのサラヴァを期待していたんだけど、このお嬢さん、音楽センスが抜群だ。フルートとサックスを自由に操り、歌も歌い、ちょっと低めだけど、受け狙い関係なく、直球の感じで自然体でトークもする。この日も、フランス語の通訳を、普段の会話のように淡々とこなし、主役を「このひと」呼ばわりしていたが、彼ら家族に、自立した温かい関係を垣間見る感じだった。
コンサートの時間になり、ちんどんの演奏はひとまず終わったが、ちんどんの演奏に拍手している中に、ピエールにそっくりな人を至近距離に見つけた。コンサートが始まり、それがピエール・バルーだったとわかり、仰天。でも、そうかぁ、彼らしいな、と頷けた。

私は本当のところ、最近の彼の活動は知らなかったが、コンサートを聴きながら、彼の変わらぬ魅力のもとがわかった気がした。「男と女」でいきなりメジャーな男優&音楽家になったのに、お膳立てされたセレブな世界に進まなかったのは、「わが道を行っただけ」だったそうだ。biancaと一緒じゃ~ん!
変わり者とか、アウトサイダーだとか、散々言われたけど、自分としては単にやりたい事をやっているだけだ、と言い切る、「永遠のボヘミアン、詩人、散歩人」である。カッコ良いピエール!私の感じた第一印象に狂いはない!
(夫には?○○っぱなし!だったり?!)
ピエールの喋る言葉といったら・・・もう音楽そのもの。ちょっとピアノとかギターをポロン、と鳴らしさえすれば、彼の声はボサノバチックな音に聞こえてしまう。はじめは、少し錆びれて来たかな、と、その声に年輪を感じてしまったが、曲が進むにつれて、違和感が全くなくなった。
当日の演目は、この方のwebページで知ることが出来、うれしかった。本来ピエールは曲目の順番を無視して勝手に進めるそうだが、そこはマイアがきちんと取り仕切り、ショーを上手に進行させた。

YMOは昔から聴いて知っていたが、その中の一人、高橋幸宏さんがゲストだったり、突然、戸川昌子さんが登場してデュエットしたり、ちんどんプラス金魚共々、賑やかで楽しく、心温まる素晴らしいステージだった。カヒミ・カリィさんとデュエットで、「男と女」のテーマ曲も歌ったが、カヒミさんの囁くような甘い声が、ピエールとうまくかみ合って、なかなか雰囲気が出てたと思う。
休憩時間に2階ロビーに行くと、そこで又、チンだかドンだかが、音をかき鳴らしてのサービスがあった。
大好きな「サンバ サラヴァ」は、元はと言えばバーデン・パウエルとヴィニシウス・ジ・モラエスという、ブラジル切っての音楽家と詩人の作った曲。彼らのオリジナル版も大好きで、ブラジルにいる頃、よく聴いていた。曲名にあるサラヴァとは、ポルトガル語で、「あなたに神の祝福がありますように」を意味するそうだ。歌詞の中に沢山のブラジルの有名な歌手名が出てくるでしょ?何人くらいわかったでしょうか?その彼らを心から愛し、幸あれ!と静かに祝福する風に歌う所がいい。「SARAVAH!」と、皆が追従して合唱する所でいつも
胸が熱くなるが、このコンサートでもその場面で合唱する人がチラホラ。うゎっ、気持ちは皆一緒だぁ、と嬉しく感じたひとときだった。

コンサートはサプライズがいっぱいだったが、アンコールはなく、本日の演奏は全て終了しました、のアナウンスとともにパッと会場が明るくなった。こんなやり方もさっぱりして好き。
廊下に出た所で楽屋方面から、なんとピエールが歩いてきたではありませんかぁ!
だれかがちょこっと話しに近寄っていただけ、だったので、私は(禁止だか知らんが)ついケータイでパチリとしてしまう。その上、手を差し伸べて、握手しちゃったよ~~!私と彼の右手同士がしっかりと組み合わさって私の顔は紅潮。でもって彼の視線の先は、というと、ロビーの方の誰かさんに向かって微笑んでいた!
そのあと、彼やちんどん達はロビーまで行き、関係者たちとにこやかに談笑していたんだから、こういうお人柄って、ステキ!さすがぁ、フランス人は人生を楽しむ達人だね。
今回のコンサートのタイトルは、「Carnet de Bord」(航海日誌~カルネ・ド・ボール)。
当日のプログラムがなかったので、タイトル名の書かれた小冊子を購入した。その冊子の中には、何も書かれていない8枚ほどの茶色のページが挟まっていた。
表紙をまず一枚捲ってみると、こんなメッセージが・・・。

私の旅の日誌にあなたの旅をくわえてこのアルバムを完成してください。
アマゾンやヒマラヤに行くことだけが冒険ではありません。
家にいたり、近所を散歩するだけでも旅はできるのですから。
旅は日常の中に隠れていて、心の扉が開かれていれば
いつでも飛び込んでくるのです。
 

ピエール バルー

また旅をつづける ギターを片手に
説明のつかない気持ちをかかえて
そうして いつか新しい歌が生まれるのに
自分でもびっくりするだろう  

 

さて、どうしてこうダラダラと長くなるんだろう。リンクとか探して見ていると面白くなり、聴き巻くってしまったりするせいもあるんだけど、書くのに時間がかかり過ぎる!もう・・反省ばかり。
で、少しずつしか進まなかったので、最初の投稿日と最終の投稿日に10日以上の差が出てしまった。恥ずかしいので最初の日に合わす事にし、共感して下さる方がそっと開いて下されば有難いです。