うたのすけの日常

日々の単なる日記等

昔のお話です 二十七

2015-09-15 06:09:36 | 昔のお話です

             いろいろありました 2006ー12-14記             

 昭和18年に東京都制が施行されました。それにより東京府と東京市を解消し都が設置され、首長を都長官と称しました。そして戦後の22年都長官が都知事と改称されることとなり、4月14日初の公選により初代都知事に安井誠一郎氏が選ばれました。本題はこれからです。
 知事を都民自らが選ぶ選挙です、盛り上がりを見せたはずです。選挙結果は前述の通りですが、新聞に選挙結果確定後、無効投票の傑作の数々が報じられたのですが、三面ですか、大きく活字が躍っていました。
          
             安井米を誠一っぱい食わせ
 
 
まだまだ日本中が飢えに苦しんでいたのです。この投票は庶民の叫びを如実に物語っていたと思います。


 当時は米よこせと大書されたプラカードをかかげたデモ行進や、ストライキが盛んに行われていました。そしてとうとう全国規模の労働者のストライキが行われることとなりました。列車も電車もすべての交通機関、電気ガス水道と、あらゆる産業がいっせいにストライキを行う事態となったのです。これをゼネストといってました。

 実行されたらどんな事態を生むのか、国民は固唾をのんで注目していました。しかし幕はあっさりと閉じられました。GHQによる2・1中止命令がでたのです。鶴の一声です。
 労働組合の委員長ですか、号泣する声がラジオから流れ、写真入で新聞に報じられました。本題はこれからです。
 
 組合幹部たちが本部で涙を拭い、抗議する模様がニュース映画で上映されました。それから数日たっての新聞です。幹部が数人映っている写真が載っているのです。その中の一人が大きく○で囲まれています。そして詐欺の犯人として逮捕されたというニュースです。たまたまニュース映画を見た被害者が、幹部の中に犯人を見つけ、届け出たということです。あたしもそのニュース映画を見ていました。


 昭和23年1月23日痛ましい事件がおき、日本全国を震撼させました。帝銀事件です。詳細は有名な事件なので省きますが、その後日談です。
 幸い命をとりとめた女性の銀行員がいました。もちろん症状は重く入院生活を余儀なくされました。本題はこれからです。
 いつの時代でもマスコミの取材合戦は熾烈でした。彼女の病床にも、取材陣の手がのびました。しかしここに純情で、熱血漢の記者がいたと思ってください。
 おそらく彼は記者としての職分を度外視して、彼女の回復に身を挺したのではないでしょうか。そこに愛が生まれぬはずはありません。当時新聞にも報じられたことなのですから、差し支えないと思いますが、記者は読売の人?、女性行員は姓は失念しましたが、確か正子さんといい、美しい方でした。

 



 



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2 コメント

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Unknown (志村建世)
2006-12-14 11:13:16
帝銀事件の現場となった椎名町支店は、毎日通学の電車から看板が見えました。この事件の犠牲となった中に、中学で担任だった内田泉之助先生の娘さんがいました。クラスでお見舞い金を集めたのを覚えています。漢学者だった先生は、後に「三楽なお二を存す」という詩を作りました。教育者には三つの楽しみがある。家族が無事で、天地に恥じず、英才を育てることである、というのです。
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Unknown (うたのすけ)
2006-12-14 12:13:20
断腸の思いで詩をつくられたのでしょうね。
世の中、身近にいろいろ起きるものです。実感です。
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