うたのすけの日常

日々の単なる日記等

昔のお話です 六十二

2015-10-22 11:15:59 | 昔のお話です

    同じ商店街にある床屋さんに行かされなかった 2007-1-22記

 別にその床屋さんと家が仲が悪かったわけではない。両親も店の外で顔を合わせれば挨拶も交わしていたし、おそらく町会の寄り合い、常会といっていたが、お互いそっぽを向いていたわけでもあるまい。

 床屋さんは子供一人の三人家族である。床屋さんの顔立ちは全然覚えていない。しかし子供のことはよく覚えている。女の子であたしが一二年のころで、三つか四つ、も一つぐらい上か、その点ははっきりしない。
 その子が原因で父のほうで、床屋さんに腹を立てているのである。その子は年がら年中オデキを絶やさないでいるのだ。頭はもちろん顔や手足、夏たどむき出しの手足は包帯でぐるぐる巻きで、時には血うみが滲んで痛々しかった。とくに頭のオデキはひどかった。女の子なのに散切り頭にされ、そこに大小の吹き出たオデキが散在し、塗りたくられた白い薬からこれもうみが出ているといった酷さである。
 父はその子の症状を見て親を断罪して怒っているのである、そして子供たちをその床屋さんに行かせない。母がそれに同調していたかはわからないが、母も床屋さん夫婦をこころよく思っていなかったのは事実であろう。

 父の言うには女の子の憐れなさまは、親の梅毒が原因だというのである。ないしは淋病、花柳病の類が原因であると断じて怒っているわけだ。そしてこうも言って腹を立てている。あんな可愛い子がいて、懲りずに吉原通いしていると。
 子供のあたしがなぜ梅毒とか淋病といった花柳病、そして吉原といった悪所のことを知っているのか、問われても明確な答えは出来ない。それは下町の子供は早熟なのか、商売柄大人たちの何気なく交わす会話が耳に入ってきて、それなりに半端な知識として頭の中に、おそらく詰まれていったのだろう。そう思う。それより街なかの電信柱には、梅毒には○△薬とか、横丁の板塀には花柳病の治療に特効薬○△といった貼り紙が貼られたりしていたのである。 
 あたしたちはそれらが、なにかおおっぴらには出来ない、大人の秘密の部分と嗅ぎ取っていた。そして別に誰に教わったわけでもないのに、梅毒、淋病、花柳病といった難しい字をなんなく読めていたのだから不思議である。そして吉原である。そこでなにが行われるか知る由もなかったが、すくなくとも大人の遊び場所で、子供には言えないところであるぐらいのことは理解していた。このことは子供同士確認したわけではないが、だれでも一緒だったと思う。

 父はオデキで苦しむ娘が居るのに、悪所通いを止めない床屋さんに義憤を感じていたのだろう。そしてあたしたちを他所の床屋さんに行かせたのである。それでどうってことはないと思うのだが、少なくとも、あたしたち多勢の兄弟の客をなくして災難だったわけである。 
 それより今おもうに、父が床屋さんの悪所行きをどうして知ったのか、近所の噂か、人の口に戸は立てられないというから。
 

 



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2 コメント

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Unknown (志村 建世)
2007-01-22 13:14:04
私も子供のときは吹き出物に悩まされました。今で言うアトピー体質があったのだと思います。床屋の女の子も、それだったのかもしれません。気の毒なことです。
 梅毒が怖い病気だということは、母から聞いたことがあります。おちんちんをいじっていると、そうなると叱られたような気がするのですが、どうもはっきりしません。
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Unknown (うたのすけ)
2007-01-22 15:03:13
吹き出物といった生やさしいものではなかったのですが、父にそのような知識があれば、床屋に対して別の見方も出来たわけですね。いづれにしても女の子は気の毒でした。
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