観測にまつわる問題

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山陰インバウンド雑考及び拉致問題小考

2019-11-05 06:09:27 | 日本地理観光
 拉致問題の早期解決を願う国民の集いが10年連続して米子での開催ということですが、米子は江戸時代に日本海海運で栄えた米子商人の拠点であり、あえて挑戦的な言い方をすると、日本の海を守ることが拉致被害の再発防止に繫がるのであって、専門家の発想もいいのですが、日本海を活用している人が日本海も一緒に守っていくという考え方もあろうかと思います。攻撃は最大の防御という言葉もありますし、日本が侵略国家になろうという訳ではありませんが、攻撃している間は攻められにくいところもあって、受けに回ると主導権を握られますから、守り中心なら籠城戦やカテナチオぐらいの防御力は欲しいところです。それはともかく、漁業者は不審者を見つけたら、漁業権との絡みで水産庁に通報することになっているようですが、海上保安庁との連携はどうなっているのだろうとふと思いました。漁業に限らず、海運関係の方々に海の監視の協力を要請できれば、海保の人員不足傾向を緩和し、なおかつ海の守りを飛躍的に高められるかもしれません。現時点で拉致を実行したあの国は漁業戦闘なる行為を日本海で行っており、戦いの相手は国交のない我々なのかもしれないという自覚が必要なのかもしれません。要は日本の漁場を荒らすことを意識して戦闘とか言っている可能性があります。戦闘には嘘がつきものの一面があり、大和堆を北朝鮮の漁場と信じているのではなく、確信犯的に嘘をついてある意味日本に侵攻しているのではないでしょうか?向こうの土俵に下りるのは残念ですが、連中の拡張された戦闘行為をどうにかしない限り、舐められてしまって交渉どころではないということなのかもしれません。警戒している相手には手を出しづらいという面も大きく、北朝鮮は警戒すべき相手でしかありません。そういう意味で米子という日本海随一の日本の拠点とも言える都市で拉致問題が話し合われてきたことは意義深いものがあるように思います。米子の近隣の境港は代表的な日本海の漁港でもあり、一帯は隠岐の島との関係も深い地域です。
 >外国人観光客の受け入れに積極的な松江城や大山隠岐国立公園、そして水木しげるロードでは、輸出に力を入れている酒蔵や外国人向けの地元農産品のアンテナショップなどを訪れました。地方経済にも大きく貢献する外国人観光客の受け入れに、来年4000万人の目標達成を目指して、さらなる環境整備を進めてまいります。・・・松江城のウィキペディアを見ていて人柱伝説かよ!と思いましたが、あれ多分、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)や記紀神話の黄泉の国/イザナミや水木しげるロードと併せて意識的にやってるのかもしれませんね。怪談話が好きな人は恐怖を自然なものとして受け入れているという考え方もあるようですが(特集「怖い話のウラ側」 ダヴィンチニュース)、裏を返せば勇敢な人があえて恐怖を好むのでしょうし、出雲は古事記の神話の主たる舞台の一つでもあって、イザナミの黄泉の国が地上の何処かにあったという話もありますが、撃退したのは桃の種で吉備との関連性も気になるところで、山陰地方ならではの怪談・妖怪がご当地観光の一つの売りになるだろうと思います。インバウンドに関連してクルーズ船が境港に寄航して、中国人観光客が水木しげるロードに訪れたニュースがあるようで、日本の妖怪をどう思ったか反応が気になるところですが、仁徳天皇紀の吉備中國川嶋河派の大虬はみずちですから、蛇ではなく、山海経にいう蛟=蛇似で角と四本足を有する水棲生物で、毒を吐く伝説上の妖怪ではないかと思います。つまり山海経には倭が登場しますし、当時の知識人は読んでいたのではないかと。仁徳天皇紀には他に飛騨に両面宿儺なる妖怪が登場していますが、二面四手が三面六手の阿修羅の祖形のようにも見え、こちらのルーツはインドや仏教の影響が気になっています。仏教の伝来は欽明朝が嚆矢とされますが、仏教は中国や百済では当時流行があったと言い、接触があった日本に何らかの影響があって不思議ではありません。飛騨は匠で知られますが、鶏が先か卵が先か仏教建築で動員があったことで技術を伸ばした一面があるような気がします。「怪談」は「怪力乱神」を語るものとは言えど、読みようによっては含蓄があるとも言えそうですし、ホラーは人気がある一ジャンルではあって、山海経がある種重要古典として残っている中国にはそういう嗜好が小さくないようにも見受けられます。
 松江城ですが、松江城の本丸は有事の際にだけ使用される「詰の丸」であり、天守は倉庫として使われていたのだそうです。また、松江城の防御のために厳重な築造がなされる正門の大手門は江戸城や大阪城に匹敵する規模ですから、松江城は防備に特化した城と言えそうです。山城は一般に詰め城というのがありますが、守る時は防御力が高い山城で平時は麓の館は戦国時代の遺風を残していると評価できます。また宍道湖北岸の湖城とされ、今は埋め立てている部分があるのか知りませんが、明らかに南に対する防御を意識した城だと思います。宍道湖・中海を天然の防壁と捉えるなら、アクセスしやすい交通路は限定されますし、北側には島根半島も横たわり、海側からの侵入も決して楽ではなさそうです。築城は関ヶ原の戦いで戦功のあった堀尾忠氏(堀尾吉晴の子)だそうで、月山富田城からの移転で築城したようです。月山富田城は山陽の毛利VS山陰の尼子の舞台で尼子氏の居城です。堀尾氏も入部するにあたって元々の住民や武士達に配慮・研究したようにも思え、また東軍方として西軍の雄の毛利氏の侵攻に対する防備を意識した城に違いありません。月山富田城をそのまま使わなかったのは、手狭で平時の拠点としての不便を意識したに違いないと思いますが、それでも当時として実戦を意識した城なんだろうと思います。今では県同士の戦争は考えられない時代ではありますが、今でも何処か山陰地方は山陽なにするものぞという気風が残っているように見えることもあります。
 山陰地方で唯一の現存天守で、国宝指定された5城のうちの一つでもあり、つまり残りがいいという点で特に価値ある城のようです。石垣の積み方は牛蒡積みというようで、石垣のルーツは近江(滋賀県)の穴太衆(明智光秀でも話題になる坂本付近の)にあるとされ、穴太衆は比叡山山麓に居住する古墳築造などを行っていた石工の末裔と言いますが、成務天皇の志賀高穴穂宮を嚆矢とし、あるいは戦国時代まで間を繋ぐピースは山門の発注だったかもしれませんが、だとするならば、前方後円墳の(板石で造る)竪穴式石槨や古墳時代前期の讃岐の積石塚と関係する可能性があります。ブロックやプラモデルじゃありませんが、今時3Dプリンターもありますし、牛蒡積みなる石の積み方が何処がどういう風に地震に強いのか実験というか直感で分かるような取り組みがあると勉強になるのかもしれません(丸い石の組み合わせが安定しないだろうことは分かりますが、石垣は外目には丸い石の組み合わせに見えます)。石垣の巨石の運搬は謎とされますが、長い石なら(整形している石は)転がりにくく引っ張りやすいというのもありそうです。石垣の石はサイコロ状でもないようですが、そうしないのには意味があるそうです。
 大山はダイセンと読み、山海経はセンガイキョウで、山に人と書いて仙人のセンですが、山をセンと読んでいた時代の読み方が残っているようにも見えます。円錐状の山で最高峰だから大山と言ったように見え、つまりは出雲伯耆(山陰)から見て大和・筑紫・瀬戸内・北陸ぐらいまでが日本だった頃の命名ではないでしょうか。円錐形の山は大和でも尊ばれ、富士山を意識していたか知りませんが、大和三山の畝傍山・耳成山を挙げることが出来ます。
 インバウンドの魅力に日本の自然もあるようですが、大山南麓の鍵掛峠は絶景だそうです(鳥取県の写真・インスタ映えするスポットまとめ 山陰ペディア)。大山まきばみるくの里も観光地として有力そうですし、大山の魅力は訪日客をも満足させること間違いなしだと思います。

※筆者のfacebook記事から転載。


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