改憲勢力が3分の2を割って発議は絶望的になりましたが、安倍総裁は発議を諦めてないようであり、審査会での審議だけでも価値がありますから、今思うことを書いておきます。無駄なことをしているようですが、国民民主党を筆頭に民主党系はそもそも改正議論には反対でないということを(今やれないと断固主張しているようですが)一応言っているので、熱心な改憲派の政治家の方々が何とかしてくれると信じることとします。国民の改憲の気運が足りないという話ではありますが、その辺を含めて、今回は9条について簡単に言及するものとします。
改憲の目玉は言わずと知れた9条で(護憲派の方々に聞いても一番の焦点は9条改憲の有無と必ず言うでしょう)、今の自民党案は(何故か自民党案でないと仰る政治家の方もいらっしゃいますが)、自衛隊明記案です。これは加憲案で条文を付け加えていますが、明記して自衛隊が合憲であることをハッキリさせるだけと繰り返し説明されており、自衛隊が合憲だけで意義は大きい/やらなくていいで議論になっています。筆者は今の条文に反対点はありませんが、明記するだけという解釈には疑問を感じており、今のまま国会で議論になって発議されれば(発議に賛成ですが)、賛成で投票はするものの、消極的賛成であり、積極的に筆者が改憲を盛り上げる議論に参加したいという気持ちは現時点でありません。積極的に改憲議論を書いてきた筆者でも、やる気は相当削がれていますから、中々一般国民に改憲の気運が出てくるのは難しいような気はしています(言わずもがなですが、反対する気持ちも1ミリもなく、人の心は白黒で綺麗に分かれる問題ではありません)。
やる気が削がれた直接のきっかけは改憲勢力の議席が3分の2を削がれたことです。これまで3分の2があっても憲法審査会が開かれなかったのですから、通常これはもう敗戦です。ただ改憲サイドにそれなりの勝算があるようですので、ここまで主に様子を見た次第ですが、やる気が戻ってくることはなさそうです。これは何なのかと考えましたが、やっぱりというか、明記だけで自衛隊を認める以外に何一つ変らないという説明がずっと引っかかっていたことを思い出しました。改憲議論が進んでいた時は、流れるままに半ば忘れかけていましたが、冷静になればなるほど、明記だけという説明をハッキリされた時の気持ちが戻ってきたという訳です。
ただ、だからと言って一見強硬的な石破案は尚悪いという考え方に変わりはありません。何故2項削除の石破案が尚悪いかと言うと、公明党さんが加憲案と主張しており、現在の安倍案は発議されるために最大限議論して決った案だと考えているからです。2項削除の石破案は当然加憲案ではなく、公明党さんと石破氏が議論したというような話を聞いたこともなく、ただでさえ3分の2を割っていて石破案も何もないのであって、石破案というのは見た目強硬、実質反対の性質が悪いやる気がないから発議されない案という訳です。石破議員は自民党案の議論当時、確実に国民のムードを云々するなど、憲法改正自体に消極的な立場でした(だから保守派の改憲派が石破案についていかなかった訳です)。石破議員が公明党さんと勝手に話をつけるなど(そんなことが出来るのか知りませんが)、当時のやる気の無さを説明して、2項削除案を立派な発議できる案にしてくるなら、賛成できると思いますが、彼にはそんなことは出来はしないでしょう。石破議員という政治家は、安全保障に専門知識のある政治家で、当然詳しいと思いますが、平和安全法制の時も働きませんでしたし、自分の案でないと安全保障の法案に乗れない人で、よく言えば(?)理想的、悪く言えば書生と評されますが、発議されないと改正の可能性がないのに、発議に協力的ではないところがありありとしている政治家と言い切って間違いありません。勿論石破議員が反対に回ったら発議はならない訳ではありますが、元から半ば反対していますし、さすがに悪くなる訳ではない明記に反対まではしないだろうと思いますが、考察をするのに石破議員の問題を避けて通る訳にはいきません。総裁選も当面ない訳ですし、安倍総裁よりやる気がない人を担いで改憲の議論をする気は少なくとも筆者にはなく、他に有力な案もありませんし、あくまで筆者の考え方としては議論の叩き台は自民党案でしかありません。
それではただボーッと見ているのかという話ですが、一点だけ、条文は今のままでいいから、明記以外は何も付け加わらないという説明を変えて欲しいと期待だけしておきます。そもそも条文が付け加わっているのに読み方が全然変らないというのはどうなのかという話ですが、安倍総裁は「読みようによっては~」と条文が出来たて当初には含みを持たせていたように記憶しています。これがどういう経緯で変ったのか知りませんが、条文案のまま素直に明記されると説明してほしい訳です。これで明記以外に何が変るかと言えば、自衛隊は存在そのものが認められますから、2項に矛盾しない範囲で、これまで駄目だった全ての安全保障政策が可能になります。これまでは「必要最低限の~」という解釈ベースで自衛隊の装備は制限を受けていた訳です。元々の安倍総裁案では必要最低限の~は明記されていました。これが議論の結果、必要最低限の~は削除されています。ただ、ここから必要最低限の~という解釈が復活しては、結局明記だけと説明しなければなりませんから、筆者のようなゴリゴリの9条改憲派はやる気など出てきようもない訳ですし、個人的な気持ちはどうでもいいとしても、国民の改憲気運など生じようもないだろうし、出来もしないことをやる気はないということになります。解釈というのは変えられる余地がありますし、自民党案が駄目な案とは思っていませんが(駄目なものを人に薦めるほど性根が腐っている訳ではありません)、改憲の結果のメリットが安全保障政策的には存在しておらず(元々解釈ベースの必要最低限の~です)、だからこそ自衛隊が認められるのが意義深いとしても、既に国民は自衛隊を認めているので、改憲の気運は生じない(だから国会の議論に期待するしかない)と見切っている訳です。憲法改正で条文が変って、解釈が変らないという説明も分かり難い話ですが、筆者としては憲法改正議論で明記していた必要最低限の~という従来解釈の明記を削除したにも関わらず(解釈を明文化したら、解釈を変えることが不可能になって、安全保障政策的には明快に後退でしかないので、その時は絶対反対した訳です。必要最低限という言葉がある以上は何かに対して必ず低くなければならないので絶対的に安全保障政策の足を引っ張りますし、現在の自衛隊の装備は見ての通りです。日本語が理解できる人で必要と必要最低限を同列に考える人は存在しません。必要最低限に対しては使いませんが必要最大限という言葉が考えられます。最低限は英語でミニマムの意味で最大限がマックス、必要はネセサリーで、そもそも必要があるから条文にあるのであって必要は解釈も明記もする必要がない前提ですから、最低限だけがミニマムとして意味があります)、解釈を結局維持するのかと怪訝に思いながらも、明記そのものは意義深いですし、他の3案もある訳ですし、憲法議論そのものも重要ですから、何だかんだで賛成したところ、3分の2を割って今となります。それでも憲法審査会開催の努力が続いているのは筆者が政治素人だから良く分かってないのでしょうが、またぞろ2項削除案とか出てきて、絶対やる気ないでしょ、その辺の説明は?と思い、その旨SNSで発言はしましたが、改めて(これまでいろいろ書いて来た訳ですから、これまでの自分の意見を自分で引き取って)自分の考え方をここに開陳する次第です。
改憲の目玉は言わずと知れた9条で(護憲派の方々に聞いても一番の焦点は9条改憲の有無と必ず言うでしょう)、今の自民党案は(何故か自民党案でないと仰る政治家の方もいらっしゃいますが)、自衛隊明記案です。これは加憲案で条文を付け加えていますが、明記して自衛隊が合憲であることをハッキリさせるだけと繰り返し説明されており、自衛隊が合憲だけで意義は大きい/やらなくていいで議論になっています。筆者は今の条文に反対点はありませんが、明記するだけという解釈には疑問を感じており、今のまま国会で議論になって発議されれば(発議に賛成ですが)、賛成で投票はするものの、消極的賛成であり、積極的に筆者が改憲を盛り上げる議論に参加したいという気持ちは現時点でありません。積極的に改憲議論を書いてきた筆者でも、やる気は相当削がれていますから、中々一般国民に改憲の気運が出てくるのは難しいような気はしています(言わずもがなですが、反対する気持ちも1ミリもなく、人の心は白黒で綺麗に分かれる問題ではありません)。
やる気が削がれた直接のきっかけは改憲勢力の議席が3分の2を削がれたことです。これまで3分の2があっても憲法審査会が開かれなかったのですから、通常これはもう敗戦です。ただ改憲サイドにそれなりの勝算があるようですので、ここまで主に様子を見た次第ですが、やる気が戻ってくることはなさそうです。これは何なのかと考えましたが、やっぱりというか、明記だけで自衛隊を認める以外に何一つ変らないという説明がずっと引っかかっていたことを思い出しました。改憲議論が進んでいた時は、流れるままに半ば忘れかけていましたが、冷静になればなるほど、明記だけという説明をハッキリされた時の気持ちが戻ってきたという訳です。
ただ、だからと言って一見強硬的な石破案は尚悪いという考え方に変わりはありません。何故2項削除の石破案が尚悪いかと言うと、公明党さんが加憲案と主張しており、現在の安倍案は発議されるために最大限議論して決った案だと考えているからです。2項削除の石破案は当然加憲案ではなく、公明党さんと石破氏が議論したというような話を聞いたこともなく、ただでさえ3分の2を割っていて石破案も何もないのであって、石破案というのは見た目強硬、実質反対の性質が悪いやる気がないから発議されない案という訳です。石破議員は自民党案の議論当時、確実に国民のムードを云々するなど、憲法改正自体に消極的な立場でした(だから保守派の改憲派が石破案についていかなかった訳です)。石破議員が公明党さんと勝手に話をつけるなど(そんなことが出来るのか知りませんが)、当時のやる気の無さを説明して、2項削除案を立派な発議できる案にしてくるなら、賛成できると思いますが、彼にはそんなことは出来はしないでしょう。石破議員という政治家は、安全保障に専門知識のある政治家で、当然詳しいと思いますが、平和安全法制の時も働きませんでしたし、自分の案でないと安全保障の法案に乗れない人で、よく言えば(?)理想的、悪く言えば書生と評されますが、発議されないと改正の可能性がないのに、発議に協力的ではないところがありありとしている政治家と言い切って間違いありません。勿論石破議員が反対に回ったら発議はならない訳ではありますが、元から半ば反対していますし、さすがに悪くなる訳ではない明記に反対まではしないだろうと思いますが、考察をするのに石破議員の問題を避けて通る訳にはいきません。総裁選も当面ない訳ですし、安倍総裁よりやる気がない人を担いで改憲の議論をする気は少なくとも筆者にはなく、他に有力な案もありませんし、あくまで筆者の考え方としては議論の叩き台は自民党案でしかありません。
それではただボーッと見ているのかという話ですが、一点だけ、条文は今のままでいいから、明記以外は何も付け加わらないという説明を変えて欲しいと期待だけしておきます。そもそも条文が付け加わっているのに読み方が全然変らないというのはどうなのかという話ですが、安倍総裁は「読みようによっては~」と条文が出来たて当初には含みを持たせていたように記憶しています。これがどういう経緯で変ったのか知りませんが、条文案のまま素直に明記されると説明してほしい訳です。これで明記以外に何が変るかと言えば、自衛隊は存在そのものが認められますから、2項に矛盾しない範囲で、これまで駄目だった全ての安全保障政策が可能になります。これまでは「必要最低限の~」という解釈ベースで自衛隊の装備は制限を受けていた訳です。元々の安倍総裁案では必要最低限の~は明記されていました。これが議論の結果、必要最低限の~は削除されています。ただ、ここから必要最低限の~という解釈が復活しては、結局明記だけと説明しなければなりませんから、筆者のようなゴリゴリの9条改憲派はやる気など出てきようもない訳ですし、個人的な気持ちはどうでもいいとしても、国民の改憲気運など生じようもないだろうし、出来もしないことをやる気はないということになります。解釈というのは変えられる余地がありますし、自民党案が駄目な案とは思っていませんが(駄目なものを人に薦めるほど性根が腐っている訳ではありません)、改憲の結果のメリットが安全保障政策的には存在しておらず(元々解釈ベースの必要最低限の~です)、だからこそ自衛隊が認められるのが意義深いとしても、既に国民は自衛隊を認めているので、改憲の気運は生じない(だから国会の議論に期待するしかない)と見切っている訳です。憲法改正で条文が変って、解釈が変らないという説明も分かり難い話ですが、筆者としては憲法改正議論で明記していた必要最低限の~という従来解釈の明記を削除したにも関わらず(解釈を明文化したら、解釈を変えることが不可能になって、安全保障政策的には明快に後退でしかないので、その時は絶対反対した訳です。必要最低限という言葉がある以上は何かに対して必ず低くなければならないので絶対的に安全保障政策の足を引っ張りますし、現在の自衛隊の装備は見ての通りです。日本語が理解できる人で必要と必要最低限を同列に考える人は存在しません。必要最低限に対しては使いませんが必要最大限という言葉が考えられます。最低限は英語でミニマムの意味で最大限がマックス、必要はネセサリーで、そもそも必要があるから条文にあるのであって必要は解釈も明記もする必要がない前提ですから、最低限だけがミニマムとして意味があります)、解釈を結局維持するのかと怪訝に思いながらも、明記そのものは意義深いですし、他の3案もある訳ですし、憲法議論そのものも重要ですから、何だかんだで賛成したところ、3分の2を割って今となります。それでも憲法審査会開催の努力が続いているのは筆者が政治素人だから良く分かってないのでしょうが、またぞろ2項削除案とか出てきて、絶対やる気ないでしょ、その辺の説明は?と思い、その旨SNSで発言はしましたが、改めて(これまでいろいろ書いて来た訳ですから、これまでの自分の意見を自分で引き取って)自分の考え方をここに開陳する次第です。