観測にまつわる問題

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縄文時代の研究という想像(火焔土器と王冠土器)

2019-05-25 20:21:23 | 日本史
堂平遺跡出土 深鉢形土器 王冠型土器.JPG (パブリックドメイン)

縄文時代は定義から言えば歴史ではありませんが(歴史は文書や記録を言うので弥生時代が限界点です)、人類史・先史時代として縄文時代を研究します。旧石器時代は移動生活で土器を持たず(先土器時代)、縄文時代は定住社会の狩猟採集主体の社会で土器時代、弥生時代が水田農耕を特徴とする時代です。ザックリした見方ですが、一般的ですし、普通の概念で行いたいと思います。

縄文時代と言えば土器・土偶です。実用性から言って、土器から始めます。あの火焔土器も煮炊きをする鍋なのだとか(file-107 国宝・火焔型土器はアートか?~縄文文化を探る旅(前編) 新潟文化物語)。火焔土器の4つの取っ手は「鶏冠状把手」というそうで、親戚に王冠土器もあって混ざらず区別されていたようですが、その形状の考察をする前に、前提としてやはり土器とは?煮炊きとは?起源について考えておこうと思います。

そもそも粘土で土器をつくって煮沸するのようなことをどうやって考え出したのでしょうか?不思議です。いろいろ考えてみましたが、やはり火の使用が前提だということに気付きます。縄文時代は事実、“弓キリ式火起こし道具”及び“キリモミ式発火法”等あったようです(縄文人の謎・ロマン 縄文人の“火起こし”方法は? 近畿地方の古墳巡り!)。10~20秒で、簡単に火種が出来ると言います。結構、高度ですね。そもそも枯葉や枝が摩擦で熱くなったり、火がついたり、森林火災のようなものを見て、類推から人類(多分、脳の大きな新人)は早くから火の起こし方を覚えたのでしょう。枝を擦ると熱くなる→ドンドン擦ると火がつくのような発想は森林火災等で火を知っていれば、無理な発想ではないと考えられます。焼いて食べるのような発想も食糧難で森林火災の焼死体を食べてみれば、会得できる話です。こうして旧石器時代のハンターは火を操る技術を身につけたということになります。縄文時代は定住社会ですが、スタート時点から火は持っていたと考えられます。

ここで土器ですが、粘土から造ります。思うに旧石器時代のハンター達は経験的に粘土が火で固くなるという知識はあったんじゃないでしょうか。例えば日本では粘土層が存在しますし、断層などむき出しになっているポイントがあります。結局のところ土を焼いてみるのような発想は不自然で、最初は森林火災など自然現象や粘土層上の焚き火などで偶然土器片のつくり方を知ったのでしょう。土器片がどう出来るかの知識があれば、土器を作るのは無理な発想ではありません。ただ移動生活の旧石器時代人には不要な知識でした。土器なんてもって移動してもシンドイだけでしょう。獲物は焼いて食べればいいのですから。

では煮炊きの起源はと言いますと、土器ありきの器ありきでの煮沸もないとは言えませんが、個人的には温泉の利用から発想したと考えます。温泉卵などありますが、旧石器時代のハンターも温泉の存在は知っていたでしょうし、ならば、焼いて食べる技術があった旧石器時代人が煮て食べる発想に至ることも可能のようです。アツイが共通するのですから、好奇心があっていいのでは?温泉に落ちて死んだ動物を観察することから始まった可能性もあるかもしれません。

氷河期が終了して大型動物を狩りつくし、食糧難の時代が来て、それまでの移動生活が成り立たなくなっていったとします。旧石器時代は大型動物の狩り主体の時代でしたが、少数ながら住居痕や漁労などもあったようで、勿論大型動物の狩り以外、何も知らなかった訳ではないでしょう。煮て食べられるようなものがあるという知識があれば、実験も有り得たかもしれませんし、煮炊きが有効であれば、土器をつくろうと思い至ったかもしれません。

土器の起源は東アジアにあるようですが、アフリカでも独自に発達したようです(第10回 土器の起源:年代と拡散 青森県企画政策部 世界文化遺産登録推進室)。器ありきなら、洞窟の水溜りで発想した可能性もありそうです。水を汲んで保存しておくことは何時の時代も重要だったのでは?用途は考えねばなりませんが、日本の土器は煮沸用としておきましょう。煮沸痕を有するものが見つかるからです。

土器を煮沸に利用し、鍋をつくっていた縄文人ですが、土偶も出土しますし、宗教的観念や美的感覚は当然有していたでしょう。ならば、煮沸に使う道具を火の形に模す発想があっておかしくなく、それが火焔土器なのかもしれませんね。デフォルメされた様式美がありますが、浮世絵なんかもそんな感じで、必ずしも写実主義が美術という訳ではありません。土偶なんかもいろいろ強調されており、一定の様式美があると考えられます。王冠型も同じく、結局火焔のバリエーションなんでしょう。同じところで出土するようですし、王冠なるものが当時あったと思えません。多分火焔土器バージョンAとバージョンBです。問題は何故ふたつのバージョンがあるかということになりそうです。

例えば、土器作りが男の仕事か、女の仕事かという問いがありますが、二つのバージョンとは、男がつくるバージョンと女がつくるバージョンがあったのかもしれません。どちらがどちらか分かりませんが、派手な方が男でしょうか。鹿やクジャクじゃありませんが。そう言えば、鹿の雄の角が火焔土器に少し似てないとも言えません。数が多い方が女性かもしれません(火焔土器か)。男の方が広範囲に出かける傾向にあり、土器作りは女性の仕事とする社会が多いようです。男を表すバージョンと女を表すバージョンだとも考えられますし、太陽と月、昼と夜だなどまぁ2つのバリエーションもいろいろ考えられはするでしょうが、結局想像ですので、この辺にしておきます。

あるいは料理の種類による使い分けも考えられるかもしれませんが、遺跡ごとに違う種類の食品に使われたようで、そういうことではないようです(火焔土器のデザインと機能 データ検索情報誌2018~2019)。脂質の分析ではどうも信濃川上流の土器は鮭など海産物の煮沸に使われていたとありますが、火焔型土器は主に信濃川+阿賀野川なら、やはり川と関係が深いのかもしれません。

縄文時代に鶏はいないようですから、「鶏冠状把手」という用語はハッタリは効いているかもしれませんが、誤解を招きそうでどうなんだろうと思わなくもありませんね。


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1 コメント

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波型土器の可能性 (管理人)
2019-05-25 22:46:11
火焔じゃなくて波の可能性もあったりして。つまり海を象徴しており、鮭の煮炊きに使うのが本旨。縄文時代は貝塚でも知られますしね。鮭=海の恵みの図式。火焔土器も水しぶきに見えますし、この場合でも同じものを表しているんだろうと思いますが、違うものを表している可能性もあるんだろうか。さすがに抽象芸術は無いと思うのですが、土器の文様が入れ墨のようにも見えて(弥生時代においても、中国人に黥面文身と記録されています。南方人とは思っていませんので悪しからず)、海っぽいなと思いついた次第です。
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