自然とデザイン

自然と人との関係なくして生命なく、人と人との関係なくして幸福もない。この自然と人為の関係をデザインとして考えたい。

誰も否定できない前提~政治も経済も情報である③

2018-10-09 14:09:13 | 自然と人為
 人間は想像力が豊かな動物である。しかも、他者と言葉や絵や音楽などの豊かな交流が文化を発達させてきた。しかし、人間の想像している世界は一つではなく、個々の人間が想像する総合体として存在している。考え方が人さまざまなように、世界の見え方も人それぞれであるが、集団の行動をバラバラにしないために、常識や法律などを作ってきた。常識や法律は誰が作ってきた?「歴史は勝者によってつくられる(語られる)」と言われるが、常識も法律も勝者によってつくられる。
 民主主義の国は多数決で決めると言われるが、「ジャンケン」だけではなく「多数決」も、勝者を決める方法の一つだ。それぞれの国には、それぞれの常識と法律がある。これも「国とは動物の縄張り」だと考えれば、動物である人間の縄張りのルールとして理解出来よう。人間も動物の一員であることを忘れてはいけない。

1.人類の歴史
 人類は約700万年前に猿から分離し、ヒトとサルの遺伝子の差は1%しか違わないと言われてきた。しかし、最近はそれに否定的な考えが出てきている(1)(2)(3)。私も人間の進化には遺伝子の影響だけではなく、生まれてからの環境に脳神経の組み立て方が対応し、長年の間に一つの祖型として出来上がり、生まれるたびに祖型は影響され変化している。その祖型が文化の発達に従って変化してきたことも、ヒトとサルの違いであろうと、素人なりの考えは持っている。
 専門家は仮説を研究で実証していくのが仕事だ。考古学は大昔の事実を、人間の想像力によって遺跡等の証拠から推定するものである。過去には帰れないから、あくまでも推定の域で同意することであり、それを越えることはできないと思う。しかし、人や他の起源を訪ねて、証拠を見つけてどう説明するかは面白いものだ。人間は未来だけでなく、過去も想像する楽しみを持っている。

2.想像すること、考えることで、誰も否定できない前提
 常識や法律は勝者により作られているなら、敗者が勝者に転ずれば、常識や法律も転ずるはずだが、日本は急激な変化を好まない。革命が起きるとどう変わるかは分からないが、普通は政権が変わっても、国民がそれを求めないなら、少なくとも常識までも変えようとはしないであろう。それでも、常識や法律は徐々に変わりつつある。しかし、時代が変わろうとも、絶対に変わってはいけない常識がある。まだ、これは世界の常識にはなっていないが、この「変わってはいけない常識」を当然としないと、世界は戦争や金融恐慌で大変なことになる。
 世界の見え方が人それぞれに違っていても、人が生きていく常識の前提、考える前提として、誰にも否定できない前提がある。まだ、世界の人々がそのことの重要性に気がついていないだけだ。

1)自然の一員としての人間
 我々人間は地球上に生まれ、生きて死ぬ、動植物の一員であることは誰も否定できない。このことは、常識や法律を考える上で大前提となる。我々は植物や動物、他の生物との闘争はあるにしても、動植物が生きる根源の自然を人間の手で荒らしてはいけない。地球温暖化も地球の放射能汚染も人間の責任だ。この人間の責任を否定する人は、地球では生きてはいけないはずだ。

2)人間の尊厳
 「人間の尊厳の不可侵」は、第2次世界大戦の反省から、ドイツ憲法の第1条に定められた。

 ドイツ連邦共和国基本法(ドイツ憲法)
第1条 [人間の尊厳、基本権による国家権力の拘束]
  (1) 人間の尊厳は不可侵である。これを尊重し、および保護することは、すべての国家権力の義務である。
  (2) ドイツ国民は、それゆえに、侵すことのできない、かつ譲り渡すことのできない人権を、世界のあらゆる人間社会、平和および正義の基礎として認める。
  (3) 以下の基本権は、直接に妥当する法として、立法、執行権および司法を拘束する。


 上記の第一条に示されたように、「人間の尊厳の不可侵」を憲法の柱にし、「それゆえに、侵すことのできない、かつ譲り渡すことのできない人権を、世界のあらゆる人間社会、平和および正義の基礎として認める」としている。
 「人間の尊厳」とは、約700万年も地球の様々な変化に対応しながら生き延びてきた人類に感謝し、これからも同じように人類が生き続けることへの祈りと誓いのコトバだ。これを否定する人はいないであろう。

3)経済は「お金の量=価値の量」で成立する
 政治も経済も情報であることや、そのいろいろな情報の根拠を示すことは、誰も思わなかったし、確認してしてこなかった。
 しかし、前回のブログで経済の根拠を示したように、経済はお金の循環で成立し、「お金の量=価値の量」等を守らないと破綻することは、誰も否定できない。皆さんは、このことを確認されただろうか。これを否定する人は、その根拠を教えて欲しい。世の中に充満する情報の内、否定できない前提である「自然の一員としての人間」と「人間の尊厳」を守る経済行為が「里山資本主義」(「2.お金の原点」)なのである。
 政治は勝ち負けの日常の場だが、1.自然の一員としての人間、2.人間の尊厳、3.経済の「お金の量=価値の量」を守ることは政治の責任でもある。資本主義であろうが社会主義であろうが、そして共産主義であろうが、これらを常識の前提として守らなければ、その国は破綻し、世界は戦争や金融恐慌で大変なことになる。
 これらの3つの前提をあえて否定することは、人間ではなく動物であることを宣言するようなもの。それでも人間ではなく動物として生きたいのであろうか。3つの前提を否定する人は、その理由を教えて欲しい。

3.政治は「支配力を証明する権威」を求める
 水戸黄門様の「この印籠が目に入らぬか!」は有名で、子供の頃、真似して遊んだ記憶がある。「自身の存在に権威づけをする」言葉だが、以前、このブログでも秀吉は「太閤」、家康は「征夷大将軍」を権威づけに選んだことに触れた。信長は天下布武を目前にして、明智光秀の本能寺の変で倒れた。これは信長が常識的な権威を求めたのではなく、「日本に2人の支配者はいらない(天皇もいらない)」と言ったことに、常識派の明智光秀が恐れた謀反だという説もあるようだ。
 世間の常識で頑張っている人、現役を引退しても現役との交際が仕事として残っている人にとって、常識を疑う仕事をしている研究者が常識を疑えと言っても、光秀とまでは言わないまでも、常識人にとっては受け入れ難いことかもしれない。

 一方、明治維新はウソの「討幕の密勅」「錦の御旗」によって成功した。その功労者、岩倉具視はお札にまで採用されたが、これも勝てば官軍だ。最後の将軍、徳川慶喜こそ日本の恩人だ。維新派と戦えば勝てる軍事力を持ちながら、国民に多大な被害を与えることを避けただけでなく、英仏と薩摩、幕府を交えた戦争で、日本が植民地となる可能性を避けた。日本を守った御礼として、お札にして讃えるべきは徳川慶喜の方であろう。しかし、歴史は勝ったものによって書かれた。そして天皇を権威として利用した新政府の憲法を権威とした戦前の政府は、太平洋戦争まで暴走し、日本をアメリカの属国にしてしまった。

4.常識を生きる
 先日、「太陽がいっぱい」で有名な(と言っても1960年の作品なので若い人は知らないかもしれないが)アラン・ドロンのインタビューをNHK番組(アラン・ドロン ラストメッセージ~映画 人生 そして孤独~)でしていた。彼は演劇を学んだことはない。したがって、「俳優は役を演じる」のではなく「俳優は役を生きる」と言い切っている。演劇を学ぶと、その演技が常識となり、「役を演じる」のが仕事になってしまう。アラン・ドロンは役を生きて世界的スターになり、幸せな人生だと思う。

 一方、研究者は常識を疑い、見えてくる仮説を論理的に積み上げて証明することが仕事である。数学者・ペレルマンはポアンカレ予想の問題を徹底的に考え、数学のノーベル賞と言われるフィールズ賞の授与の栄誉を受けたが、論理の世界に全力で生き、常識に満ちた世間に興味を失い、受賞も辞退して世間を遠ざけて生きている。
 世間の人々は自分の考えを楽しんだり、悲しんだりしながら生き、意欲のある人は、自分の考えを実現することが仕事となる。常識を疑えと言われても、難しい話を考えよと言われるようで頭が痛くなる。世間のもっと明るい話をしろと拒否反応する人もいれば、あなたの生き方を疑えと言われているようで、何を寝ぼけたことを言っているのかと耳障りな人もいるかも知れない。常識は勝者(成功者)がつくり、仕事を成功させる意欲のある人は、その常識を目標に生きるが、3つの前提を守らない常識は、無意識のうちに呼吸している空気のようなもので、その人を誤らせる。

5.情報の支配
 国民の常識に大きな影響を与えるものに、公共放送であるNHKがある。NHKの仕事に憧れる人は、NHKに入社する方法から考え始め、入社すると上司の指示によって働き、NHKに自分の存在を認めさせようと努力する。そのうちNHKは公共放送であり、いつでも誰でも見る権利があることを忘れ、NHKオンデマンドで見逃し番組の一部を有料公開する一方で、検索しても見ることができない放送番組を国民がyoutubeに投稿すると、著作権を理由にこれを拒否する。youtubeにとって投稿が増えれば増えるほど事業の価値が増すので、NHK番組の投稿を拒否する理由は何もない。NHK番組にクレームが生じるとすれば、それはNHKの責任だ。NHKは政治的にも経済的にも情報公開の基準を握り、公共放送であるNHK番組を国民に公開する義務を拒否している。これも勝者の常識になっているかも知れないが、根拠のない情報独占の例だ。否、違う!受信料を払っている人だけなら見せる? それも違う。公共放送が国民に与える影響も恩恵も大きいので、受信料は無料にすべきだ。これを税金ではなく、使えないまま積み立てている貿易黒字のドルを減らす方法(「貿易黒字の行く先」を参照)として使えば簡単なこと。地球温暖化対策も放射能汚染対策も貿易黒字のドルを使えば良い。しかも、国の特別枠の予算として付加価値から人件費を削除して、給料が上がるように税の仕組みを変えるべきだ。

6.現金取引と電子取引
 我々はお金と言えば貨幣のことだと思うが、商取引では電子取引が普通になってきた。いずれも売買や貸し借りでプラス・マイナスゼロになる。電子情報も帳簿の様なものなので、プラス・マイナスゼロは同じこと。ただ、国同士の売買や貸し借りはドルで決済されるので、輸出入の商品取引は決済されるが、輸出超過で蓄積したドルは、輸出相手が円を持っていないと円に換えようがない。アメリカは輸入超過だが、日本などの輸出超過のドルが蓄積しているので、その分を自国でドルを発行し、貿易収支が赤字なのに豊かな国を演じている。このように日本等の貿易黒字分をアメリカの国内で使うことが持続可能であろうか。いつアメリカは貿易黒字にするつもりだろうか。日本はアメリカの属国なので、貿易黒字のドルが勝手に使われ、日本も文句を言わないでいるような気がする。
 電子情報の「円」を紙幣に変える権限は、財務省(日本銀行)にしかないので、ドルを円に換金できないとすれば、貿易黒字分を日本国内で政府が使うしかない。例えば地震に見舞われたインドネシアの支援に使えば、その分だけ日本の貿易黒字は減少する。国内においても貿易収支の黒字分だけ特別枠の予算として使えば、貿易収支は正常な範囲内で、国民はアメリカより豊かになれる。そのためには、この特別枠の予算から人件費を付加価値から外し、国民の給料が上がる仕組みづくりを始めるべきであろう。
 今や、国有財産の電子情報がハッカーによって盗まれる時代だ。日本の日銀総裁も国会議員も、電子情報の決済について知らないはずはない。知らないと弁明することは、非常に無責任なことだ。
 参考:BSドキュメンタリー ハッカーに屈す 電子の海に消えた8100万ドル

7.動植物の世界に学ぶ

 ここからは蛇足だが、動植物の身を守る例として、面白いと思った情報を記しておきたい。私のブログは起承転結がなく、だらだら長い。これは私の主張というよりも、主としてNHKテレビ番組から教えられた興味ある問題について、さらに知りたいと思うことからインターネット検索により調べて勉強している報告だ。そろそろこのブログも閉じようと思っていたが、人間=動物+道具だという番組から、人間は動物+道具+情報ではないかと気がつき、政治も経済も情報だと思い始めてから1ヵ月、おもしろくて筆が走り出した。私は物知りではない。検索で論理的に調べた事実を書いているだけだ。記憶力は衰えてきたが、論理力は正常でおかしいことは言っていないと思うので、ここから若い人への遺言として、第2のブログの発信だ!これまでのブログは、今の私と視点が違うので読み直したいと思っている。

1.恐竜は小惑星によって滅ぼされたわけではない?その原因は「植物」にあるとする新たなる説が浮上(米研究)
 植物が進化によって毒による防御機構を発達させた一方、恐竜は消化器系の不調に悩まされながらもそれを食べ続けたと主張する。
 また、哲学番組として、「植物に学ぶ生存戦略」,(2)は、科学的定説なのか、哲学的仮説なのか分からないNHKらしくない終わり方だが、考えることに刺激を与えてくれて面白い。
2.7万年前の超大噴火の影響は予想より小さい?
3.ホッキョクグマの生態について
 ホッキョクグマは子供まで優劣の階級があると、NHKテレビ番組で見たことがあるが、その番組の情報は検索しても見つからない。そこで、検索を続けていて、、私にとっては驚くべき情報がえられた。
 【動画】衝撃、子グマを食べるホッキョクグマ
 ホッキョクグマは共食いをするほど性格が凶暴?冬眠と寿命についても
 本当は透明な熊だった白熊の知られざる生態

 ホッキョクグマは子育ての時期以外は、家族で行動することはないそうだ。子供も母離れすると独立して行動する。飢餓に陥ると共食いさえする。子孫を残す行為はあるが、そこに愛はないのだろう。母も子も父を恐れながら生きている。厳しい北極で生き延びるための進化の方法だろうが、そのホッキョクグマに地球温暖化による食糧難が追い打ちをかけている。動物も厳しい環境で進化した辛い生き方があるものだ。

 そして人間の世界、共産主義はみんな平等の世界だという幻想がある。しかし、ここでも勝者はそれを許さない。中国は共産主義の国ではないが、ここでも国の役人は国民に対して勝者の立場にある。かつて共産党員だったが、何の理由か分からないが重婚の罪で共産党を解雇され放浪生活している男の話だ。30年も放浪生活をしているが、1番目の重婚の相手は、今もその男の故郷の実家に住み続け、男はもう一人の妻と放浪生活をしている。1番目の妻からは愛情より憎しみを感じるが、それでも別れないのは妻としての権利により生活が支えられているからだろう。一緒に放浪しているもう一方の妻は、生活苦の生活を夫婦の愛が支えているのかも知れない。しかし、いずれもどん底の生活に生きている。人間の生き方にも深い理由がありそうだ。
 参考:NHK番組中国 さすらい農民工の物語」(動画)


初稿 2018.10.9 追加修正 2018.10.13 更新 20202.23(ブログ目次削除)