自然とデザイン

自然と人との関係なくして生命なく、人と人との関係なくして幸福もない。この自然と人為の関係をデザインとして考えたい。

幕末と明治維新から考える~「人間の尊厳」と「他者の尊重」

2018-07-21 10:27:08 | 自然と人為

 幕末の尊王攘夷については、NHKの大河ドラマで良く知られている。大河ドラマは明治維新を賛美した司馬史観を背景にした創作が多く、当然ながら歴史番組ではない。坂本龍馬が諸藩と交渉した英雄だと思っている人は多いだろうが、それには諸藩が坂本龍馬を通じて最新の武器を購入していた明治維新の背景がある。幕末は幕府側に優秀な若い人材がいた。25歳にして老中となった備後福山藩主阿部正弘安政の大獄によって26歳にして刑死した有能な若者橋本左内である。阿部正弘はペルー来航時に老中であり、勝海舟ジョン万次郎を幕府で登用するなど柔軟な対応能力で幕末の問題に取り組んだ。人の評価は様々だが、橋本左内とともにもう少し生きていれば違う明治維新を迎えていたと私は思う。橋本左内については、英雄たちの選択「維新を先駆けた男 安政の大獄に死す」を、まずはご覧いただきたい。
 参考: 橋本佐内26年の生涯 坂本龍馬暗殺

 明治維新は日清日露戦争、さらには太平洋戦争までの道を準備したと私は批判的であるが、「司馬史観」に異議あり!と極右系のブログにあるので何の異議かと思ったら 「司馬史観」が日露戦争までは肯定しているが、昭和前期の侵略を批判しているのに対して、その昭和前期の侵略史観の方がおかしいと言っている。彼らはひょっとして日本人の武士道の精神を賛美しているつもりかも知れないが、「武士道の義とは、人間としての正しい道、要するに正義を指すもの」であり、その最も厳しい規律・正義を守ることが求められている。武士道は個人が集団に規制されていた我が国の封建時代に培われた自己犠牲である。敵と戦うために命をささげることを美とした集団の規律が、江戸時代の平和が続くと精神的な支柱となった。しかし、自己犠牲は他者への想いが薄く、他者を尊重する関係を深めることはなかった。

 幕末になると外国との関係が生まれ、武力(将軍)による支配や「武士道」ではなく、「天皇」という権威が国民の支配に必要となった。国民の権利が知られていない時代にあっては、権威の下に国民を支配することは自然であったろう。しかし、自由な個人が許される時代となった今日では、武士道は伝統として賛美するよりも、自由な個人の自己責任として、「欲望を抑える生き方をもっと深め得る可能性のある精神」と私は思う。集団ではなく個人が尊重される時代でも、個人の欲望が時代を動かす面は抑えられない。しかし、国民を治める政治や行政は、常に自分の欲望を満たすためではなく、他者のために働く倫理がますます大切になることを忘れてもらいたくない。
 参考: 今だからこそ、今一度、司馬遼太郎氏の言葉に耳を傾けたい
      司馬遼太郎の遺言

 ドイツは第1次および第2次世界大戦の反省から、憲法の第1条で人間の尊厳の不可侵を謳っている。人間の尊厳を守ることは、人間が人間を裁く死刑さえ否定する考えである。どんな理由があろうと、戦争は人間として許される行為ではない。敵が攻めてくる、危ないと支配者が言う虚構に対して、情報と他者を尊重する倫理のない集団は支配されるしかない。日本では戦争の被害、敗戦と原爆にあってなお現平和憲法さえ否定している人たちがいる。その先頭に立っているのが日本の首相である。国と国民の立場を混同し、国民の立場ではなく国として世界で戦争をするアメリカに従順に従う政治を行い、自衛隊を紛争地帯の平和のためと称して海外派兵の道を開いている。対立を調整するのは軍ではない。人を殺し、町を破壊する自衛隊ではなく、国内や世界の水害や地震等の自然災害の救助や予防に従事することこそ、これからの世界に求められる組織である。

 豪雨災害中に自民党宴会とマスコミの一部は騒いだが、実はこの日は「7名死刑執行」の前夜でもあった。死刑さえ躊躇するドイツと比べて、天皇の退位前に7名も処刑するという人間に対する尊厳が軽薄で、宗教犯罪の原因にメスを入れることもなく、即ち彼らが我々と生きた意味を問うこともなく、国民の尊重よりも自分達の利害や考えを優先する安倍に従う自民党という集団のなんと軽薄で醜いことよ・・・。
 江戸時代の「武士道」と明治維新は昭和の敗戦まで、「人間の尊厳」と「他者の尊重」を国民に育てることはなかった。これからの日本は世界に独自の文化を誇る前に、「人間の尊厳」と「他者の尊重」を世界の人々と共に自覚していくことが必要だと思う。
 参考:BS1スペシャル「欲望の時代の哲学~マルクス・ガブリエル 日本を行く~
     鳥越俊太郎氏「日本にどこの国が攻めるんですか、そんなの虚構です
      NHKスペシャル「戦後69年 いま“ニッポンの平和”を考える」より


初稿 2018.7.21