自然とデザイン

自然と人との関係なくして生命なく、人と人との関係なくして幸福もない。この自然と人為の関係をデザインとして考えたい。

歴史は個人をどう扱って来たのか~個人と集団と国を考える

2018-07-03 23:55:12 | 自然と人為

 「他者を大切にする」とは、自己と他者の関係で本能的に自己を大切にする利己主義を抑えて、意識的に他者を大切にすることであり、さらには抑えるべき利己主義さえも無くなるのが理想である。その理想の前提には「集団における個人が大切にされる時代」への期待がある。個人の犠牲で集団が成立することを、我々は経験してきた。集団と個人、自己と他者の関係において、「個人を大切にし、他者を尊重する」ことは理想に過ぎないのか?歴史は理想に向かっては進んでいないのか?進歩とは何を目標とすることなのか? 理想はその時代によって異なっているだろうが、歴史的に見れば個人や他者を大切にする方向に向かっているのではないか?その視点で世界史を、植民地時代を起点にして学び直してみたい。

 イベリア半島のスペインとポルトガルにより世界の植民地化が始まったことは、前回「宗教と欲望と植民地支配」の視点で紹介した。
 スペインはアルタミラ洞窟(2)で有名だが、その洞窟が約13,000年前に落石によって入り口が閉ざされた頃、アフリカを旅立った人類は南アメリカに到達している。南アメリカに移住した人類は、アステカ王国インカ帝国を築いたが、スペインのアメリカ植民地統治エンコミエンダ制)により、破壊され殺戮された。人類という同胞が宗教を理由に奴隷化された不条理を、今、我々は知ることが出来るが、当時のスペインにとってはそれが常識であった。宗教を理由に奴隷とされたインディオは、人口の減少により17世紀にはスペイン人入植者の私的な大土地所有であるアシエンダ制に移行していく。
 宗教は当初は集団を治めるために機能し、現代では個人の尊厳のためにあるように、歴史は常識を変える。
 参考:先史人類の移動を追う
     「人類がたどってきた道 “文化の多様化”の起源を探る」
     『人類がたどってきた道』一条真也の新ハートフル・ブログ
     第56回 アメリカの征服とヨーロッパの変容

 ポルトガルとスペインによる植民地化はヨーロッパ世界も変容(2) させていく。まず、イタリアを中心とする地中海貿易圏からネーデルラント(オランダ)が商業の中心になっていく(商業革命)。次に、アメリカから大量にもたらされた金銀が西ヨーロッパにインフレを起こし(価格革命)、地代に依存する領主階級を没落させた。西ヨーロッパの商工業の発展と人口増加による世界の中核化が進む一方で、辺境となった東ヨーロッパでは西ヨーロッパ向けの穀物生産に産業が特化して、農奴制が農場領主制として強化され、西ヨーロッパを中心にした世界的分業体制となっていく。
 ウォーラーステインによれば、16世紀の主権国家形成期に「利潤の最大化」を目指す資本主義という世界的分業システムが成立し、現在も世界に拡大しているという。(ウォーラーステインの近代世界システム論
 参考:近代世界システム論と歴史認識の転換 松岡利道
     第61回 スペインの繁栄とオランダの繁栄(主権国家)
     ③オランダの台頭/江戸幕府、鎖国政策へ

 「スペインからオランダが独立」と聞くと「日の沈まぬ国 スペイン」を思い浮かべる。しかし、当時は国と言っても姻戚関係で大きくもなり、現在の主権国家とは全く違う。また、主権国家成立の前に資本主義の世界システムが成立していたことは先ほど少しだけ触れておいた。現代の中国と米国の主権国家と資本主義との関係について比較するのも興味があるところだが、その前に婚姻関係で変わる国の例について、イタリア人のコロンブスがスペインのイサベル女王(2)の支援の下に新大陸を発見した頃について調べてみよう。

イザベル女王カスティリャ王国) -- 1474-1504年 カスティリャ国王
 共同君主(結婚:1469年)  | スペイン カルロス1世(1516~1558)
フェルナンド5世アラゴン王国) -- 1479-1516年 アラゴン国王(フェルナンド2世) 

 カスティリャ王国の王女イサベルとアラゴン王国の王子が1469年結婚し、1474年、イサベルがカスティリャ国王となると共同統治を行った。1479年、フェルナンド2世としてアラゴン国王となり、これによってカスティリャとアラゴンは合同し、スペイン王国となった。夫妻は一男四女を生み、その次女である王女フアナハプスブルク家と繋がる。
 ハプスブルク家のマクシミリアン1世は神聖ローマ皇帝(在位1493-1519年)としてオーストリアを中心としたローマカトリック教会のキリスト教世界を守護する(理念の)神聖ローマ帝国(16世紀にはハプスブルク家が皇帝位を独占してハプスブルク帝国とも言われる。)を統治したが、その子のフィリップ(2)をスペイン王国の王女フアナと結婚させた。一方、スペイン王国の唯一の男子だったフアン王子(1478年-1497年)はフィリップの妹マルガリータと結婚後間もなく夭折という不幸もあったが、ハプスブルク家はスペインとつながりが出来、フィリップとフアナの子のカールがスペイン王(カルロス1世)となり、さらに彼は神聖ローマ帝国皇帝に選出されてカール5世となったことによって、オーストリア、ネーデルラント、スペイン、ナポリ王国などを相続し、またスペイン王としては新大陸に広大な領土を所有した。

 ハプスブルグ家関係の結婚、愛憎、死別を見ていると、イサベル女王女王フアナが映画にもなっているように、支配者と民衆の関係というより、個人的な生き方が印象に残る。しかも、女性と男性の差別を感じない。女王フアナは狂女というより、生真面目でひたむきな生き方が印象に残る。フィリップ美公とか言われるハプスブルグ家の女たらしのフィリップのどこが男前かと思う。女王フアナの方が凛として美しい。「個人と集団と国を考える」には些細なことだが・・・。

 第一次世界大戦によって1918年にハプスブルク家は消滅した。1919年には「ハプスブルク法」が制定され、ハプスブルク家一族の国外追放と財産の没収が決定された。その成員はオーストリア共和国に忠誠を誓い、一市民となる場合のみ、オーストリア残留が許された。同日、貴族特権の廃止も制定された。ハプスブルク家退位から今年(2018年)で100年となる。「個人と集団と国を考える」ことはオーストリアでは100年で何が変わったかを考えることであり、日本では戦後何が変わったかを考えることである。日本では戦争がないだけ、個人が大切にされるようになった。平和な時は平和の尊さを忘れるようだが、個人を大切にするには平和が一番だ。


初稿 2018.7.3