じいの徒然日記

内野聖陽さんにfall in loveしたじいのおバカな毎日を綴った日記

マリー・アントワネット 1回目(キャスト感想)

2006-11-26 00:42:53 | 観劇記
言いたい放題キャスト感想でっす。

涼風マリー:
ミーマイのマリア役で「私、ダメかも」と思ったんですけど。。。スミマセン じい、やっぱりダメですぅ 歌声、演技、立ち居振る舞い、どうしても納得できないんです 第1幕、ハッキリ言ってめちゃめちゃムカつく女性 民衆と一緒に「王妃を殺せ~~」ってやりたかったくらい 史実、そしていろんな小説を読んできた“自称”フランス革命フリークなじいとしては、自分なりのアントワネット像というのがありまして……確かに愚かな女性ではあったけれど、愛さずにはいられない無邪気さがあって、その無邪気さゆえに無知になってしまって、手遅れの事態になった段階で気づき目覚めるけど、王妃のプライドは捨てられなかった、と思うんですよね、私は。

(断頭台で死刑執行人サンソンの足を踏んで)「ごめん遊ばせ」と首をすこしまげわびを言った。首を少しまげて微笑むのは皇太子妃だった頃からの彼女の癖であり、その時の彼女はたまらなく可愛いと貴族たちがいつも言ったものである。「うっかり、いたしましたのよ」これが彼女のこの世での最後の言葉となった。

これは原作のラスト部分なんですけど、アントワネットのことをすっごく表してる部分だと思うんですよ。でも、1幕でのアントワネットは単なる馬鹿女としか思えない。ただの馬鹿と無邪気なのは違うんです もちろん、じいのアントワネット像を押し付けるつもりはないけれど、涼風マリー……悪女でいたいのか、無邪気ゆえに真実に気づかなかった悲劇の女性にしたいのか、とにかくどんなマリーを演じたいのか定まってない気がしました。子供のことで涙を見せたかと思いきや、突然愛人のフェルゼンにラブレター(ホントは違うんですけど)を渡せとか言い出すし、訳わかんない人だなぁ~としか思えなくて あと、倒れ方も段取り的な感じがするし、セリフがなくて舞台にいるだけのシーンでは何のためにそこにいるのか分からない。むしろいなくてもいいよっ……なんちゃって フェルセンが逃亡を提案した時に倒れながら手を差し出すシーンでは単に手を出すだけで意味も感情も感じられないし、ルイ16世が「鍛冶屋になりたかった」って曲を歌う時はそばで突っ伏してるだけなんだもん。スミマセン だからと言って他の誰かの方が適役~~ってのはないんですけどね。もう一人の皇后様とか……は、ちょっと違うかなぁ~と思うし。

笹本マルグリット:
原作のマルグ像とは違って、舞台では革命を扇動する(同時に操られてる部分もあるんですけど)力強い女性でしたけど、すんごく熱演してて素敵でした 歌の方はちょいと叫び系な必死さが続いて、もうちょっと変化をつけてほしいかなぁ~と思ったり、「玲奈ちゃんが歌ってる」感が拭えないところもあったけど、20歳という年にしては十分に及第点ではないかと思います。若さで乗り切ってるところも、今しかできない演じ方だと思うし。王妃に侮辱されて倒れこんだまま歌う「100万のキャンドル」はいいですね~~ 悔しさがすんごく伝わってくるし、立ち上がろうとする力強さも感じました。ただ、2幕で憎しみの対象でしかなかった王妃に対する感情が変化していくところは、もう少し表現してほしかったかな。正義のはずの革命の矛盾に気づき始めてるっていうのは分かったんですけどね~~

井上フェルセン:
大人になりましたね~~井上クン いや~~悔しいけれど(?)カッコイイですわ。王子キャラが定着してしまうのはちょいと可哀想な気がしますけど、今回は目を瞑りまっす もう~~「あなたを必ずお守りします」なんて跪いて言われたら迷わずついていっちゃいますぅ 上からついてこいって言われるのは嫌ですけど、こういうのは好き もう、アントワネットなんて放っておけばいいのにって感じでした。ホント、健気なんですよね。。。あんなに酷い態度を取られても尚、王妃に尽くしちゃうんですから

今回は出番が意外にも少ないんですけど(ファンの方は物足りないのでは??)感情が伝わってくる演技と歌い方になっていたと思います。アントワネットからの手紙をマルグリットが持ち去ってしまった後の嘆き、まだまだ奥深さは足りないかな~というところはありましたけど、井上クンの年なりに健闘してたのではないかと フェルセン、元は国のためにアントワネットに近づいた奴ですけど、報われない愛に生きる姿には結構ウルウルきちゃいましたわ。アントワネットとのデュエット、舞台で二人が並んでる姿を見て「ママは僕の鏡だから」のシーンを思い出しちゃったんですけど、アントワネットの方はともかく、井上フェルセンの歌はあのシーンの時に心を揺さぶられたのと同じくらいのものをキャッチしたように思いましたわ

石川ルイ:
禅さん、良い良すぎます 優しい人なんだろうけど王位につく器ではなかった、その愚鈍な部分もちゃんと表してて……お茶目なところも楽しかったし、ぼへ~~として王妃に頭が上がらないところも思わず愛しちゃうキャラを演じられていました でも、皇太子が亡くなったところは、突然泣き崩れたり~~という表面的な演技じゃなくって、ルイ16世の「鈍さ」もちゃんと表してる嘆き方だったのは圧巻。こう言っては何ですけど、王妃様の嘆きよりもちゃんと感情が伝わってきましたわ。国王の処刑はサラリと扱われていたんですけど、願わくば 処刑前に民衆に向かって言ったという「私は私をに至らしめた者たちを許そう。私の血がフランスのためになることを願う」という言葉……禅さん演じるルイ16世で聞きたかったなぁ~~

土居アニエス:
革命に突き進もうとするマルグリットをなだめ、神の愛を説く修道女アニエス……革命を冷静に見つめる役割なのか、ひたすらに人間愛を説く役割なのか、イマイチよく分からなったですぅ~~ 歌い方も大声で叫んでる感じがあって。。。アニエスという役どころが定まったら、もう少し説得力のある歌になるような気がしたんですけどね~~

山路ボーマルシェ:
MAでの狂言回し役!いい感じだったと思いますわ。狂言回し的存在といえばルキーニですけど、彼の場合は暗殺者なので同じように狂った雰囲気は必要ないわけで……1幕途中、指揮者の塩ちゃんと会話をするシーンがあるんですけど、あれって日替わりネタのアドリブなのかしら???今日は「私も歌いたかったんですよ」と言ってフェルセンが歌う愛の歌を歌ってました

高嶋オルレアン:
白塗りのメイク、かな~~り怖かったんですけど……っていうか、変 「お前の顔、変な顔~~(byローラ)」なんて言いたくなるような 雰囲気はルキーニ??じゃなくって、どちらかというとピーチャムと似てたような。。。オルレアン公、フランス革命では結構存在感大!だと思うんですけど、MAでは何だかよく分からない役割 傍観的に、でも主体的に時代を動かしてるのがカリオストロだとしたら、オルレアン公は実際に手を下している人物なのかなぁ~~それにしては、オルレアン公じゃないとっていう必然性はないような……

山口カリオストロ:
更によく分からない存在でしたけど、祐サマの圧倒的な存在感で全部OKだった……かも ファンの方には申し訳ないんですけど、最近のじいは祐サマの存在自体が笑いのツボになってまして 今日もついつい最初の登場シーンでは笑ってしまった……例の手の動きも健在だったし。あ、でも今回はそんなに気にはならなかったかな 錬金術師っぽい動きとして見れば、無理矢理感もないわけじゃないけれど ありなのかなぁ~と思ったり ただね~~国王逃亡のシーンは爆笑!馬車がしょぼいのは言うまでもないんですけど(観た方はお分かりですよね)それを操るカリオストロ@祐サマ、やりたい放題、オレ様パワー全開~~でした

閣下に似た感じって感想をどこかで読んだことがあるんですけど、確かに一理あるような 今回は当然ですけど、王妃様への愛はないし、もう全力で歌いまくってください なので、祐サマ的にはこっちの方がお似合いのような気が… そうそう、閣下と言えば……カリオストロの衣装、黒いフードが付いたマントなんですけど、カリオストロは、このフードをすっぽり被って出てくることが多かったんですけど、思い出しちゃったんですよね~~じいの な“ネズミ男”さん 場所も場所だっただけにちょっと胸キュンだった……かな。

ちなみに、、、同行した友人はカリオストロ@祐サマの存在がウザイと申しておりました はっきり言って出てこないでって感じだったそうで じいは「祐サマだから」でぜ~~んぶ納得しちゃうんですけどね(笑) それにしても……なんでカテコのトリが祐サマなんでしょう???

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