じいの徒然日記

内野聖陽さんにfall in loveしたじいのおバカな毎日を綴った日記

内野さんメモ

7/5 5:20~ TBS「THETIME,」
   10:25~ TBS「ひるおび」
   13:55~ TBS「ゴゴスマ~GOGO!Smile!~」
   15:50~ TBS「Nスタ」
   18:30~ TBS「『二宮孝太郎』✕『それSnow Manにやらせて下さい』合体SP」
7/6 9:30~ TBS「王様のブランチ」午前の部
7/7 13:30 TBS「今夜初回!日劇「ブラックペアン2」&明後日初回火ドラ「西園寺さん」開幕超直前SP」
   19:00 TBS 「バナナマンのせっかくグルメ」
   21:00 TBS「ブラックペアン」放送開始
10月 芭蕉通夜舟 東京公演
    映画「八犬伝」公開
    芭蕉通夜舟 地方公演(群馬)
11月 芭蕉通夜舟 地方公演(宮城・岩手・兵庫・愛知・大阪)
    映画「アングリースクワッド」公開

M.バタフライ愛知公演 大千秋楽

2022-08-16 19:58:28 | 観劇記
7月31日マチネ、大千秋楽の観劇記です。

公演中止を経ての名古屋公演……開演10分前でも中止になってしまう厳しい状況下での大千秋楽公演。暗転して水の滴るような楽器の音が鳴り始めた時は本当に本当にホッとしました そして内野ガリマールが下手側に座っているのを確認できた時にはウルッと来てしまって……いろんな気持ちがこみ上げてきたんだなぁ~と

でも最初のセリフを発した瞬間から今までの何やかんやは吹き飛んで作品に引き込まれていきました……というか、発せられる言葉や喋り方や醸し出される空気感があまりにも自然すぎて圧倒されました もちろん東京初日から素晴らしかったのですが、これからどうなっていくのだろうか?一緒に時を重ねていくぞ!みたいな原石的な 感じで観ていたところがあって、進化/深化していった先に東京千秋楽があって、、、地方公演を経て更に高みに立ったものを見せつけられているようで魂持っていかれ警報発令(爆!)微塵の疑いもないガリマールそのものが存在していたように感じました。

今回は最初で最後!唯一のセンターブロックのお席。劇場が大きいのでセットも東京より左右広めに作られているような感覚??? なのでセンターと言っても新国立小劇場のセンターに近いサブ席とそんなに変わらない感じもあり、凝縮された息が詰まりそうな緊張感の有無という点ではどっちがいいのだろうか という気持ちはあったのですが(1幕ラストとか特に・・・ね)2幕終盤、ガリマールがマダム・バタフライに扮して自害するシーンだけは無条件に大劇場に軍配 天井から落ちてくる赤い花びら、そこから差し込む照明と板の上の埃が織りなす光の道筋が本当に美しくて美しくて……ガリマールの心が天に昇っていくような、そして自分自身のガリマールに対する思いが昇華されていくような、何だか潤んだ清々しさみたいなものがあったなぁ~~

いつもならガリマールばかりに目が行ってしまうというか思いっきりガリマールの脳内劇場に遊ばれてしまうところなのですが、今回はソン・リリンのことを見てしまうというか……ソン自身を見ていたというよりソンに投影されたガリマールの気持ちや視点を感じていたというのが正しいのかもしれませんが M.バタフライという作品がソン・リリンの嘆きの歌あるいは哀歌のように感じられたんですよね。スパイとしてガリマールに近づき誘惑し利用した事実はあったとして、それが共産党に忠誠心があったとか愛国心があったからの行為ではなさそうだし、隙あらば 自由な世界=西洋?に出たいと思っている感じもあるし……それに出会いも目的も関係性もスパイ活動だったとしても2人が関わっていく中でソン自身ガリマールに惹かれ利害関係なしに愛するようになっていたのではないかと思ったりして……ガリマールの脳内劇場から湧き出た感情ではあるけれど 逆マダム・バタフライ 一見するとソンはピンカートンの立場にあるんだけど、終盤ガリマールとの激しいぶつかり合いの中で逆転しているのでは?と感じさせるところもあったりして……結局ソンはピンカートンでありバタフライでもあったのではないかと思われ……。

ガリマールがソンに初めて出会う場面、、、マダム・バタフライを演じるソンの姿を初めて観た時の衝撃。今まで観た中で一番しっくり来たというか自然だったというか雷に打たれたという表現がピッタリの姿だったと思います。ものすご~~く納得できた!!!後に外見だけ見て好きになったみたいなことを言い放っちゃいますけど(苦笑) 酷い言い分だけど分からなくもないような……イメージ通りの人にやっと出会ってしまっちゃったよ!的な この時の内野ガリマールの表情や存在感が堪らなくストンと落ちてきてドキドキしました。その後に続く発展していく2人の関係や気持ちの流れまで納得させてしまうところに圧倒されてしまってこの後ず~~~っと引きずっていました。全てがここから始まって根底にずっと流れていて……。内野さんのインタビューの中で、人を好きになると自分の見たい幻想や理想を見がちになること、誰にでも起こりうる身近なこと、東洋人の役者が演じる限界と人間関係を見せる物語にもなること、、、等々の話が出ていたのですが、いまいちピンと来なかったんですよね~~もしかしたらそうじゃないか?こういうことなのか??と感じることはあったけど、歴史からのジェンダーからの人種からの様々な分野の情報量が多すぎて でも今回は頭を忙しくしつつも「あぁ~~そういうことだったのか!」と受け止められたのが良かったというか最後の最後やっとだよ!と投げかけられたものを少し返せたドヤ顔風味(笑)

ガリマール自身ある意味常識的な男、正確には“常識的な普通の男”になりたかった男だったのではないかと……いわゆる西洋の獣的な強い男に憧れ、そうあるべきだと思い込んでいたのかなぁと……そこから抜け出せなかった故の“悲劇”だったという側面はあるのかもしれません。同時に不安定であらゆる側に行き来できる特性を持っていて場合によっては良い作用を生む可能性もあるのかなぁと思うのですが、あくまでifの話なので 2幕、ガリマールがソンに「お前の裸を見せてほしい」と迫る場面でのガリマールの告白。彼女の服を脱がせなかったのは何を見ることになるのかどこかで分かっていたのかもしれない、自分が見ているのはピンカートンがバタフライに歩み寄り淫らな手で彼女の愛に報いようとしている姿、彼女のそばに着いた時にはピンカートンは消えていてその代わりにあったのは何かたらしい不自然なもの、何か愛に近いようなもの……多分ガリマールは自分と相手両方の“真実”に気づいていたのではないか、そうあるべき/正しいことだと思っていることから解放されて……「何かを超越したところに行けた」としたら幸せになれたのかなぁとか思ってみたり 結局ガリマールがバタフライを見つけたのはパリ郊外の刑務所、、、「私の名はルネ・ガリマール、またの名をマダム・バタフライ」……ガリマールの中にもまたピンカートンとバタフライが存在していたのかもしれない。そしてじいが行き着いた先は1対1の人間関係。人が人を思うこと、自己と他者を理解するということ、、、案外とってもシンプルなところでした。最も難しいことなんですけどね……うーむ

カテコ、キャストの皆さんが一列になってお辞儀をされた瞬間から感極まるものがありました。本当に本当に良かった……あらゆる奇跡と人の思いを感じて泣けてきました。内野さんの充実した表情と感謝に溢れた笑顔が嬉しくて嬉しくて 下手側にある椅子に座って靴を脱ぐ仕草をしたりセットを讃えて拍手をしたり、名古屋~愛知~~と叫んだり(地方でよくしてくださる公演地名の連呼は健在!)……3回目辺りだったかな、拍手が止んでセンターにいた内野さんが何か喋るのかな?みたいな雰囲気になった時に一瞬不自然な間の後に「・・・ありがとうございました」と挨拶 もあったりして……お互いを讃え合う充実感に溢れた後のちょっぴり開放的なお茶目なカテコでした

もしかしたら無理かもしれないと覚悟した名古屋公演。無事に大千秋楽の公演を観劇できてガリマールへの思いを無事に昇華できたことに感謝です
コメント
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