今回のブログ企画では、野球部の未来を担う1年生たちに、「先輩、私の話聞いてもらってもいいですか」というテーマ
で、意気込みや目標、野望を語ってもらいました!
本日の担当は松永陽登(体育1・日大三島)です!
筑波大学硬式野球部のブログをお読みのみなさんこんにちは。体育専門学群1年の松永陽登です。日頃から弊部への熱い応援ありがとうございます。
今回は私自身のことについて書きたいと思います。勉強はあまり得意じゃないので拙い文章になると思いますが、最後まで読んでいただけると幸いです。
私は、神奈川県の小田原市に生まれ、父の影響で小学3年生から野球を始めました。
その頃からプロ野球選手になること、甲子園に出ることを夢見てやっていましたが、毎日1時間ほどの素振りをさせられ、野球が嫌になることもありました。中学生になり、関東では強豪のクラブチームに入りました。ですが、中学生では思うような活躍ができず、不動のレギュラーという感じではなく、高校からもあまり声がかかることもありませんでした。そのため繋がりもあって自分のいとこも通っていた静岡県の日大三島高校に進学することとなりました。
自分の入学と同時に監督が変わることとなり、2018年と2019年の高校日本代表の監督も務めた報徳学園の永田裕治監督と出会うこととなります。私たちの代は、集められたような選手は1人もおらず、最初の頃の練習試合では負けっぱなしで怒られてばかりで、とても甲子園なんかにいけるようなチームではなかったです。ですが、永田先生は、「お前ら甲子園行きたいやろ?ほんなら死ぬ気でついてこい」と本気で自分達と向き合ってくれました。練習は本当に厳しく、やめていく部員も何人かいましたが、どの高校よりも練習している自信があり、試合をしていくうちに負ける気がしないくらいの自信を持っていました。
私は1年生の秋からピッチャーとしてエースナンバーをもらい4番を打たせてもらっていました。その時に永田先生から「エースなんやったら人の2倍3倍練習せなあかん」その言葉が自分にとても響き、自分の姿勢を変えてくれたと思います。そして2年秋に東海大会を優勝し明治神宮大会に出場。3年春の選抜に出場し、3年夏の選手権にも出場、夢であった甲子園に2度も立つことができました。
今まで頑張ってきたことが全て報われた気がして、悔いのない充実した高校野球生活を送れたと思っています。永田先生との出会いがなかったら今の自分はなく、筑波大学で野球ができることもなかったので、本当に感謝しています。
私の大学での目標は、チームとしては神宮大会で優勝すること。個人としては大学の日本代表に選ばれること。そしてもう一つの夢であるプロ野球選手になれるように4年間頑張っていきます。最後まで読んでいただきありがとうございました。
体育専門学群1年 松永陽登
日本大学三島高校
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