鐔鑑賞記 by Zenzai

鍔や小柄など刀装小道具の作風・デザインを鑑賞記録

浜千鳥図鐔 東雨 Yasuchika Tsuba

2013-11-13 | 
浜千鳥図鐔 安親


浜千鳥図鐔 銘東雨

波に太陽という取り合わせから思い浮かぶのが千鳥。我が国の海辺における自然観の代表ともいうべき風景であろう。この鐔の作者は、江戸金工の画題や作域において大変な幅の広さを示した、言わば金工の祖の一人、土屋安親であり、東雨はその号。古典的主題や新趣の題を採り、さほど彫り出しを高くするわけではないものの、遠近の風景としては頗る自然な景色に仕上げて小さな鐔の画面に広大な世界を展開した。
 この鐔も、まさに安親の表現域。松原を近景に遠く広がる海原に波と岩場を描き、棚引く雲のさらに遠くには銀布目象嵌で夕日を配している。裏面はそのまま連続した景色であろう、小山から目前に広がる海原を眺める作者の前に千鳥が飛び交っている。鉄地高彫金銀象嵌。安親には、この千鳥の他、後に紹介する政随の鐔のような千鳥の文様も生み出している。81.2ミリ。

初日の出図鐔 青龍堂秀明 Hideaki Tsuba

2013-11-12 | 
初日の出図鐔 青龍堂秀明


初日の出図鐔 銘因州住駿河卓置

 雲間に太陽。海の中から眺めているかのような巧みな構成。雲の流れる様子は穏やかだが、波は高く激しい。正月らしい、爽やかさと強さが感じられる作となっている。



初日の出図鐔 銘青龍堂秀明

 青龍堂秀明は大森英秀の門人。この鐔は、実は椀形である。椀形鐔とは鞘口を覆うような構造で、鞘の内部にほこりや雨水が入らないよう工夫されたもの。構造は図柄の意味とは全く無関係。真鍮地をふっくらとさせ、総体に穏やかな印象があるも、図柄は冬の海原らしく波が高い。この波の激しさ、高さ、力強さが生命の源と考えられていたのであろう。90ミリ。

初日の出図縁頭 貞中 Sdanaka Fuchigashira

2013-11-09 | 縁頭
初日の出図縁頭 貞中


初日の出図縁頭 銘貞中(花押)

 貞中は一宮長常の門人。江戸代中期の市井風俗など、人物図を得意とした。その正確で精密な彫刻技術を活かして描いた、初日の出を背後にする舞鶴。波は激しく押し合って動きがあり、鶴もまた元気がいい。おめでたい席で用いられた拵に装着されていたものであろう。波の様子は波頭が押し合うような表現であり、これも面白い。


日月図頭鐺 Kasira

2013-11-08 | その他
日月図頭鐺


日月図頭鐺

 金と銀で陰陽に表現した波。そこには太陽と月が意図されている。造形が縦長ではあるも、丸みを持っていること、特に横からの眺めでは半円に見えることから、日月を暗に示していることは明白。金と銀の違いは別にして、微妙に彫り方を違えているのが分るだろうか。流れる波の表面に加えた片切彫である。どうっと流れてくる様子、崩れ落ちる様子を、巧みに描き分けているのである。波の表面にも小さな彫り込みを施して崩れ落ちる様子を独創的に表現している。

波図ハバキ 文僊篤興 Tokuoki Habaki

2013-11-06 | その他
波図ハバキ 文僊篤興


波図ハバキ 銘文僊篤興

 大月派を代表する一人篠山篤興。篤興に写実的表現になる鐔が多く遺されているのは、実際の風景に取材したからであろう、正確で精巧な作品が多い。だがこの波は荒れ狂う海上から眺めたもの。この波にも大月派の特徴が良く出ている。単純な荒波だが線描に抑揚変化があり、殊に流れ下る波の動きは微妙だが面白い。飛沫が楕円形であるのは大月派の特徴でもあるが、ここではさらに飛び散っているように切り込みも入れてあり、表現が巧みだ。

日月図ハバキ Habaki

2013-11-05 | その他
日月図ハバキ


日月図ハバキ

 大小揃いのハバキで、日月を対比させた意匠。銀地透彫りで太陽を表しているが、ここでも心象風景。海の中に太陽や月があっては変だとは思わない。政随の波間に三日月の図があったが、このハバキにおける波と日月の構成も巧みである。日月の前後に波が押し合い、月に覆いかぶさるように崩れ落ち、金の波飛沫が散って舞う。

日月図目貫 Menuki

2013-11-02 | 目貫
日月図目貫


日月図目貫

 なんて面白いのだろうか、波間に太陽の昇る様子を心象表現した作。波の下に太陽が見えるわけがないのだから、この表現は素敵だ。雲間に月の図と対比させており、もちろん陰陽の意識がある。円形に意匠された波図目貫と比較しても、この波の動感は妙味があって優れている。波の下に太陽が見えてもなんら不思議でなくなってくるのがいい。

波文図目貫 秀国 Hidekuni Menuki

2013-11-01 | 目貫
波文図目貫 秀国


波文図目貫 銘秀国

 濤瀾乱刃を想わせる、大きく揺れてよせくる波と、その崩れ落ちる波頭を、巧みに切り取った作。ここまで波を切り取る感性、簡略化する意識は江戸時代中頃にはまだなかったのではなかろうか、洒落ている。このような表現は江戸後期の大月派や加納夏雄が得意とした。本作の天光堂秀国も大月派。