花文図鐔 (鐔の歴史)
花文図鐔 古金工
山銅地を薄手の板鐔に仕立て、古拙な魚子地とし、毛彫を切り込んで葉花を文様表現した作。魚子地は魚子というには至らない石目地状。花弁の数は六から八枚である点をみると、さほど写実性は気にしていないようだ。
室町時代から戦国時代にかけての実用の鐔の一例。実は、さらに簡素な鐔も存在する。鉄の板鐔が刀匠と呼ばれるものだが、その山銅地と考えれば良い。鉄味の魅力が鉄鐔の基本であるなら、このような古金工の魅力は、粗製の銅の持つ渋い肌合いに他ならない。文様も、後の洗練されたそれとは異なって古寂びた味わいが格別である。86ミリ。
花文図鐔 古金工
山銅地を薄手の板鐔に仕立て、古拙な魚子地とし、毛彫を切り込んで葉花を文様表現した作。魚子地は魚子というには至らない石目地状。花弁の数は六から八枚である点をみると、さほど写実性は気にしていないようだ。
室町時代から戦国時代にかけての実用の鐔の一例。実は、さらに簡素な鐔も存在する。鉄の板鐔が刀匠と呼ばれるものだが、その山銅地と考えれば良い。鉄味の魅力が鉄鐔の基本であるなら、このような古金工の魅力は、粗製の銅の持つ渋い肌合いに他ならない。文様も、後の洗練されたそれとは異なって古寂びた味わいが格別である。86ミリ。