四睡図小柄 (鍔の歴史)


四睡図小柄 銘 豊干 程乗(花押) 寒山 廉乗(花押) 拾得 光壽(花押)
銘の示している通り、三者の合作である。赤銅魚子地金高彫据紋。禅の教えを意味するこの図は江戸時代に好まれたとみえ、多くの金工が遺している。禅の流行から禅僧を描いた作も間々みられ、江戸時代の武士の禅に対する意識の高さは思いもよらぬものであったと推測される。
程乗は1603から1673年、廉乗は1628から1708年、光壽は1663から1721年まで。三者が重なるのは1663年から1673年で、この間の作かと思われるも否。拾得を製作した光壽の銘は二十三歳で養子として宗家に入ったころからのもの。この作品は、程乗が没した後に完成したのである。即ち程乗が製作年代を越えて、代々が製作することを企図したもの。程乗が豊干禅師を彫った時には、まだ誰が拾得を彫るのか全く判らなかったのである。何て面白い企画であろうか。□


四睡図小柄 銘 豊干 程乗(花押) 寒山 廉乗(花押) 拾得 光壽(花押)
銘の示している通り、三者の合作である。赤銅魚子地金高彫据紋。禅の教えを意味するこの図は江戸時代に好まれたとみえ、多くの金工が遺している。禅の流行から禅僧を描いた作も間々みられ、江戸時代の武士の禅に対する意識の高さは思いもよらぬものであったと推測される。
程乗は1603から1673年、廉乗は1628から1708年、光壽は1663から1721年まで。三者が重なるのは1663年から1673年で、この間の作かと思われるも否。拾得を製作した光壽の銘は二十三歳で養子として宗家に入ったころからのもの。この作品は、程乗が没した後に完成したのである。即ち程乗が製作年代を越えて、代々が製作することを企図したもの。程乗が豊干禅師を彫った時には、まだ誰が拾得を彫るのか全く判らなかったのである。何て面白い企画であろうか。□
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