桐図鐔 (鍔の歴史)
桐図鐔 無銘埋忠
江戸時代初期の埋忠派の鐔。ごくわずかに青みを帯びた美しい赤銅地を密に揃った石目地に仕上げ、金の平象嵌で桐樹を線描写し、さらに片切彫を加えて両手法の組み合わせになる表現としている。耳際は地面に比して薄手の仕立てになる碁石形で、さらにごくわずかに小耳に仕立てて覆輪状の構成としている。埋忠明壽には真鍮地などを用いた渋い出来のものと、このような華やかな作風とがある。いずれも後の多くの金工が手本としたようだ。文様を施す技法は、江戸時代初期には既に多様化している。後の金工は、その中から自らが求める作風のために最も適した技術を選択したのである。65ミリ。
桐図鐔 無銘埋忠
江戸時代初期の埋忠派の鐔。ごくわずかに青みを帯びた美しい赤銅地を密に揃った石目地に仕上げ、金の平象嵌で桐樹を線描写し、さらに片切彫を加えて両手法の組み合わせになる表現としている。耳際は地面に比して薄手の仕立てになる碁石形で、さらにごくわずかに小耳に仕立てて覆輪状の構成としている。埋忠明壽には真鍮地などを用いた渋い出来のものと、このような華やかな作風とがある。いずれも後の多くの金工が手本としたようだ。文様を施す技法は、江戸時代初期には既に多様化している。後の金工は、その中から自らが求める作風のために最も適した技術を選択したのである。65ミリ。