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鐔鑑賞記 by Zenzai

鍔や小柄など刀装小道具の作風・デザインを鑑賞記録

小松曳図鐔 Tsuba

2013-08-19 | 
小松曳図鐔


小松曳図鐔

平安王朝人の正月の行事。根の付いた若松を曳き、その生命力を体内に採り入れる。あおくすがすがしい香りが生命の原点であると感じられたものであろう。七草粥の行事もこれに関連している。雪を分けて芽を出した植物の生命力を体内に採り入れる。写真の鐔は『源氏物語』の一場面であろう。


東下り図鐔 後藤光孝 Mitsutaka Tsuba

2013-08-03 | 
東下り図鐔 後藤光孝


東下り図鐔 銘 後藤光孝(花押)


 「富士見業平」の別称があるように、歌人は在原業平と考えられている。この鐔は、後藤宗家十三代光孝の作。後藤家では鐔の製作が比較的少ないことは良く知られている。鐔の作例としても貴重である。赤銅地を微細な石目地に仕上げ、片切彫で、簡潔に描いている。太刀を手にする侍従を描き、歌人の姿は省略している。東国に下るとは、落ちぶれた姿を想わせる。業平は東国の風情を脳裏に刻もうとしているのだが、侍従のほうでは主を軽んじているのであろうか、装剣小道具の作例によっては、いかにも主の供をしているのでは退屈という態で、のんびりとした様子に表現することもある点は面白い。


東下り図鐔 額川保則 Ysunori Tsuba

2013-08-02 | 
東下り図鐔 額川保則


東下り図鐔 銘 額川保則(花押)

 富士山は、我が国東西を分けるという意味で巨大な存在であったと思う。富士の裾野を巡り経て危険がいっぱいの東国へと向かう。平安時代の東国は、印象として芦原が続き葛の蔓が繁る荒れ野。京人はその中に雅な景色を見出して歌に詠んでいたのである。八橋が読まれたのはまだ富岳の西。雅な風情が漂っていることは、物語の内容からも明瞭。そして富岳を眺めるこの場面を東下り図と呼んでいるように、京人にとっては東国へと向かうキーポイントであった。
 松の木陰で遠く富岳を眺める歌人の姿を、鉄地高彫象嵌の手法で彫り描いたもの。日本的な情緒のある作。額川保則は水戸の名工。水戸金工らしい精巧な彫刻表現。


八橋図鐔 明光 Akimitsu Tsuba

2013-07-29 | 
八橋図鐔 明光


八橋図鐔 銘 一心斎橘明光

 赤銅魚子地高彫金銀素銅色絵の手法で、杜若の精である人物を前にした歌人を描き、謡曲に仕立てられた一場面を写実風に表現している。扇を用いて杜若を指し示しているのが花の精、盃を手にしているのが歌人。京人が東国へ赴くことは、まさに外国への旅。外国とは鬼の住むところであり、どのような危険が待ち受けているやら、まったく不案内。だが、噂で伝わりくる東国の風景には、心惹かれるものがあり、歌人としては危険を冒しても自らの眼で確認したかったのであろう。東下りの路程の一つであれば、この歌人は、東京にも地名が遺されている在原業平(業平橋など)と考えてよさそうである。

歌仙図鐔 菊池序克 Tsunekatsu Tsuba

2013-07-12 | 
歌仙図鐔 菊池序克


歌仙図鐔 銘 菊池序克(花押)

 装剣小道具に描かれることが多いのは六歌仙。『古今和歌集』の序文である「仮名序」において、紀貫之が挙げた僧正遍昭、在原業平、文屋康秀、喜撰法師、小野小町、大友黒主の六人の歌人のことで、伝承や後の創作などによって人気が高まった。紀貫之自らも伝説の多い歌人であり、「蟻通し」は謡曲にも構成されている。
この鐔は朧銀地を微細な石目地にして強弱変化のある片切彫で人物を描いている。


歌仙図鐔 銘 一貫子知真彫之
赤銅磨地毛彫平象嵌による華麗な作。

芦葉達磨図鐔 土屋國保  Kuniyasu Tsuba

2013-07-01 | 
芦葉達磨図鐔 土屋國保


芦葉達磨図鐔 銘 土屋國保(花押)

 我が国に伝来して発展した文化の一つに禅がある。鎌倉時代の武士が盛んに採り入れたことは良く知られている。禅というと日本のもののように理解されているが、起こりは古代インドにあり、達磨によって中国に至り、後に我が国に定着した。鎌倉が世界文化遺産として評価が低かったのは、武士の都としての説明に重点が置かれていたからのように思う。武士の興隆というより、その武士が育てた禅宗が、現代に至るまでに育まれて世界的に認知され、親しまれていることに重点を置くべきではなかったか。鎌倉のあまり表に出ることのない写真を撮っている筆者としては、鎌倉が世界文化遺産になってしまうのは煩わしい。これまで通りで良いのだが・・・・。
 土屋國保は安親の流れを汲む國親の弟子。赤銅地高彫仕上げ。わずかに金色絵を加えている。

蘇東坡図鐔 政随 Masayuki Tsuba

2013-06-25 | 
蘇東坡図鐔 政随


蘇東坡図鐔 銘 政随

蘇東坡(そとうば)は北宋の政治家であり詩人。権力争いに翻弄され、左遷されて各地を移り住むこと数度。黄州に流されたときに竹林に草庵を設けて書斎とした。自我を貫き通すというまっすぐな性格が自らを滅ぼしたようだが、逆に人々からは親しまれていた。この人物も装剣小道具に題として採られることが多い。
 政随の作は朧銀地高彫に金銀素銅色絵。穏やかな顔つきに表現している。政春の作は鉄地高彫金銀素銅象嵌。いずれも竹林の前に立ち、静かに己の生き様を顧みているといった風情。優れた構成の作である。
政随は江戸中期の江戸を代表する奈良派の金工、玄松斎政春は江戸後期の水戸金工。


銘 玄松斎政春

李白観瀑図鐔 保壽 Yasutoshi Tsuba

2013-06-17 | 
李白観瀑図鐔 保壽


李白観瀑図鐔 銘 保壽(印)

 我が国は、長いあいだ中国の文化を採り入れてきたことは良く知られている。いずれの国や地域においても、移入した文化をその地域の風土に沿った独自のものに変えている。大陸の東の海に孤立した我が島国では、流入してくる様々な文化を蓄積し変えて現代に至っている。先に紹介した『三国志演義』もその一つ。我が国での読み物として、あるいは歌舞伎の題材としても流行している。
 古代中国の文化人が遺した伝承や詩などは、もちろん我が国でも教養として採り入れている。度々紹介しているように、詩人で酒を愛した李白の瀧を眺める場面は装剣小道具にも採られている。この鐔は、赤銅地を高彫にし、人物描写は立体的で細部まで精密、金、銀、朧銀、素銅の色金を巧みに施している。

檀渓渡河図鐔 鉄元堂正楽 Shoraku Tsuba

2013-06-13 | 
檀渓渡河図鐔 鉄元堂尚茂


檀渓渡河図鐔 銘 鉄元堂尚茂(金印)

 劉備が愛馬を駆って荒れ狂う檀渓を跳び越えた場面。直随の作例を紹介したが、幕末の金工の多くは直随のような奈良派が得意とした構成に倣って製作しているようだが、この構成は明らかに異なる。尚茂は江戸中期の京都金工であり、時代的に遡るのである。鉄元堂正楽の工名で知られているように鉄地を専ら用い、人物図を正確に彫り表わすを得意とした。

五丈原の仲達図鐔 奈良直喜 Naoyoshi Tsuba

2013-06-03 | 
五丈原の仲達図鐔 奈良直喜


五丈原の仲達図鐔 奈良直喜造

 この鐔の写真は、実はまったく別の資料を探している際に見つけた。先に紹介した奈良直喜の五丈原図鐔とは別の機会に扱った作であり、画題が分らないでいた。それが故に、三国志で画題を探した際にも、記憶になかったものだから写真があることも忘れていた。だが、ふっとこの写真を見つけたとき、先の五丈原図鐔に連続している場面であることがすぐさま理解できた。揃金具として製作されたものに間違いなく、この鐔の馬上の人物は司馬仲達に他ならない。

五丈原図鐔 奈良直喜 Naoyoshi Tsuba

2013-05-30 | 
五丈原図鐔 奈良直喜


五丈原図鐔 銘 奈良直喜造

 孔明の最後の活躍場面。最後の、と言ったが、実はこのときすでに孔明は死んでいた。「死せる孔明生ける仲達を走らす」の言葉を残した五丈原の合戦である。孔明は自らの死期を悟り、戦車に自らの像を載せて敵に向かうことを言い残す。司馬仲達は孔明の死を悟り、攻撃を開始するのだが、孔明の軍中には死んだはずの孔明が乗る戦車があった。混乱した仲達はこれを恐れて自ら軍を退かせたという。

三国志図鐔 直利 Naotoshi Tsuba

2013-05-29 | 
三国志図鐔 直利


三国志図鐔 銘 直利(花押)

不明画題
 先に紹介した直随の鐔と似た構図であるが、岩の背後に広がる地面の様子を橋の一部と捉えれば長坂橋の飛張という考え方がより明確になると思うが、どうだろう。風に靡く旗を持つ部下の姿を添え描き、鐔空間の演出を強めている。裏面の樹木に鳥の翼を休める様子も直随のそれを手本にしているようだ。特に描写が精密で、顔や身体各部位に動きがあり迫力がある。

三国志図鐔 浜野直随 Naoyuki Tsuba

2013-05-25 | 
三国志図鐔 浜野直随


三国志図鐔 銘 浜野直随(印)

不明画題
 視界の開けた丘に立つ馬上の武者図。三国志演義に取材したものと思われるのだが、場面が良く分らない。ご存知の方がおられたら、御教示願いたい。
 朧銀地高彫に鑚の強さを活かした丁寧な彫刻を施しており、槍を手に前方を睨み付ける様子などに迫力がある。元来は大小そろいの鐔であったものか。長坂橋の飛張ではないかと推考する。


諸葛孔明図鐔 Tsuba

2013-05-23 | 
諸葛孔明図鐔


諸葛孔明図鐔

 孔明は天の動きを読むことができた。すなわち気象、今の天気予報とまでは言わないが、雲の動きや地域の気象にかかわる伝承などに通じていたということであろう。それを活かしたのが長江赤壁の戦い。曹操が数十万という兵を擁して南下、孫権は恭順か開戦か悩んでいた。劉備は、周瑜と共に開戦を迫る。舟戦に慣れていない曹操が相手であれば、数は劣るとはいえども逆に力は優ると考えていた。これに孔明の頭脳が加わって孫権軍の力は強大なものとなった。天気を、風を、霧を味方につけた孔明は、火攻めなど奇抜な手段を駆使して曹操軍を壊滅に追いやったのである。
 火攻めに必要な東南からの風を求める呪術を用いたのが孔明であったというが、それが気象を読む力に他ならない。舳で彼方を見やる孔明を描いたこの鐔は、そのような孔明の存在感を鮮明にしている作である。赤銅地高彫金銀朧銀色絵。


草廬三顧図鐔 蓋雲堂浜野直随 Naoyuki Tsuba

2013-05-21 | 
草廬三顧図鐔 蓋雲堂浜野直随


草廬三顧図鐔 銘 蓋雲堂浜野直随(金印)行年四十六

 素晴らしい作品であり、しかも保存状態が頗る良い。裏に諸葛孔明を描き、それを訪ねる三者を、丁寧な背景に浮かび上がらせるように色金の処方も巧みに調整して構成している。何より、顔身体の動きが良く分るよう描き、個性的な表情をも的確に描き出しており、戦いの場面ではないにもかかわらず迫力に満ち満ちている。細部まで丁寧に描いた人物像は、話し合っている口の動き皮膚の動きまでも伝わってくるようで、目の力も魅力的。裏面の孔明も全く同じに、静かな表現ながら生命観が伝わりくる。朧銀地高彫金銀赤銅素銅色絵象嵌。これも最新の入荷品。□