群馬県の利根川の支流に、栃木日光、中禅寺湖を上流とする、
渡良瀬川が、穏やかに流れいてる。
1610年足尾銅山が発見され、採掘の銅を江戸まで運ぶために、
日光東照宮の参拝の道として、山間にあってかなり栄えた街道でもある。
その街道に、東照宮の彫物修理に携わる
江戸幕府彫物大工棟梁であった、高松又八郎邦教が、
住み、花輪彫刻集団を創っていく。
花輪宿から3キロ、田島峠を超えた栗生山の麓に
数件の家があり、田沢と呼ばれている。
その山の一番奥の家に、
84歳、関口文子さんが住んでいる。
関口文治郎の末裔の奥さん、前橋粕川から嫁いで来た、
胸と掌にすっぽり入る可愛い女性。
1731年、文治郎が生まれ、作業場にしていた場所が👇
ガードレールのある沢を登っていけば田島峠、
途中に鑿を入れる前は必ず滝に打たれて禊をしたという
「不動の滝」が👇
若くして亡くなった文治郎の奥さんの為に作った、
「不動明王」の石像。この時文治郎42歳。
歩いて5分、坂道を下ると、「沢入観音堂」が小高い丘に。
妻沼聖天堂の彫りを終えた21歳文治郎は、その給金で、
栃木佐野天明の丸山善太郎に、半鐘を創らせ、寄贈するその半鐘が👇
写真 2018.6.29 桐生市上田沢 関口邸
写真 2018.7.19 高尾山