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八王子の与太郎河童、
つまづき、すべって転んで、たちあがり・・。
明日も、滑って、転んで・・。

氷川丸・寝室!

2017-03-23 10:34:31 | Extra

歴史資料の重要文化財の「氷川丸」

1928年(昭和3年)11月9日に起工、

1929年(昭和4年)9月30日に進水、1930年(昭和5年)4月25日に竣工。
太平洋戦争では病院船として運用。
最終航海は、1960年(昭和35年)8月27日に横浜からシアトルへ出港。
10月1日に横浜に戻ると、10月3日に神戸に到着。
神戸から横浜に回航され、太平洋横断238回をもって航海を終えた。
延25,000人余りの乗客を運んだという。

 

船内のインテリアなども含めて貴重な産業遺産であるため、
2003年(平成15年)には横浜市の有形文化財の指定を受け、
2016年8月に国の重要文化財(歴史資料)に指定された。
氷川丸のサービスの良さが評判を呼び、
著名人を含む多くの賓客で賑わった。

ここのインテリアの特徴は、
掛け毛布のたたみ方、これだけでもインテリア。
広げるのがもったいない。
この心遣い、
これだけでも、長い旅の疲れが癒されるのでしょう。

一等室は2部屋と浴槽。
一室にベッドが2つ、隣部屋にはテーブルが設えている。

2つの部屋にそれぞれベッドがある。
部屋と部屋を挟んで浴槽がある。

                 社交室 

937年(昭和12年)の47次航海では
イギリス国王ジョージ6世の戴冠式から帰国の途にあった
秩父宮夫妻がカナダ・ビクトリア港 から
乗船、
その時のテーブル。


1932年(昭和7年)の11次航海ではチャールズ・チャップリンが乗船、
1939年(昭和14年)の59次航海では
宝塚少女歌劇団(現・宝塚歌劇団)の訪米芸術使節団一行が、
アメリカ公演を終了した後の帰国時に乗船するなど、
氷川丸は華々しい活躍を続けた。
アメリカ側の発着地であるシアトル市民にとっても、
1930年代、日本から定期的にやってくる「ヒカワマル」は、

馴染み深い存在になっていたという。(参考=ウィキ・案内看板・他)
951年3月15日太田節三単身、シアトルから同船で帰国。


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